2002年12月1日ダイヤ改正

2002年12月1日のダイヤ改正といってピンとくる人は、おそらく今頃大雪と格闘していらっしゃる方だと思います。
2002年12月1日というのは、そう、東北新幹線がそれまでの終着駅盛岡から八戸まで延伸開業した日です。
東北新幹線が盛岡まで開業したのが1982年。
2002年というのは、それから20年かかって100km先の八戸へ延びているということになります。
なぜ、こんな話を急にするかといえば、実は今日、部屋を片づけていたらこんなパンフレットが出てきたんです。



これはJR北海道のポスターですから、八戸接続でデビューした「スーパー白鳥」という特急列車の宣伝用で、函館から八戸乗継で最短5時間58分で東京へ行かれますよ、というのがうたい文句になっています。
今から14年前ですね。
14年前の段階だとしても、函館の人に「5時間58分で東京に行かれますよ。」と宣伝することが現実的かどうかは甚だ疑問がわくわけで、鉄道屋さんらしい、自分たちの常識をもとに作成したパンフレットだということが理解できます。
そしてその8年後、今から6年前の2010年に新青森まで開業して東北新幹線としては全通したことになるのですが、所要時間ではなくて実現するまでの時間の話として、東北新幹線の全通までに盛岡開業から実に28年が経過しているわけです。
そういう経緯を経て、今回の新函館北斗まで開業することになるわけで、1982年の盛岡開業からするとここまでに34年が経過したことになります。
さらに念願の札幌までの開業は2031年予定とのことですから、1982年から起算すると49年かかることになります。
これだけで、22歳で大学を卒業した新卒の社会人が会社に入社してから71歳になるまでの時間ということになるわけです。
まして整備新幹線計画で東京から北海道まで新幹線を結びましょうと、国の偉い人たちが決めて発表したのが1973年のことですから、計画決定から全通までに58年。決めた本人たちは草葉の影に隠れてしまったのはもちろんですが、その子供の世代もリタイアし、孫の代になってやっと実現するというのが、北海道新幹線ということになるのです。
こういうのって、国家的プロジェクトというのでしょうか?
なぜなら計画から40年も50年も経過するということは、実は世の中が大きく変わってしまっているわけで、それでも粛々と推し進めること自体に私は市場を無視した利用者不在の交通政策だと言われても仕方ないと思います。
交通政策に市場の原理を持ち込んで、「お前たちはどうして黒字にできないのだ。」とJR北海道に詰め寄っているその張本人たちが、その市場の原理を全く無視して、40年以上も前の決定事項を今頃になって、「作ってやったんだから、あとはお前たちでやりなさい。」と、そう言っているようにしか見えないのが今回の北海道新幹線の函館延伸開業と私は見ています。
北海道への新幹線乗り入れで東京から函館まで4時間2分となるようですが、飛行機か、新幹線かの意思決定要因となる、いわゆる「3時間の壁」を大きく超えているわけですから、今さら何のために新幹線を開通するのでしょうかという疑問は頭からぬぐえません。
「お前も交通事業者なんだから国の政策を批判するな。」と言われそうですが、私ははなから迎合するつもりはありませんし、「函館市民の気持ちになってみろ。」と言われたとしても、「函館の人たちは、飛行機が減便されることの方がはるかに困ったことになるんじゃないでしょうか。」と言う方が的確なのではないでしょうか。
こういうことをやるぐらいなら、きちんと国営で新幹線をやるような方向にもっていかないと、ただでさえ地場産業の衰退で落ち込んでいる地域やJR北海道に対して、上下分離や健全な市場原理を求めることは無理だと言えると思います。
すくなくとも、こういうパンフレットが今、手元にあるということは、私は一朝一夕で交通政策を見ているわけではないということで、長年にわたって、北海道の交通政策を見てきた私とすれば、まあ、北海道新幹線の首根っこを握っているエリアのJRが、とりあえず運営して、JR北海道の負担をいくらかでも減らす努力を政策としてとるべきだろうということは、容易に想像できるのではないでしょうか。
北海道新幹線の開業に水を差すわけではありませんが、見たくないものを見ないで過ごせる時代ではないと思いますし、そういう世の中でもないと考えます。
たまたま、今日、部屋を掃除していたら、このようなパンフを見つけて、「そうだよね。」と、今更ながらに北海道に思いを馳せる次第でございます。