日本の原風景

最近よく「日本の原風景」という言葉を耳にします。
私がいすみ鉄道の社長に就任した6年前にはあまり聞かなかった言葉ですが、ローカル線が注目を浴びるようになって、都会の人たちが田舎にあこがれるようになると、田舎の景色が「日本の原風景」として見られるようになってきたのかもしれません。
もともと「原風景」というのは、個人個人が成長の過程で体験したことなどを懐かしく思い出すときに使われる言葉ですから、画一的なものでもなく、ある人にとってみたら漁村の風景だったり、ある人にしてみたら育った商店街かもしれませんし、私のように池袋のビル街が原風景という人間もいると思います。
物心ついてから親元を離れるぐらいまでに体験した情景や、音、匂いなど、そういうことをすべて含めて懐かしく思い出すのが原風景ですから、原風景というのはあくまでも個人ベースだとは思いますが、「日本の原風景」というような言い方をするとすれば、日本人の多くが懐かしいと思う風景ということになるでしょうし、だとすればローカル線が走る田んぼや畑などの里山の風景は、農耕民族の日本人が最大公約数的に懐かしいと思う「日本の原風景」と言っても良いのではないでしょうか。
私は東京の板橋で育ちました。
最寄駅は東上線の下板橋で、小学生の時から池袋が遊び場でしたから、私の原風景というと、池袋の地下街であったり、東武デパートのおもちゃ売り場の片隅にあったメルクリンのHOレイアウトだったり、はたまた東上線のホームに停まるカステラ電車だったりするわけですが、そんな私でも年に数回は両国駅からディーゼルカーの急行に乗って勝浦のおばあちゃんの家に遊びに来た経験があって、その時に乗ったキハ28が忘れられない思い出ですし、カメラを持って遠くへ出かけて蒸気機関車が走る景色を眺めたのも原風景と言えます。
つまり、いすみ鉄道でキハ28が「そと房」などというヘッドマークをつけて今でもガタゴトと走っている風景は、私が子供の頃に見た私の個人的な原風景であり、そういうシーンを「日本の原風景」などということは実に気が引けるのでありますが、実際にキハやムーミン列車を走らせてみると、鉄道ファンの皆様方はもちろんですが、女性も子供も、たくさんの人たちが乗りに来たり、写真を撮りに来たりしてくれるわけで、そういう人たちは、皆さん、「良い景色だなあ。」と思ってくれるわけですから、きっと、多分、何年か経ったのちに、いすみ鉄道で見た沿線の景色を懐かしく思ってくれて、それが原風景になる人もいるのではないかと思います。
お父さんお母さんに連れられたちびっ子たちや、中学生、高校生、そして若い人たちが、いすみ鉄道で初めて見るキハが走る景色を、何十年後かに懐かしく思ってくれるとしたら、それは私が懐かしく思っているディーゼル急行や蒸気機関車が走る原風景と同じように、彼らの心の中にも原風景として残るはずですから、私は、ローカル線を大切にすることで、日本の良さというものを、次の世代につないでいくことができるのではないかと考えているのであります。
ローカル線を守ることは、イコール、日本の原風景を守り、後世に伝えていくことです。
そうすれば、日本人同士、世代を超えて同じ価値観を共有することができるのではないでしょうか。
もし、日本が先進国だというのであれば、私は、こういうことをきちんとできるようでなければならないと思います。
経済的に無駄だから、ローカル線は廃止にしようなどと、リーダーが二言目には口にするような国は、先進国とは言わないのです。
それが私がヨーロッパの社会から学んだことなのです。



本日のいすみ鉄道。
稲が青々としてきました。
キハの上をトンボが飛んでいます。
原風景というのは切り取った1枚の写真ではありません。
風があって、匂いがあって、虫たちの声も聞こえます。
つまり、体験なんです。
だから、私は以前から言っているのですよ。
「写真を撮りに来るだけでもいいから、とにかくいらっしゃい。」とね。