いすみ鉄道が墨田区にショップを出した理由

いすみ鉄道では東京の墨田区業平(なりひら)1丁目に「元祖 ローカル線本舗」というお店を開店いたしました。
なぜ、墨田区なのか? 
不思議に思われる方も多いと思いますが、皆さんはどうお感じになられますでしょうか。
まず、墨田区の東京スカイツリー前と聞いて、「良いところですねえ。」「すごいですねえ。」と言っていただく方がたくさんいらっしゃいます。
ところが、これが実に微妙な発言で、なぜ微妙かと言うと、スカイツリーと聞いて、「すごいですねえ。」と言う人は、田舎者の証拠なんです。
いすみ鉄道応援団のSさんは、私が「押上のスカイツリー前に店を出す。」と伝えた途端、「社長、それはすごいですねえ。」と大賛成してくれたんですが、彼の奥さんは「そんなところに店を出してどうするの?」とにわかに賛成してはくれませんでした。なぜならば、彼の奥さんは東京の出身だからで、東京出身の人から見ると、押上とか業平橋とか向島とかいう地名を聞いても「良いところですねえ。」などとは言わないんです。
だから、東京出身の私の知り合いは皆、「なんで押上なの?」とたずねてくるわけで、その言葉の反対側には「もっと他にもいいところがあるでしょう。」という意味が隠されているんですね。
ということで、そういう皆様方へ、私がなぜ墨田区を選んだかというお話をさせていただきましょう。
墨田区を選んだ理由
1:千葉県ととても縁がある地域です。
千葉の鉄道の起点はかつては墨田区の両国駅でした。
お隣の錦糸町には大きなヤードがあって、蒸気機関車が客車や貨車の入換をしていたのを今でもはっきり覚えています。
ロッテ会館のわきのガード下に踏切があって、その踏切で機関車の入換を見るのがとても楽しみでしたし、裏へ回って、ちょうど今の東武ホテルが建っているあたりは貨物駅の荒れ地のようなところで、子供でも入り込んで線路で遊ぶことができたんです。
これは私の大切な思い出なんですが、墨田区を選んだ理由はそういう個人的なノスタルジーではなくて、そういう両国や錦糸町など、かつてのターミナル駅の周辺地区には、千葉県出身の方が多く住んでいたんです。
都内でも城東地区と呼ばれる、総武線でいうと両国から新小岩あたりにかけては千葉県出身の方が多く住んでいますし、年配の方は戦争中に千葉に疎開していたという人もいれば、関東大震災の時に千葉県に避難していたなど、この付近は今でも千葉県ととても関係が深い地域なんです。
2:押上は交通の要衝です。
意外に思われる方も多いと思いますが、押上は交通の要衝です。
京成電車に乗れば千葉、成田方面へつながっているのは言うまでもないですが、東武に乗ると埼玉県へ乗り換えなしの一直線です。
いすみ鉄道のマーケットを考えた場合、埼玉県が一番弱いわけで、その埼玉県の皆様方への波及効果が押上にはあります。
この夏休みから、いすみ鉄道の大多喜直行バスは「元祖 ローカル線本舗」の目の前のバス停「東京スカイツリー前」からの発着となりますから、埼玉県方面の方でも東武線沿線の皆様にはお気軽に大多喜へ来ることができるサービスを提供いたします。
もちろん神奈川県方面へも都営浅草線から京浜急行に直通できますし、半蔵門線からは東急田園都市線に直通で長津田、中央林間まで乗り換えなしで行かれるんです。
ということは、1回だけ乗り換えしてよいとなると、押上からはかなり広い範囲をカバーできるということなんですね。
これが、押上が交通の要衝だということなんです。
3:墨田区の力を借りる。
東京育ちの私の印象は、墨田区と言うのは地場産業の街で、小さな工場がたくさんありました。私の父の仕事もそうなんですが、鍛冶屋さんやネジ切り工場、メッキ工場などがたくさんありましたし、ドブ川のような運河をポンポン船がイカダを引いて走っていて、それを材木に加工する木工所があちらこちらにあって、あまり良い印象を受ける場所ではありませんでした。これが今から30年ぐらい前までの墨田区です。
ところが、10年ほど前から墨田区は「観光都市宣言」をして、「これからは観光に活路を見出すぞ。」と鋭意改革を進めてきました。
ドブ川のようだった運河はきれいに整備された親水公園になり、トラックやフォークリフトが行きかって、油でテカテカ光っていたような裏通りは、電柱が撤去され電線が地下に入り、町の中を循環する「お手軽な移動手段」としてミニバスが走り回るようになったのです。
久しぶりに行ってみて、見違えるようになっていたんですね。
同じ都内でも、台東区は上野公園や浅草がありますし、渋谷区とか目黒区とか、比較的観光客が多く集まる地域は以前からあったんですが、墨田区という、私から見たら一番観光とは無縁だった町工場の立ち並んでいた地域が、観光地化宣言をして、わずか10数年で観光客が来る町になってしまったんですから、驚きなんです。
そして、それを行ったのが墨田区役所であり、東京商工会議所墨田支部であり、地元の商店会なんですね。
だから、私は、いすみ鉄道はそういう方々からたくさん学べるものがあるのではないかと思い、2年ほど前から、墨田区の皆様方に懇意にしていただいて、「どうしても押上で。」と、地元にご縁をいただいたのです。
千葉県の房総半島も、かつて海水浴客であふれかえった時代はもう2度ときませんから、墨田区から学ぶことはとても多いはずなんですね。
4:最初はひっそりと
東京スカイツリーのおひざ元にお店をオープンするというと、とてもセンセーショナルな響きがあるでしょう。でも、お店を開いたのは観光客が押し寄せているソラマチの中じゃなくて、歩いて数分の浅草通りに面したところですから、ソラマチに比べるとひっそりとしています。
まあ、その分家賃も安いんですが、いすみ鉄道としては、最初からドッとお客様に来てもらうようなところへは進出するべきじゃないと考えたんです。
なぜなら、今までの売店3店舗は自社の鉄道沿線で、お客様も「いすみ鉄道に興味を持っていらしてくれる方々」なんですが、いすみ鉄道沿線から一歩飛び出すと、そういう好意的なお客様ばかりでなく、「通りすがりの人々」を相手に商売をしなければならないわけで、そういう方々をお客様として商売をする場合は、今までとは違った商売のやり方を求められるからなんです。
だから、商売としての体制固めの時期が必要で、最初から行列ができるような場所で商売をすることはとても危険なんですね。
私が「さりげなく、ひっそりとオープンしてますよ。」と言うと、たいていの皆様は、どうしてもっと大々的にオープンしないのかと言われますが、そういう体制ができていないので、押上店は体制固めのための第1店舗目なんですね。
このお店を運営していく中で、スタッフの採用、店長の育成、商品の仕入れや在庫管理などの体制をしっかりと固めて、第2店舗目以降の展開に備えるのです。
それには、墨田区の東京スカイツリー前が最適なんですね。
5:地域とのつながり
近代的なショッピングモールの中ではなく、昔からの地元商店街の中にお店を出すということの大きな意味は、地域とのつながりです。私たちはローカル線ですから、地域とのつながりを常に大切にしなければなりません。いすみ鉄道沿線地域にお住いの皆様方は、いすみ鉄道をとても大切に思ってくれていて、かわいがってくれています。ところが、沿線を一歩外に出ると、いすみ鉄道とは無縁の地域で、無縁の人たちの中に放り出されるわけで、そういう無縁の地域の中でも、どうやって地域の皆様方にかわいがっていただくかというのが、いすみ鉄道のテーマでもあるのです。
そういう点で、ここ墨田区の、下町人情溢れる昔ながらの地域は、私たちが色々と勉強させていただく地域として最適なんですね。
以上が私が初の沿線地域外へのショップ展開で、押上にお店を開くことを決定した理由です。
お金のないいすみ鉄道が、小資本で都会の荒波の中で勝負をかけるには、それなりのやり方があると思います。
お店の売り上げは思ったほど伸びておりませんが、今は芽が出るのをじっと待つ時期ととらえて辛抱するしかありませんね。
今月20日には墨田区のイベントがスカイツリー前で開催され、いすみ鉄道もさっそく出店いたします。いすみ鉄道だけじゃなくていすみ鉄道沿線の方々にもお手伝いをいただいて、地域の宣伝もしたいと考えております。
皆様、どうぞいすみ鉄道の都内1号店、「元祖 ローカル線本舗」をよろしくお願いいたします。


「元祖 ローカル線本舗」の看板娘のゆかさん。
鉄道ファンの皆様方に洗練されたサービスを提供しようと、私がお願いしてヘルプに来ていただいています。
私がお願いしたということは、そうです、ゆかさんは現役の国際線CAです。
ローカル線のお店と言っても、現役CAさんが店員さんなんです。
どうだ! すごいだろう!
応援団のおじさんたちもご覧のようにメロメロ状態です。
彼女の勤務日は公表しませんので、会えればラッキーですよ。