「お兄さん、いい体してるね。」 の頃

この季節になるとふと思い出すことがあります。

年齢的なものもあるかもしれません。

ふだんは忘れていたことなのに、どこからともなく、何の脈略もなく突然、ふと思い出す。

 

話をしている時に急に話の内容が飛ぶおじいさんとかよくいますけど、そんな感じなんでしょうね。

 

で、今日思い出したのが「お兄さん、いい体してるね。」と言われていたころ。

 

ホモセクシャルの話じゃないですよ。

昔は、今もいるかもしれないけど、そうやって若い男性に声をかけているおじさんたちがいました。

自衛隊への勧誘です。

 

私は錦糸町で2度ほど声を掛けられましたでしょうか。

「お兄さん、いい体してるね。自衛隊に入らない?」って。

中学1~2年の頃ですよ。

昭和の時代。

まだ社会全体が貧しかったころですから、中学を出たら働かなければならない人もたくさんいたのでしょう。

そういう人たちを集めるのが自衛隊の勧誘のおじさんだったのです。

 

私はもちろん断りましたけどね。

 

昭和40年代の錦糸町駅。(撮影:結解学先生)

今とあまり変わらないような気がしますが、まだ都電が走っていました。

 

この写真を撮影した結解学先生は私の1つか2つ上で年齢はほとんど一緒なのですが、お兄さんの影響を受けて小学生のころから本格的なカメラで写真を撮られていますから、中学生ぐらいでもこんな素晴らしい雰囲気の写真が撮れたんですね。だって皆さん、当時のカメラと当時のフィルムですからね。感度が低いフィルムでシャッター速度とか絞りとかを一生懸命計算して撮っていた時代ですから。雨の夜の錦糸町駅。10代前半の少年が撮影した写真としては秀逸です。

総武線には快速線がありませんでしたから、両国へ向かうキハ28が手前を通過していて、下には都電。今、丸井のある場所に都電の大きな車庫があって、錦糸町の南側と言えばひっきりなしに都電が走る場所でした。

 

結解学先生も、「お兄さん、いい体してるね。」と声を掛けられていたかもしれません。

 

ところで、おじさんから声を掛けられるといえば錦糸町だけじゃなくて上野駅でもありました。

 

「ねえ、ちょっと君。」

特急や急行列車が発着する上野駅の構内をうろうろ歩いていると、ときどき声を掛けられました。

 

「何ですか?」と私が振り返ると、そのおじさんは「あっ、いいや。」と言うので、「人を呼んどいて『あっ、いいや』はないでしょう。」と言い返しました。

中学生ですから生意気盛りですからね。

 

するとそのおじさんはコートの内側から黒い手帳をちらっと出して、「家出してきた人を探してるんだけどね。君は違うから。」

どうして私が家出少年じゃないとわかったかと言うと、「何ですか?」と振り返った時の言葉が東京の言葉だったから、だって。

田舎の人とは発音が違うから東京の人間だってすぐわかるって言われました。

そんなもんでしょうかね。

私にはわかりませんけど。

 

私は塾の帰りによく上野駅や東京駅で汽車を見ていましたけど、東京駅では一度もありませんが、上野駅では何度か声を掛けられました。

後日、同じおじさんから声を掛けられた時には、なにしろ生意気盛りですから、「おじさん、このあいだも同じことを言ったよね。いい加減に僕の顔を覚えてね。」って言ったこともありますけど、なぜ同じおじさんかとわかったかと言うと、当時はやっていた刑事コロンボという番組の刑事さんが、よれよれの薄っぺらなコートを着ていたのですが、そのテレビと同じようなよれよれのコートをおじさんが着ていたのと、上着の内側からちらっと見せる黒い手帳には紐がついていて、多分落とさないように、無くさないように上着の内側に留めてあるのでしょう。その姿が噴出したいぐらいにカッコ悪かったから。

 

それから私は何度も上野駅に足を運びましたが、二度とそのおじさんに声を掛けられることはありませんでした。

 

年末年始になると、当時はそうやって地方から都会を目指して出てくる家出少年が多かったんだと思います。

田舎じゃ食えなかったのかもしれません。

 

今日はYAHOOニュースに先日24日に運転されたJR北海道の「復興クリスマストレイン」の話を書いてみましたが、鉄道っていうのはなんだかんだで子供のころから生活に身近であることが、地域はもちろんですが、鉄道そのものの未来を作るんだろうなあとぼんやりと考えるのであります。

 

https://news.yahoo.co.jp/byline/torizukaakira/20181228-00109297/

 

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