なんとなくお酒を飲まない日々

昨日はコンビニの話を書きました。

「夜中に突然おいなりさんが食べたくなる」お姉さんのCMはローソンではなくて、もしかしたらセブンイレブンかもしれない。
「開いてて当然!」は、もしかしたらローソンじゃなくて他のコンビニだったのかもしれない。

何ぶんにも記憶に頼って書いているので、このところその記憶が時としてあいまいになっている。
いや、あいまいになっているのではなくて、自分でははっきりとしているのですが、事実と異なっていることが時々起り始めていて、例えば生まれ育った故郷の商店街。あの店は右側だったと確信しているにもかかわらず、久しぶりに歩いてみると左側にあったりする。

「おかしいなあ?」

でも、実際にお店は左側にあるのですから自分の記憶が間違っているのですが、本人は右側だと信じて疑っていませんから、キツネにつままれたような気持ちなわけで、そういえば、自分が子供だった頃、年寄りたちは「そんなはずはない。」と信じて疑っていない割には、現実はそうじゃないという現象をたくさん見てきているのですから、人間というのはそういうものなのだろうと思うのでありますが、実は昨日のコンビニの話はセブンだろうがローソンだろうが、そんなことはどうでも良くて、私が取り上げたかったのは「開いてて当然」という時代はどうも転換期に来ているのではないかということであります。

世の中がどんどん便利になって、コンビニがあればライフスタイルが時間の制約をうけなくなるというのも何だか当たり前になりました。

私が子供のころ、と言っても二十歳を過ぎる頃までは、東京の下町のようなところは皆さん銭湯へ行っていました。銭湯というのは東京の場合、午後3時ごろに開いて、11時ごろに閉まります。飲食店で働いている人たちは夜11時を過ぎるとお風呂に入れませんから、親戚のお寿司屋さんの店員さんなどは、午後3時に開店と同時に銭湯へ入って、さっぱりしてからお店を開けていましたし、サラリーマンも皆さん11時に閉店になる前に間に合うように帰らないとお風呂に入れなかったのです。

コンビニだけじゃなくて世の中全体がそんな感じでしたから、自分の生活がそういう時間にコントロールされるのが当たり前だったのですが、1980年代に入るころから学生の下宿にもシャワーがあるのが当たり前になり、真夜中でもコンビニが開いているのが当たり前になるなど、お風呂屋さんの時間に合わせて生活するとか、お店の時間に合わせるというライフスタイルをしなくても良くなりましたから、自分がしたいことをしたい時にできることが当たり前の生活になったんです。

もちろん、経済成長がそういう時代を作ったのはいうまでもありません。お金が自由になると、そのお金で自由を買えるようになったのです。

今では、新幹線や飛行機で日本中どこでも当たり前に日帰りができるようになってきたのでありますが、今回のコロナウイルスの蔓延で、もしかしたらそういう当たり前のことが当たり前ではなくなるのではないかと、なんとなく漠然とですが考えるようになりました。

その一つがお昼ごはん。
今までは当たり前のように食堂やレストランへ行って、あるいは当たり前のようにコンビニへ行って好きなものを買ってお昼ご飯を食べていました。
成田空港に勤めている時代から、いや、それ以前からですからもうかれこれ30年以上、当たり前のようにお金でランチを買っていました。

お酒もそうですね。
今は発泡酒や第3のビールなどというものがあって、下手をすればジュースより安い値段でお酒が飲める。
コンビニへ行けば24時間いつでもお酒が買える。
そういうことが当たり前になってかれこれ40年近くが経過しているのですが、今回のコロナ禍で、私は何となく「違うのではないか。」と思い始めたのです。

はっきりとした理由はありません。
ただ何となくです。

だから、FACEBOOKで交流のある皆様方はすでにご存じだと思いますが、私は3月下旬からお昼ご飯を外に食べに行ったりコンビニへ買いに行ったりすることをやめまして、毎日お弁当を作って会社に持って行っております。
4月に入ってからは実に20日間以上もお酒を飲んでいません。

私はストイックな人間ではないということは、このブログの読者であれば皆さんよく御存じだと思いますが、お弁当を作るのも、休肝日を続けているのも、意を決して行っているのではなくて、ただ、なんとなく毎日やっているのですから、自分でもちょっと不思議です。

では、なぜなんとなくそんな大変なことをやっているのかというと、多分ですが、本能じゃないかと思うのです。

でも、本能と言っても、そのうち氷河期が来て飢餓の時代になるというような強迫観念ではなく、高血圧に注意しようとか、そういう不安だったり目的意識だったりするのではなく、今まで当たり前のことを当たり前だと思っていると、これからの時期、例えば外出を控えてくださいなどという話になると、行動が制約されて我慢をしなければならなくなりますから、イライラしたり腹が立ったりするでしょう。だから、そうならないためには当たり前だと思わないようにする。

食べたい時に食べたいものを食べて、飲みたい時に飲みたいお酒を飲む。

そういうことが、今の時代は当たり前になっているかもしれないけれど、本当は当たり前じゃないのかもしれない。
だから、ちょっと不便になったぐらいでイライラしたり、怒りっぽくなったり、あるいは他人を非難したり、自分はそうなりそうだから、そうなるのを防ぐために、本能がそうしているのかもしれない。
だから、ただ、なんとなく、お弁当を作って会社へ行って、帰って来てもお酒を飲まない生活になっているのでしょう。

正直申し上げて、皆さん、60オヤジの単身赴任ですよ。
新婚さんの愛妻弁当ならともかく、還暦オヤジが自分で作った弁当を昼に食べておいしいと思いますか?
あれだけお酒を飲むのが当たり前だった人間が、ピタッとお酒を飲まなくなるなんて、私のことを知っている人は皆さん「身体でも悪いの?」と言います。

でも、そういうことではなくて、ただ、なんとなく。
強いて言えば、環境の変化に合わせるように本能がそうさせているのかもしれません。

禁酒ではありませんので、ときどきは飲みますよ。
先週の土曜日にも缶ビールを飲みましたが、昨日も今日も飲んでいません。
4月27日現在で23日間休肝日ですから自分でも「ありえない」と思うほど不思議なのですが、そういうことなのであります。

こういう時代だからこそ、当たり前のことを当たり前じゃないと考えてみる。
頭じゃなくて、多分本能なのだと思いますが、ここひと月ほど、なんとなくそういう生活をしているのであります。

さあ、STAY HOMEのゴールデンウィークはどうなることやら。

本能の赴くままに過ごしてみようかなと思っております。


▲本日のお弁当。
のり弁の上に鮭をほぐして卵をのせたもの。
冷凍のほうれん草に冷凍のクリームコロッケ。
なかなか豪華でしょう。

冷蔵庫の中の余り物です。

上越高田でチョンガー生活を送る還暦おじさんです。