Cのチョンチョン

最近では聞かなくなりましたが、私が中学ぐらいの頃はSL好きのお兄さんたちがみんな「Cのチョンチョン」とか、「Cチョンチョン」とか、あるいは単に「チョンチョン」とか言って会話をしていました。

何のことかと言うと、C11蒸気機関車のことです。

皆様もC11といえばよくご存じかとは思いますが、大井川鉄道や東武鉄道、あるいは北海道で復元されて走っているあの機関車ですが、なぜか昔は皆さん「Cチョンチョン」と呼んでいまして、でも、なんとなくあまり良い言い方ではないような気がしたものですから、私は「Cじゅういち」と呼んでいたことをふと思い出しました。

ふと思い出したのはきょう東京へ出かけて新橋駅前に保存されている機関車を見たからです。

はい、Cチョンチョンです。

おなじみですよね。

ただ、私はこの機関車を見るたびに子供のころ覚えた違和感を思い出すのです。
それは何かというと、まあ保存されてから50年以上経ってますから、普通の人にはわからないとは思いますが、この機関車、変なんですよ。
変というのは普通のC11ではないちょっと特殊形。

ではどこが特殊かというと、前頭部両側に付いている除煙板(デフレクタ)。
ちょっと武骨だと思いませんか?

ふつうは除煙板はもう少し薄い板でできていて、上部がくの字に折れています。
この除煙板は何のためにあるかというと、読んで名の通り煙を除けるため。
列車が速度を上げるとこの除煙板が真っすぐ後方へ行く空気の流れを作り、煙突から出た煙が左右に流れることなく真っすぐ後ろに飛んでいくためのもの。
左右に流れると運転席から前が見えなくなったり、運転席や客車に煙が流れ込んだりしますから、そうならないために取り付けられているものです。

だから、速度が遅い機関車には最初から取り付けられていなくて、ローカル支線用のタンク機関車と呼ばれる小型の機関車でも、設計上速度が速いC11には付いていますけど、C12には付いていないのです。

さて、この機関車、なぜ除煙板がこんなに武骨なのかというと、それは戦時設計と呼ばれるものだからで、戦争中、特に戦争末期に作られた機関車は、当時は日本に対する経済制裁で鉄が不足していましたから、代用として木で間に合うところは木で作られたんです。
蒸気機関車は火を焚いて走りますからボイラー回りなどは木では作れませんが、除煙板は別に鉄じゃなくても大丈夫なので、木でつくられるように設計されていたのです。
だから、戦後になって鉄が入ってくるようになっても、木で作る設計図でしたから、同じように肉厚で作られて武骨なんですね。

だとすると、ここも同じ。
砂箱と蒸気ダメ。
ここも他の機関車はなめらかな曲線を描くドームなのは皆さんご存じだと思いますが、木で作られた戦時設計のこの機関車は俗にいうカマボコドームと呼ばれる四角い形なんです。

つまり、標準的な機関車とは程遠い形をしていて、一言で言うと美しくない。
ブスな機関車なんです。
そしてさらにそのブスさに追い打ちをかけるのが前照灯。

おわかりになりますか?
これ、シールドビームといって、完全に後付けで原型とは異なります。
これがブスに拍車をかけているのです。

これ、やまぐち号で走るD51200。
除煙板も標準スタイルで前照灯もシールドビームじゃないでしょう?

トキ鉄のD51827だって木曾の山男だから集煙装置は付けているけど、除煙板も前照灯も標準形でしょう。

釧路のC11も前照灯も除煙板も標準形だし砂箱と蒸気ダメのドームもきれいな曲線でしょう。

なのに新橋のC11はなぜこんな形なのでしょうか?
いや、なぜこんな形の機関車を新橋駅前に保存したのでしょうか?

私は当時子供ながらに不思議に思ったんですが、そのことを今日思い出したのです。

この機関車が保存されたのは1972年10月。
そう、鉄道百年の時です。
鉄道百年を記念して、鉄道発祥の地である新橋駅前に機関車を保存しよう。

これは意味あることですから誰にでも理解できると思います。

ではなぜC11なのか?
もっと他になかったのか?

1972年当時はまだまだ本州内でも各地でSLが走っていました。
首都圏ではすでになくなっていましたが、会津でも木曽でも新潟でも走っていました。
でも、この機関車C11の292号機は兵庫県の姫路から来ているんです。

なぜ?

不思議でなりません。

当時、C11は地味な存在で、なぜならまだまだD51やC57、あるいはC61といった大型機関車が全国で活躍していましたからね。
そんな時になぜわざわざ、支線用の地味な存在であるC11の、それも戦時設計の特殊な機関車を鉄道百年の記念として新橋駅前に保存したのか。

スペース的には20mのテンダ機関車を十分に置けると思いますしね。

東京都内では今、20両ほどのSLが静態保存されていますが、そのうち1972年までに設置保存された機関車はこの機関車を含めて8両。
1972年の鉄道百年のSLブームで各地の自治体に火が点いたのか、1973年ごろから1976年にかけて設置保存された機関車が多く、そのころにはもうすでに近くの路線にはSLはありませんでしたから、わざわざ北海道から運んできた北海道形と呼ばれるちょっと独特な装備の機関車が多いのですが、鉄道百年の頃はまだまだいろいろと選べたはずなのに、なんでわざわざこの機関車だったのですかねえ。

いろいろ大人の事情があったのでしょうけどね。

でも、50年も経てば当時のことを知っている区長さんや地元関係者の皆様方も鬼籍に入られていらっしゃるでしょうし、町行く皆さんも蒸気機関車の歴史を知る人も少ないでしょうから、まあ、これで良いのかもしれませんけど。

でもね、私としてはこんな不細工な子が展示されていて、それを皆が眺めて写真を撮っている光景を見て、昭和の標準形としてこれがふつうだと思われるのが嫌なのですよ。

研ナオコが昭和の芸能人の標準仕様として見られるのと同じで、いやいや、皆さん、もっとかわいい子がたくさんいたんですよ、と言いたいのであります。