写真を撮りはじめたころ

小学校の時に通っていた英語の塾は千駄ヶ谷にありましたが、私にとっては塾などはどうでもよくて、実は大手を振って電車に乗れるチャンスだったわけですが、せっかく電車に乗るんだからと、たいていはカバンの中にカメラを忍ばせて、行きか帰りに寄り道をして、電車の写真を写していました。
いつもはオリンパスの小さなカメラを持って行ってたのですが、ある時、自分の家に何ていう名前かは忘れましたが、古いカメラが一台あるのに気づき、そのころ私を子分のように従えて、あちらこちらに蒸気機関車の写真を撮りにつれて行ってくれていた友達の兄貴に見せたところ、シャッタースピードが調整できるカメラであることがわかりました。
その友達の兄貴が言うには、このカメラがあれば流し撮りができるぞということで、広田尚敬さんの写真集から蒸気機関車を真横から写した流し撮りのカットを見せてくれて、「こういう写真が撮れるんだ。」と教えてくれました。
そこで早速次の日曜日に流し撮りの練習をしようと考えた私は、電車を真横から撮影するポイントはなかなかないので、道路を走るバスを真横から狙うことにしました。


これがその時の写真です。
初めての流し撮りですが、戦後間もないころのカメラを使って小学6年生が写したんだから、こんなもんでしょう。
私はバスマニアではありませんので、バスの形式はわかりませんが、ちょっと丸っこくって可愛い感じのバスは、当時は普通に走っていたもので、別に狙っていたわけではなく、たまたまやってきたバスを写したものです。

こちらの写真は池袋駅の東武東上線ホーム。5番線に準急寄居行が停車していますが、当時の主力は8000系と7800系が半々ぐらいだったと思います。
小学校低学年の頃はピカピカの8000系が好きでしたが、高学年になると7800の方が味があるなどと思い始めた頃で、「このシーンもいずれ見られなくなるだろう。」などと考えてシャッターを切った生意気なガキだったわけです。

その池袋のデパートの上から見た池袋駅がこちら。
茶色い電気機関車が引く長い貨物列車が発車していきます。
当時、浜松町の世界貿易センタービルや新宿の京王プラザホテルなどの高層ビルはいくつかありましたが、サンシャインができる前の池袋では東武デパートの15階が一番高いところで、そこから見る池袋駅は模型のようでとても良い眺めでした。

その池袋のデパートの屋上では小柳ルミ子ショウが行われていました。
私は芸能人には全く興味なかったのですが、せっかくだからとシャッターを切った1枚。
今思うと、まだデビューまもないころの小柳ルミ子さんは可愛かったですね。
今から41年前、小学校6年生の時の東京少年の日常の1コマです。
今、いすみ鉄道に写真を撮りに来ている小学生や中学生が、40年後にどういう大人になっていて、どういう写真が残っているかって考えると楽しみですね。
その時には私はもういませんが、今の子供たちが一人でも多くいすみ鉄道を楽しんでくれれば、ローカル線が後世につながっていくことができるのではないでしょうか。