46年前の私

昨日の朝、3800円の朝食を食べた私は、ホテルをチェックアウトしてある場所に向かいました。

それは京都で頑張っている叡山(えいざん)電車という私鉄です。

可愛い電車でしょう。

でもって、とりあえず一往復はしましたが、本当の目的地はここです。

実は前からずっと来てみたかった場所です。
電車では2~3回通ったことはあるんですよ。
でも、降りたのは45年、いや46年ぶりです。

叡山電車の元田中駅です。

ここ、元田中は東大路通りと叡電が交差する場所なんですが、この東大路通りには昭和53年まで京都市電が走っていて、ここで叡山電車と平面クロスしていたのです。

今でも伊予鉄の大手町がそうですが、路面電車と私鉄が交差するって、当時からかなり「萌える」場所でして、昭和52年(1977年)、私はそろそろ京都市電が廃止になるといううわさが出始めていましたので、大垣夜行に乗ったり、国鉄バスのドリーム号できたり、あるいはスカイメイトで羽田から飛んできたりと、何回も京都にやってきて、京都市電の写真を撮っていたのです。


▲700系ひえい号。 面白い顔の電車でしょう。


▲45~6年前、確かに私はここに来たのです。


当時ここには信号機などはなくて、旗を持ったおじさんが立っていて、電車が近づくとその旗を振って電車を通していました。

今思えばのんびりとしていましたね。

そしてその平面交差する叡電の電車はポール電車だったのです。
市電はビューゲルという集電装置(電車のパンタグラフ)だったのですが、叡電の方はポール。棒の先にローラーが付いてくるくると回りながら電気を取り込む極めて初期のもので、平面クロスとポール電車でかなり「萌え」だったのです。

しかしまあ、なんでまともな写真が一枚もないのかなあ。
当時、200ミリの望遠レンズを買って、面白がって使っていたからかもしれません。

先日、イベントで叡電の豊田社長さんにお会いした時に、ここ元田中の平面クロスに旗を持ったおじさんがいましたねと申し上げたら、「おぉ、それはかなり昔のことですね。懐かしいです。」とおっしゃられてました。
その時、「今度近いうちに遊びに行きますね。」とお約束したのですが、土曜日だったのでお休みになられていると申し訳ないので、訪問をお伝えせずに一人でふらりと出かけてきました。

それにしても叡電凄いですよ。

ほら、車止めギリギリまで寄せて止めています。
もちろん安全装置は付いているのでしょうが、線路の残りは枕木あと1本分。
ここに15分おきに列車が発着しているのですから素晴らしい。
乗務員さんもキビキビとしていて、1両目の後ろ乗り、前降りが徹底されていて、運賃の取り漏れは全くなし。
それでいて外国人観光客や地元の学生さんたちにも丁寧に接しているのですから、すべてにおいて見習わないといけません。
整列乗車も見事なもんです。

わずか2時間ほどでしたが、たくさん勉強させていただきました。

60を過ぎましてから、こうして私は昔来た思い出の場所の中から印象に残るところを少しずつ訪ねるようにしているのですが、それって実はこれからの観光の一つの動機になるのではないかと考えていて、例えば妙高高原などは1970~80年代のスキーブームの頃の若者たちにとっては思い出の場所だから、今、スキーはやらなくてもまた行ってみようと思う人が多いと思いますし、トキ鉄で観光急行に乗って写真や動画をたくさん撮ってくれている若者たちは、遠い将来、思い出の場所として来てくれるかもしれません。

そういうことを自分で実践してみているのであります。

そうです。確かに私は46年前にここに立ったのであります。