不思議なご縁

依頼された講演のための資料作りで古いHDの中を見ていましたら、実は私、今からちょうど10年前の2012年9月と11月の2回、トキめき鉄道沿線に来ていることがわかりました。

直江津駅に停車中の北陸本線の455です。
デカ目でしたね。

車内はこんな感じ。
ちょうど糸魚川駅開業100周年だったんですね。

乗車位置案内の釣り看板を見ると、直江津駅には特急列車がたくさん来ていたことがわかります。

これが2012年9月19日でした。
北陸新幹線が開業する前に、そろそろ来ておこうと思ったのかもしれません。
なにしろ、スーパー特急の「はくたか」がなくなるとなると、わんさか人が来るだろうから、そうならないうちに来ようと思ったのだと思います。

次に来たのが11月21日
講演です。

セミナー開始前にご挨拶をする糸魚川の米田市長さん。
キハ52のご縁で米田市長さんとはすでに何度も交流させていただいておりましたし、当時の嶋津社長から、「ちょっと手伝ってくれないか?」と依頼を受けたのです。

というのも、嶋津さんが乗車人員を見るとひすいラインは単行気動車で十分だという話をしたところ、地元から猛反対を食らったとかで、気動車に詳しい私に地元民に向かって話をしてくれというような依頼だったと思います。

当時は北陸本線でしたから、北陸トンネル列車火災事故をご記憶の方も多く、頚城トンネルがある区間ですから「なぜ電車じゃないんだ?」「気動車じゃ火災になる危険があるだろう。」などという議論があったのかもしれませんね。

私は適当な人間ですから、「電車だって燃えるときは燃えますよ。第一、北陸トンネル火災の急行「きたぐに」は電気機関車だし、出火元は食堂車ですよ。」などと言って、聴衆を納得させたような記憶があります。(笑)

その時の私の話を覚えている地元の人っているのかなあ。

当時の糸魚川駅は新幹線工事が急ピッチで進められていました。

私は羽田から富山へ飛んで、富山から特急列車で糸魚川へ来たのでした。

9月に直江津へ行った時は越後湯沢乗り換えでしたので、東京から見ると直江津と糸魚川の間に大きな境界線があるように感じますね。

糸魚川へ行くのは富山空港経由
直江津へは越後湯沢経由

日本の背骨の真ん中なんでしょう。

電気も変わるし地質も変わるわけですから。

でも、当時、7年後にここに来るとは想像もしませんでしたね。
わかっていればもっといろいろと写真を撮っておくべきでしたが。

今、一緒に働いてくれているトキめき鉄道のスタッフって、当時みんなどこにいたんだろう。

若かったんだろうな。

きっとどこかですれ違っていたのかもしれません。

ご縁って不思議なものですね。

あれから10年が経過して今年は糸魚川駅開業110周年。
大糸線全通65周年です。

新幹線開業まで米田市長さんが大事にしまっておいたキハ52は、今でもピカピカに大切にされています。
行政がやってるんですからね。
千葉とは全く違います。(爆)

来週17日、18日は糸魚川駅でD51が走ります。
10年前には考えられなかったことが起きるのです。
なぜなら、未来は作るものだから。

▼当時のブログです。
よろしければご一読ください。
言ってることは今と同じです。

2012年11月28日 「ヨン パー ゴ」