今日は成田山へ初詣

今日は成田山へ初詣に行きました。

もう、かれこれ50年になります。
中学生の頃、大みそかから元旦にかけては特別なしきたりのようなものがありまして、何が特別かというと、家に帰らなくてもよいという、その日だけは特別な晩だったのです。
東京は電車も終夜運転していて、みんな初詣に行くのですが、もちろん地元の神社の初詣は行きますが、学校の友人たちは皆、明治神宮へ行きました。

明治神宮って、明治天皇を祭ってあるところですが、どうして明治天皇にお参りに行くのでしょうか。私は不思議でした。
だって、もっと昔の開祖を祭ってあるならともかく、60年ぐらい前の人ですからね。
だから明治神宮にはお参りに行かない。
原宿には行きますよ。
なぜなら原宿駅の外回り電車はいつも使っていないホームを使うから。
そのホームには臨時改札口があって、そこでは硬券切符も売ってましたからね。
あとは西新井大師か川崎大師。
東武電車に乗ったり京浜急行に乗ったり。
どちらにも当時は本線で使われなくなった古い電車が走ってましたから。
でも、そういうところは大晦日の晩じゃなくてもよいのです。

大晦日というのは、せっかくの夜更かし夜明かしOKの晩なんですから、もっと遠くへ行きたい。
そう思って、電車好きの友達に声をかけて私は成田山へ行ったんです。

東京地下駅から113系の快速電車が終夜運転で出ていまして、それに乗って行ったのです。
昭和49年(1974年)の元日。
思えばその時のお参りが私の成田さん詣での始まりで、今年でちょうど50年ですね。

成田山というのは大変ご利益の多いところでして、だから私は50年も通っているのでありますが、何もオカルトの話をしようっていうんじゃありませんよ。
じゃあ、なんでご利益が多いなんて言うかというと、毎年毎年これだけの人たちがお参りに来るからだと私は思います。
なぜなら、この中にはJRや京成の電車に乗りたくてわざわざやってきている人はいないはずで、皆さん何やら縁起を担いでいらっしゃっているからで、昨年お参りして「ダメだこりゃ」となれば翌年は違うところへお参りに行くでしょう。

だから、これだけの人が来ているということは、それだけご利益があるのです。

成田山新勝寺はお不動様です。
お不動様というのは女の神様ですから、男女でお参りに行ってはいけない。
なぜならお不動様が焼きもちを焼くから。
私が子供の頃は年寄りたちはそう言って、入口で別々になってお参りをして、出口で待ち合わせをすると言われていましたが、最近はそういうこともないようで皆さんカップルできている。
まぁ、少子化の時代ですから、どんどん男女仲良く来ていただいて、ご縁をいただいて睦まじく子作りに励んでいただかないと国が衰退するわけで、1000年も前からここで見てきている神様仏様としては、おわかりなんでしょう。
いちいち細かいことはどうでもよいのです。

本堂の前で足止めされてお賽銭箱の前まで辿りつくのに10分ほどかかりましたが、いざお賽銭を出す番になると2回お辞儀をしてパンパンと柏手を打ってる人も相変わらずいるわけでして、「おいおい、ここは寺だぞ」と思うのですが、まぁ、そういうことも別にどうでもよいと思うようになりました。
寺も神社も一緒なんですから。
明治政府が神仏分離令を出して、神道国教化をしただけの話で、大切なのは信仰心ですから、その人なりのお参りの仕方で良いのだと私は思います。

そう、宗教と信仰は違いますからね。
私は信仰の方でございます。

今年もお参りに来ることができました。
ありがとうございました。
また一年頑張りますので、見守っていてくださいね。

というのが私のお参りの時の誓いの言葉。

・・・できますように

というようなことは基本的には何もお願いしない主義です。

お賽銭は毎年千円札1枚に決めていますが、千円でいくつもお願いするような魂胆ならすぐに見破られてしまいますよ。
まして、小銭で済まそうなんてんじゃあ、笑われてしまいます。

というところが江戸っ子の見栄っ張りかもしれませんが、去年は杖を突きながらおっかなびっくり階段を上りましたが、今年は杖無しで来ることができましたので、それだけでも感謝感謝です。

この後はお札を返納して、新しいお札をいただいて、参道でぶつぶつ言っている托鉢のお坊さんにお布施をしての帰り道。急に雲行きが怪しくなってきましたので、もう一つのご利益神社には立ち寄らずに終了となりました。

来週また帰ってきますので、その時にお参りしようと思います。

皆様方にも幸運が訪れますように。