新潟でテレビを見ていると

新潟へ来て8カ月。

テレビはせいぜいニュースしか見ません。
千葉の家だと何10チャンネルも見れるんですが、それでも見るのはせいぜいニュースでしたが、こちらではBSもCSも見れないしケーブルテレビにも加盟していませんし、NHKの他に5つぐらいしかありませんから。

そんな新潟の家でテレビを見ているといろいろ気づくこともあるわけで、今日のニュースでは知事が休業要請に応じてくれた店舗には協力金をお支払いしますと発表しているシーンが流れました。

新潟県は財政がとても厳しく、下手をすると財政再建団体になりかねない状況にあると言われています。そんな新潟県でも県知事が「協力金をお支払いする。」と言っています。
国からもらえるなどという裏付けなどないはずです。
でも、何が大切かを考えた場合、県民の危機意識がお隣の富山県や群馬県、山形県に比べて新潟県は低いと言われている中で、やはり知事が毅然とした態度を示すことであって、どうやって毅然とした態度を示すかといえば、「協力金を払いますからお店を休んでください!」ということは,かなり大きなインパクトがあると思います。

なぜなら新潟県は財政が大変で、私が来てから8カ月ですが、その間テレビでも新聞でも二言目には「お金がない」と言っている。新潟県にはお金がないのは新潟の人なら耳にタコができるほど聞かされていて、誰だって新潟県にはお金がないということは知っていることです。
にもかかわらず知事がテレビに出て「協力金を払いますからお店を休んでください。」ということは、「おや、これはただ事ではないぞ。」と普通の神経の人なら思うわけで、つまり、それだけヤバいということが伝わると思います。

これまたテレビのニュースで知ったことですが、新潟県というのは大学の医学部が新潟大学1校しかない。だからどうだというと、県内の病院はすべて統率が取れるということで、情報収集もできれば空き病床の把握もしやすいそうで、なおかつ現時点では病床に十分余裕がある。
にもかかわらず、知事が「お金を払いますから」と言うのですから、県民の皆さんは緊迫感をよくご理解いただけるのではないかと思います。

では、国はどうかというと、国民を救済するということを口では言ってますが、財源の確保をどうするかで右往左往している。つまりお金の方が命より大事。とは言わないけれど、お金をどうしようかという話が聞こえてくると、「まだ大したことはなさそうだな。」と国民は思うわけです。

つまり、この辺りの人心のコントロールの読みができていないんです。
誰ができていないかというと、多分安倍総理の取り巻きとか、国の幹部の上級公務員とか、「こうしよう」「ああしよう」と制度を決める人たちでしょうね。
そういう人たちは自分たちは安全地帯に居るわけで、困っている人の気持ちなんてわからないのでしょう。

まあ、優秀な人たちというのはそういう人種なのかもしれません。

例えば、家に居ろ、外出は自粛、ゴールデンウィークにも帰省はするなと言ってますが、新潟だとゴールデンウィークに都会から帰って来る家族が田植えの貴重な労働力となるんです。
田植えができなければ、今まで通りのお米が取れない。
だとしたらやっぱりお金を払わなければなりませんよね。

東京の学校に通うために下宿させている子供たちにもゴールデンウィークは帰るな。
帰れば病気を蔓延させると言ってます。
でも都会にいる彼らは先月からバイトも休まされていて収入がないんです。
田舎の親は十分な仕送りなどできませんから、大学生だってバイトで食いつないでいる。そのバイトが先月から休みだったり解雇されたりしているのですから、どうしたらよいのでしょうか。
学校だって休みだし、私だったら実家に帰りますよ。
実家に帰ればとりあえずメシにはありつけますから。

つまり、都会の学生に帰省するなということは、お金を出してあげないといけないのです。

じゃあ、そういうお金は誰が出すのですか?

新潟県の稲作ができなくなるから新潟県が出すのですか?
新潟県の人間が東京の学校に行ってるのだから新潟県が出すのですか?

そりゃ、違うでしょう。

昔、鈴木宗男さんが北海道でこんな話をしていました。

北海道の人が車を買って、ガソリンを入れて、電気製品を買って、どこにお金が入りますか?
東京でしょう。日本の国でしょう。
北海道の人が子供を東京の大学へ行かせる。
学費と下宿を合わせて最低でも一人年間200万円~250万円はかかります。
4年で800万~1000万円。
これだけのお金が北海道から東京へ、国へ流れているんです。
何人の北海道の人たちが自分たちの子供を東京の学校へ行かせていると思いますか?
だとしたら、国会議員としての自分の仕事は東京から国のお金を北海道に持ってくることだ!

乱暴な言い方かもしれませんが政治家の仕事としては正しいと思います。

何のために国があって、国家として存在しているのかという根本的なところが今問われています。
なぜならば新潟県にはお金を印刷することはできないけれど、国はお金を印刷することができるからです。
ふだんなんでもないときは中央集権として威張っていて、困った時には地方分権で「お前たちで何とかしろ。」では許されるものではありません。

サッサとお金を印刷して国民に配ることが国の仕事です。
そんなことをしたらマネタリーバランスが崩れてハイパーインフレになる。

確かにその危険性はあります。
でも、お金のことを心配して手をこまねいている間に国民の命が失われていき、国力が失われていく。
それでも良いのですか? ということです。

今の時代、上級公務員や政治家の先生方も赤貧の家庭で育ったなんて人はいないでしょう。
東大合格者の家庭のほとんどは年収一千万以上だと言われている時代です。
国会議員だって二世、三世ばかりで、生まれた時から国会議員の家に育っている人たちばかりじゃないですか。
そういう人たちは困っている人たちの気持ちがわかりませんし、こんな時にどうした良いかもわからないから、的確な判断ができない。
だから時間ばかりが過ぎていく。

でも、判断せずに、何もしなかったら許されるのでしょうか?
上級公務員にはおそらくそういう緊迫感がない。
なぜならすべての仕事が持ち回りで、2~3年すれば移動ですから、適当に時間稼いで時間切れという仕事の仕方が当たり前だからです。
だから自分でわからないことは判断しない。

でも、国家の緊急事態ということは、つまりは時間が限られているから緊急なのであって、何の時間が限られているかというと、今、ウイルスの蔓延を防がなければならないという待ったなしの状況の中で、どういう手を打つのか、その判断の時間が限られているのですから、いつもの仕事のペースで、「どうしてよいかわかりませんから、とりあえず様子見です。」というよう人は、それだけで責任を問われるということなのです。

今、落下していく飛行機を機長は何とかしなければならない。
とりあえず様子を見ましょうという人間はその座席に座る資格はないばかりか、今座っているのであれば、座っているだけで責任問題なのです。
それが緊急事態宣言でしょう。

「国民の皆さんに自粛をお願いします。」

言うだけでは何の仕事もしていません。

考え込んで動けない人たちは、その仕事に就いている資格そのものがないばかりでなく、何もしないことに対して大きな責任が問われるのが今回の緊急事態宣言です。

2年後に消費税が20%になるとしても、今、すぐに何とかしなければ、このゴールデンウィークは都会の学生さんたちは皆さん実家に帰ります。

そういう人心のコントロールができなければ与党、野党問わず政治家としての資格もないでしょう。
政治家に求められるのは求心力ですから。

国民は実家に戻って発症した学生をバッシングするようなことをしている場合ではありません。
本質はそんなところに無いのですから。
発症者をバッシングする話題でネットが持ちきりになると、「バカな国民だ」と安心する人たちがいるということを考えなければならないのです。

新潟に居てニュースを見て、新潟から東京を見ているとこんな気持ちになるものです。

そういえば、山本太郎はどうした?