一里おじさん

この年になると、今まですっかり忘れていたことを突然と思い出すことがあります。

たぶん年を取ったのだと思いますが、思い起こせば自分の両親や叔父叔母も突然昔のことを話し出していたことがありましたから、人間というものは、まあ、そういうものなのでしょう。

この間、JALパックの社長の江利川さんと新橋で飲んで帰ったその夜のこと、ふと、思い出したことがあるんです。

私が18か19ぐらいの時のことですから、もう40年も前の話です。

当時、私の家は板橋の中山道の大通りの近くにありまして、ある晩のことですが、その中山道の大通りを歩いていた時のことでした。

正面からおじさんがやって来て、通りすがりに、「あの、ちょっとお聞きしたいのですが。」と言います。
「なんでしょうか?」と答えると、
「巣鴨へ行くにはこの道で良いでしょうか?」
と聞かれましたので、私は、
「はい、ここをまっすぐ行ってください。でも3~4kmありますよ。地下鉄の駅はそこですけど。」と答えました。

すると、そのおじさんは、
「3~4kmですか。それは昔でいうと1里と言うんです。人間はだいたい1時間に1里歩きますから、じゃあ、1時間もあれば巣鴨に着きますね。」
と言いますから、私は
「はあ、そういうものですかね。」
となま返事をしました。

なにぶん40年も前のことですから、当時は今のようにウォーキングをしている人もいなければ、大人向けのそういう靴や服装も売っていませんでした。
そのおじさんは、スラックスにワイシャツ姿で、草履のような、当時のおじさんたちが銭湯へ行くときによく履いていたサンダルを履いていました。
手には何も持っていません。

良く考えたら、なんでそんな恰好で歩いていたんだろうかと思いましたが、まあ、あまり気にも留めずに通り過ぎました。

JALパックの社長の江利川さんの顔を見て思い出したのは、実はJALパックの部長に私の幼馴染のヒロシという友達がいて、そのヒロシ君が、そのころ西馬込の駅から第2国道を10分ぐらい歩いたところに住んでいて、私は何度か泊まりに行ったことがあるんです。

その時も西馬込の駅を降りて「夜霧の第2国道」を歩いてヒロシ君の家に向かっている時でした。
バイトが終わって夜の9時頃だったと思います。
向こうから一人のおじさんがやって来て、通りすがりに、声を掛けられました。

「あの、すいません。五反田はこちらの方向でよろしいでしょうか?」

第2国道ですからまっすぐ行けば五反田です。私は
「はい、この道をまっすぐ行くと五反田ですよ。この先に地下鉄の駅がありますから、地下鉄に乗ればすぐですよ。」と答えました。
すると、おじさんは、
「歩いて行こうと思うんですけど、どのぐらいですかね。」と言いますから、私は、
「地下鉄で4駅ですから、だいたい4㎞ぐらいだと思いますよ。」
と答えたんです。

そうしたら、おじさんは、
「4㎞というのはですね、昔で言う1里なんです。人間というのはだいたい1時間に1里歩くんです。ということは、1時間で着くということになりますね。」
と、言いました。

あれ? なんだろうこの感じは。
どこかで以前に同じようなことがあったような・・・

見るとおじさんは鼻緒のあるサンダルにスラックス。
開襟シャツのようなものを着て、手には何も持っていません。

う~ん、どこかで、前にこんなことがあったなあ。

ほんの一瞬ですが、そんなことが頭の中を巡りました。

「ありがとうございます。」
おじさんは、そう言って歩いていきました。
私は、何か違和感を覚えたように、しばらく去っていくおじさんの後ろ姿を見送ってから、ヒロシ君の家に向かいました。

そして、ヒロシ君の家に着いて玄関へ向かう階段を登りながら、
「あっ、あのおじさんは前に家の近くですれ違ったことがある。」
と思い出しました。

ヒロシ君にその話をすると、彼は、
「ふ~ん、そういうのをデジャブっていうんだな。きっともう一度あるよ。そのうちに。」
と言いました。
ヒロシ君は高校生のころからフランス語を勉強していて、フロイトとかにも興味があるそんな学生でしたから、きっとそういう本も読んでいたんだと思います。
私のように1067とか1435なんていう数字しか頭の中に無い人間とは違っていたのです。

でも、その後の40年間で、もう二度とそのおじさんに会うことはありませんでした。

そのおじさんは当時50歳ぐらいでしたから、生きていれば90は超えているはずですね。

JALパックの江利川社長とは全く関連がない話なんですが、私の脳の中でシナプスが変な回路を構成したのでしょうか。

40年前の「一里おじさん」が突然出てきたんですが、もしかしたら、同じ「一里おじさん」に出会った人がいるかもしれない、などと思いながらペンを取ってみました。

1970年代の都内の国道で同じような経験をされたことがある方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡をお待ちいたしております。