禹長春先生のこと

このあいだ驚いたことがありました。

「へ~、そうだったんだ。」と知ったことがありまして、私は驚いたのですが。

さて、その話の前に。

日本で有名でも外国では無名の人ってたくさんいますね。
または日本で無名でも外国では有名な人。
日本で悪人でも外国では英雄とか。

例えば伊藤博文。
さっきも大河ドラマに出てきていましたが、明治新政府で初代総理大臣。
彼は日本で有名ですが韓国では嫌われています。
その理由は1905年に日本が朝鮮半島に侵略したときの初代韓国統監だからで、韓国人にとってみれば悪人なわけですから、その伊藤博文を暗殺した安重根は日本では暗殺犯ですが、韓国では英雄なわけです。

もう30数年前の話ですが、私が20代の頃大韓航空に勤務していた時に、先輩や韓国から赴任してきている幹部職員からいろいろな話を聞きました。

当時はまだ今のようにコンビニやスーパーでおいしいキムチが買えるような時代ではなくて、本場のキムチというのはごくごく限られた地域にあった朝鮮人系のお店でしか買えませんでした。
私は東京から成田空港に通っていましたので、当時住んでいた小岩や上野駅周辺のそういったお店で本場のキムチを仕入れて、韓国から赴任してきている若い課長さんたちに差し入れをしたりしてましたが、彼らは異国の地で本場の味を食べられることに大変喜んでくれました。

なにしろ当時の成田というところは本当に田舎の町で、会社の寮があった富里は当時は村でしたから、送迎バスで空港と寮を往復している赴任スタッフにとって見たら、とても寂し思いをしていたんだと思います。

そんな時、彼らの口から禹長春(ウ・ジャンチュン)という人の話を聞きました。

「鳥塚さん、今、韓国人がキムチを食べられるのは日本のおかげなんですよ。」

というお話しです。

「どういうことですか?」と聞き返すと、禹長春という学者の話をしてくれました。

その先生は日本で生まれた人ですが、お父さんが韓国の軍人で、日本に亡命してきた。そして日本で結婚し、生まれたのが禹先生で、優秀だった彼は東京大学に進み、農業の分野で活躍をして各種の品種改良を行いました。

今はバイオテクノロジーとか、ゲノム解析とか言われますが、植物を交配させて種子を取り、それをさらに交配させて品種改良をするという分野では第一人者で、サカタのタネやタキイのタネといった今の大企業の大本を作った先生といえるのです。

当時の日本は優秀な人材であれば韓国人でも台湾人でも最高学府の教育を受けさせていたということなのでしょう。そして、そういう人たちがたくさん活躍していたのです。

やがて戦争が終わり、その禹先生が戦後の荒廃した韓国に渡り、日本生まれで韓国語もできない中で、白菜や大根の品種改良を行って、韓国の土地に合う白菜や大根を大量に生産できるようになって、今、韓国でキムチやカクテキが当たり前のように食べられるようになった。
だから、今、韓国人がおいしいキムチが食べられるのは日本のおかげだというのが、当時の先輩たちから聞いた話です。

お父さんは亡命軍人ですから韓国では裏切り者です。
お父さんは禹先生が子供の頃に暗殺されてしまった。
その後日本人として育てられた禹先生が、戦後、韓国に迎え入れられて英雄として有名になったのですが、日本ではほとんど誰も知らない禹長春という名前ですが、韓国では学校で教えているようですから、韓国人なら知らない人がいないほど有名な方なのです。

もっとも、その禹先生を招いたのは当時の李承晩という大統領で、その大統領は禹先生が日本に逃げ帰ってしまうのを防ぐため、出国を許可しなかったようで、禹先生は生まれ故郷の日本に帰れず、別れた家族に再開することもできぬまま、61歳の生涯を閉じられたということです。

さて、最初の話に戻ります。

当時勤めていた会社の経緯で私は若いころから禹長春先生を存じ上げていて、今でもキムチをいただくときに感謝しているのですが、多分私の周囲の人は誰も禹長春先生のことを知らないと思います。

でも、その禹先生の娘さんという人が実は京セラの稲盛さんの奥様だということを知りまして、大変に驚いたのであります。

前に書きましたが、上水樽文明という友人が本を出したという話しですが、彼も京セラ出身で、そんな関係でいろいろ調べていましたら稲盛さんの奥様が禹長春先生の娘さんだと知りまして、大変驚いた次第であります。

お父様は農業の品種改良で大活躍しましたが、娘さんは表には出ませんが、ご主人を偉大な経営者に「育て上げた」功績とは、親子して実に素晴らしいことではないかと思った次第であります。

今日は久しぶりに美味しいキムチをいただきまして、そんな話を思い出しました。