能楽の夕べ

いつもは能生の話ですが、今日は能です。

発音は同じですけど、今日は伝統芸能の能。
芸能の能は能から来ているという伝統芸能です。

今日は高田の百年料亭宇喜世さんで能楽の夕べが開催されました。

宇喜世の大島社長さんとは年齢も同じということもあって、私も就任以来いろいろとご相談をさせていただいていて、ときどき一緒に作戦会議をする仲でもあります。

大島社長さんは「高田の町を何とかしたい。」という意思をお持ちで、私は「日本のローカル鉄道を何とかしたい。」ということで、そういうところも話が合うのかもしれませんが、去年の秋ごろ、そろそろコロナも出口が見えてきそうなので、何かやりましょうという話になりました。

宇喜世さんは木造4階建てで、その4階の一番奥、急な階段を上がったところに隠れ家のようなお部屋がありまして、そのお部屋は高松宮様もいらしたことがあるという由緒あるお部屋なんですが、去年の秋ごろ、その由緒あるお部屋の宮様が座られたというそのポジションに座って、作戦会議をしていたんです。

大島社長さんが、150年もの歴史があるこの建物を何とか後世につなげたい。そのためにはここを拠点に情報発信をする必要がある。何かいいアイデアはあるか?
と切り出されました。

その時は私と、のちにトキ鉄のクラウドファンディングで100万円でヘッドマークのリターンにご支援いただきました朱孝さんと3人だったんですが、宮様のお部屋ということもあって、下世話なイベントではダメだという気持ちになっていたのかもしれません。

「この宇喜世さんでお能をやりませんか?」と私
「大広間の舞台には松の絵がありますし、能はピッタリですね。」と朱さん

「能? そんなことできるんですか? どこに聞いたらいいんですか?」と大島さん。

で、朱さんと私はにっこり笑って、その場ですぐに電話を掛けたんです。

電話の相手は2人の共通のお友達で、観世流シテ方の橋岡久太郎先生。

電話に出られた先生に事情をお話しすると、「いいですよ。おもしろそうですね。」と二つ返事。

すぐに日程の話になり、観桜会が終わって、ゴールデンウィークまでの間の時期。4月22日はいかがですか?

「おぉ、ちょうど空いてます。大丈夫ですよ。」と、橋岡先生。

ということで、目の前ですぐに4月22日に宇喜世さんの舞台で能をやることが決まりました。

「ちょうどその日は人間国宝の大倉源次郎さんも空いているから一緒に参りましょう。」と橋岡先生。

こうしてわずか数分の間に、決まってしまったのです。

これにはビジネスの世界で百戦錬磨の大島社長さんも唖然としておられまして、「えっ? もう決まっちゃったの? 本当にやるの?」
私と朱さんはにっこり笑って、「よし、ここ宇喜世の舞台で高田の皆様に能をご覧いただきましょう。」と作戦会議完了となりました。

さて、それからが実は大変で、何しろ民間の意思決定ですから早い早い。
ただし、先生方にいらしていただくにはそれなりのお金がかかります。
その辺は言い出しっぺの大島社長と、都内で活動している朱孝さんにご尽力いただきまして、あっという間に今日の日を迎えました。

本日の宇喜世さんです。

都内各所から約20名様。
上越市内から50名様の計70名様が宇喜世さんの大広間に集まっていただきました。
満席です。

いや、ホッとしました。
ついに実現したのですから。

ご挨拶される大島社長さんです。
百年料亭を何とか守りたい。そのためには何かしないといけないと思っていたところに能の話をいただいて、あっという間に実現した。
というようなお話をされていましたが、宮様のお部屋で密談即決で決まったそのままのお話しをされていて、うれしく思いました。

上越地域の経済界の皆様方もたくさんいらしていただいて、私もご紹介いただきました。

そして能です。
本日は「高砂」

宇喜世さんの150年の建物に息吹が吹き込まれました。
圧巻でした。

こればかりは見た人でないと言葉では表現できませんが、信長、秀吉の時代から伝わる日本の伝統芸能ですから。
シェークスピアよりもはるかに歴史がある、その歴史を感じることができました。

橋岡先生、大倉先生、ありがとうございました。

高田の町にとてもよく似合う行事だったと思います。

ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

明日は東京からの20名様が雪月花にご乗車されますので、私が添乗させていただきます。

※橋岡先生に関してはこのブログの検索窓に「橋岡」と入れて検索していただければたくさん出てきます。
仲良しでいつも一緒に悪だくみしている中ですから。