あなたは古いのが好きですか? それとも

あなたは古いものが好きですか?
それとも、新しいものが好きですか?
実に大ざっぱな質問で恐縮ですが、言いたいことはわかっていただけるのではないかと思います。
端的に言うと、「田舎の人たちは古いものが嫌いです。」
そして、「都会の人たちは古いものが好きです。」
ということが言えます。
多分、日本全国同じだと思います。
だから、新しいものが好きな人たちは田舎的であり、古いものに味を感じると思う人たちは都会的ということです。
田舎は田んぼや小川など昔ながらの風景に囲まれていますし、東京はすべての物がどんどん新しくなっていくから、お互いにないものねだりなのかもしれません。
日本が高度経済成長を迎えたころ、都会と田舎では発展の度合いに差がありました。
どういう差かというと、新しい物はまずは都会から普及するということで、例えば都会では水洗トイレが当たり前なのに、田舎ではまだまだ汲み取り式が多かったり、都会ではピカピカの新型電車が走っているのに、田舎では汽車が煙を吐いて走っていたりしたのです。
こういう時代が昭和30年代から、たぶんバブルが崩壊する頃まで続いたのが日本という国です。
若い人たちは、「こんな田舎じゃだめだから」と言って、みんな都会へ出かけて行ってしまいました。
中には、「俺は田舎に残る。」と頑張った人たちもいたけれど、都会へ行くと、仕事も多く、物も豊かでしたから、どうしても田舎に残って頑張っている人たちに分が悪いわけです。
日本全国がそういう状態でしたから、田舎の人は都会が素晴らしいところだと考えるようになる。
そう思うということは、裏を返せば、田舎じゃだめだということになりますし、こんな田舎ではどうしようもない、と考えるのが一般的になります。
だから、田舎の人たちは都会への憧れの気持ちで、新しいものが素晴らしいと思うようになっていって、自分たちの周りにある古いものはダメだと考えるようになったのです。
ところが、都会の人はどうでしょうか。
都会では新しいものなど、次から次に出てきて飽和状態。
そんな都会の生活の中で、ふと気が付くと、田舎には古いものが残っているわけです。
日本語で一言で言うとすれば「郷愁」ということになると思いますが、かつて、高度経済成長真っ只中の時代、次々と消えていく蒸気機関車にあれほど注目が集まったことを思いだせば、都会人の中に、そういう郷愁という感情があることがわかります。
つまり、都会の人は新しいものには興味がなくて、古いものが好きなんです。
私が子供の頃、次々と廃止される蒸気機関車を追いかけて、日本全国の田舎に人が集まりましたが、田舎の人たちは、「こんなもの早くなくなって、新型のディーゼルや、電車になれば良い。」と思っていました。
新しい列車が走りだすことで、自分たちの町も進歩したと思い込んでいたのですね。
商売というのは原則を守ることが大切だと松下幸之助先生を始め、過去の偉人たちが皆さんそう言っておられますが、その商売の原則の一つに、「有無相通じる」ということがあります。
これは、一方にあって他方にないものを融通することでうまくいくということですが、例えば山の物を海にもって行くことで、または海の物を山にもって行くということで商売が成り立つ。
山には新鮮な魚はありませんから、海で獲れた新鮮な魚を山にもって行けば商売になるということです。
これと同じように、都会人が求めている古いものはローカル線にあって、鉄道だけじゃなくて沿線各所に残っている景色も含めて、ローカル線には都会人が喜ぶものがたくさんあるということが、私が提唱しているローカル線ビジネスです。
都会の人がないものねだりをしているのなら、それをプロデュースして提供しましょうということですが、私がなぜそういうことを考えたかといえば、東京で少年時代を過ごした都会っ子だからです。
でも、都会生活を経験したことがない田舎の人、つまり地元の人たちにはそれがわからなかった。
4年前に就任した当初、人っ子一人いない国吉駅のホームに立って、
「ここにはお金がたくさん落ちています。」
と言ったのも、商売のタネになるものがたくさんありますよ。それは都会の人が喜んでくれるものがいっぱいあるということですよ。という意味です。
そういう意味では、都会からの距離を考えると、いすみ鉄道沿線は「古いものの宝庫」であって、それがまさしく「昭和の原風景」でありますから、その風景に似合うキハ52やキハ28を走らせることで、風景そのものが引き立ちますし、都会からお客様がたくさんいらしていただけるということは、私は確信していたのです。
当時、私が田んぼの中の無人駅に「お店」を作ると言ったら、地元の人たちは散々バカにしました。
「こんなところに店を作って誰が買いに来るのか?」
「観光客が来ますよ。」
「観光客? 来るわけないだろう、こんなところに。」
地元の人たちは、自分たちが住む町を「こんなところ」と思っていたのです。
私は、ここは素晴らしいところだから、房総半島で一番の観光地になる。
そう確信していましたし、日本全国の観光地の隆盛や衰退を見ていますから、どうすれば盛り上がり、どうすれば廃れるかも知っています。
でも、地元の人たちは外を見て勉強しようと思っていなかったし、してきていなかった。つまり、自分たちの町を活性化させる知識も経験も持っていないのに、年齢だけは重ねていたから、外から来た若い人間の言うことに素直に耳を貸すこともできなくなっていたのです。
私の言葉に素直に耳を傾けて、「それはいい。」「それしかこの町が生き残る方法はない。」と応援してくれた方々は、皆さん都会生活を経験されているか、いろいろ他の地域を見て勉強されていらっしゃる方々でしたが、大きな目に見えない力が、そういう人たちの口を封じようとし、排他的行為に出てきているのも目の前で見てきました。
いすみ鉄道沿線は、少しずつ変わり始めましたが、私から見たらまだまだです。
自分では何もしないのに、人を批判したり、自分は口だけ出して、手は貸さないという人が高齢の人に多く、つまり、「私、言う人。あたな、やる人」状態なのですが、そういう人たちがリーダーをやっている組織はダメです。
なぜなら、自分が実際にやるんだという実現可能なプランを出せないからで、自分たちでは物事が決められなくなっている。
これは日本全国同じなんですね。
私は昔から思っていました。
ローカル線というのは地元の人たちに任せておくとダメになる。
ダメになるんじゃなくて、ダメにしてしまうわけです。
自分たちの町を「こんなところ」って言ってる人達ですから、都会人が見たら宝のようなローカル線を、「こんなものいらないよ。」と、何も策を講じないまま捨ててしまうということが、過去40年間全国で見られてきたのです。
だから、それと同じように、田舎の町そのものも、そこに住んでいる田舎の人たちに任せていてはダメになると思います。
そんなこと、余計なお世話だ。俺達はこの町で静かに生活できればそれでいいんだ。観光客なんかに来てもらうのは迷惑だから、黙っていてくれ。
今でも、はっきりとそう言う人たちもいます。
でも、それって、食いつぶしの発想なんです。
自分たちの町だから自分たちの好きにする。
そういう発想の根幹には次の世代の人々、さらにその次の世代の人々にこの町を受け渡していくという発想が欠如しているわけで、「自分たちさえ良ければそれで良いんだ。」という、とても恥ずかしい考え方なんです。
田舎の人の中には、そういうこともわからない人がたくさんいるということなんです。
でも、そんな現象の中、いすみ鉄道沿線は確実に変わってきています。
なぜなら、外からいろいろな人たちがやってきているから。
外からやってきている人たちがどこへきていて、誰と交流を持っているか。
町おこしと呼ばれる活動は、実際にはだれがやっているのか。
いまだに外からきている人たちに対して交流を持とうとしない人は誰なのか。
交流を持とうとしないだけでなく、チャンスがあればつぶそうとしているのは誰なのか。
そこにはどういう考え方の特長があり、排除しようとする意思決定プロセスが働くのか。
そして、それぞれの人たちがどういう動きをしているのか。
そろそろ白日の下に出しても良いかもしれませんね。
3冊目のビジネス書として、準備を開始する時期に来ているようです。
日本全国の田舎の発展のために。