昭和は誰のもの。

昨日は昭和の日。
昔は天皇誕生日と言われていました。
昭和天皇のお誕生日ですから昭和の日です。
いすみ鉄道のキハ52は昭和の国鉄を再現した観光急行列車として2年前の昭和の日に運転を開始しました。
そして、昨年の昭和の日にはボンネットバスや昭和の自動車が集結する「みんなでしあわせになるまつり」を開催し、今年はその第2回目として昨日、おとといの2日間、国吉駅近くの苅谷商店街で「みんしあ」を行い、たいへんな人気だったのです。
昨今は「昭和ブーム」と言われていますが、昭和がブームになるのはどうしてなのか、私はこう考えています。
まず、人間という生きものは、良い思い出は記憶して、悪い思い出はできるだけ忘れようとする動物だと思います。
だから、過ぎ去った過去はいつもやさしく感じるのです。
本当は、昭和ってつらい時代だったと思います。
何しろ、今のように何でもそろっているわけではなく、不便なのが当たり前でしたから。
モノ不足で物価も高く、いろいろなものがなかなか手に入らなかった。
例えば、私が覚えている値段の一つで、小学校4年生(1970年・昭和45年)の誕生日に買ってもらったミッキーマウスの腕時計。
バンドが皮じゃなくてファブリックの物でしたが、2800円でした。
最初のカメラは同じころ、オリンパスのトリップ35という、いわゆるバカチョンカメラで、12000円ぐらいしていました。
こういう時代を過ごしてきましたので、昭和は本当は辛くて苦しい時代だったのですが、人間の特性を考えると、「過ぎ去った過去は常にやさしい。」わけですから、良い時代だったと思うのです。
第2に、人間というものは、だいたい30年から50年前の時代を懐かしく思う動物だということです。
大人になると、自分が子供だった時代が懐かしくなるというのがこれです。
今、昭和レトロと言われていますが、私が子供だったころは、レトロと言えば「大正時代から戦前にかけて」が定番で、大正浪漫などと言われていました。
SLやまぐち号の客車が20年ぐらい前にアコモ改造を受けた時のテーマが、明治、大正、昭和だったように記憶していますが、今年は2013年。昭和で換算すると昭和88年ですから、明治はもちろんですが、大正時代を知っている人も顧客としてのマーケットになりませんから、大正浪漫の時代も完全に終わっているわけです。
だから、あと20~30年もすると、もしかしたら「昭和レトロ」も終わっているのかもしれません。
昭和がブームになる理由の3つ目は、若い人たちにも受け入れられるということがあると思います。
私たちが子供だったころは高度経済成長期で、何から何まで新しくなっていった時代。
そういう時代は、とにかく古いものが格好悪かった時代です。
つまり、古いものはダサい時代でした。
だから、何でもかんでも新しくしようとしたし、進化は東京から始まっていましたから、田舎はダサくて、若い人は皆東京へ行ってしまうような現象が見られました。
でも、今はそういう時代ではありませんし、逆に、古いものを大切にしようという人たちも多くなりました。
旧型自動車のお祭りをやってみても、大人たちは「うわ~、懐かしい。」と歓声を上げるのに対して、昭和を知らない若い人たちは、「この車、可愛い。」とか、「これが日本車ですか?」と、新鮮な目で興味津々なのですから、昭和の人間にとってみれば、ある種の驚きです。


さて、以上のような理由から、平成25年の今、まさに昭和ブームなのですが、私がいすみ鉄道で昭和を再現しているのは、以上のような理由があることに気が付いたのはもちろんですが、それ以外にも2つ理由があります。
その1つは、昭和というのは、世代を超えて受け入れられる時代だということです。
前述のように、大人たち(40代以上80代位までを含む)が懐かしいと思うのはもちろんですが、昭和を体験していない30代以下の世代の人たちにも受け入れられる。ということは、マーケットがとても大きいわけです。
簡単に言うと、いすみ鉄道のキハ28・52は、おじいちゃん、お父さん、子どもの親子3代で楽しめる観光列車だということです。
これが、ディズニーランドなどのアトラクションと違うところです。
もう1つは、お客様が自分で好きに楽しめるということです。
いすみ鉄道の大多喜駅の売店には昭和の映画のポスターが掲げてあります。
いすみ鉄道が存続をかけてビジネス展開をしていた3年前にこのお店を開店させたときに、できるだけ費用を掛けないようにと、私のコレクションを持ってきて展示したのが始まりです。
ところが、お客様からしてみると、一歩お店に足を踏み入れた途端、懐かしいポスターに目が留まる。
すると、その瞬間から、お客様それぞれの思い出の世界が展開するわけです。
「百恵・友和シリーズ」や「セーラー服と機関銃」など、映画というよりも、その映画が流行っていたころ、自分は何歳で、何をしていたかという、映画に関連する記憶が、お客様それぞれの頭の中に蘇るから、懐かしいわけです。
キハ28やキハ52もそうです。
こういう車両が走っていた時代に、自分は何歳でどこで何をしていたか。
例えば、私の場合、小学生の頃、両国駅から急行「そと房」に乗って勝浦のおばあちゃんの家に遊びに来ていて、そのころは大網の駅で列車がスイッチバックのために数分間停まるので、大網駅では必ず親からアイスクリームを買ってもらうというのがお約束だった。
その後、房総は電化されたけど、リュックサックをしょって東北、北海道を旅すると、必ずこのディーゼルカーだったし、窮屈な夜行列車で一晩旅したことの思い出がよみがえるわけです。
つまり、人それぞれの記憶の中の思い出と、鉄道車両がリンクしているから、人間の数だけ思い出がある。
これが、いすみ鉄道という小さな経営規模の会社にふさわしい営業ツールだと思ったからです。
私はローカル線というのは、素材を提供するビジネスだと考えています。
列車が時刻表通りに、安全、正確に走っている。
これが素材です。
ローカル線にいらっしゃるお客様は、その「素材」を、自分なりに料理しなければなりません。
これがローカル線の楽しみです。
そういう時に、「昭和」を取り入れれば、お客様が自分で自分の思い出の世界に浸っていただけるから、実に手がかからない。
お客様に手取り足取りサービスを提供する必要がないわけです。
今の時代、人件費が一番大きなコストですから、スタッフの数を少なくして、それでも提供できるサービスが「昭和」というわけです。
また、キハ28・52といった国鉄形車両というのは全国で走っていました。
だから、九州の人も北海道の人も、キハを懐かしく思い出すわけです。
いすみ鉄道に初めてやってきて、初めてキハに乗る人たちも、「懐かしいふるさと」を感じていただくことができるわけですから、ツールとしては最強なのです。
以上が、私が考える昭和ブームで、いすみ鉄道がその昭和をビジネスに取り入れている理由です。
だから、いすみ鉄道に「手取り足取り」を求めてくるようなお客様は、いすみ鉄道でご満足頂くことは不可能ですし、「こんな何もないところのどこが楽しいのかしら。」となるのです。
昨日も、お祭り会場で文句を言っている母子連れを見かけました。
「もう2度と来るところじゃないね。何もないし。」
そういう会話が聞こえてきましたが、確かにその通りです。
いすみ鉄道は誰でもがご満足いただける万人受けする観光地ではありませんから、そういう人は、観光としてはいすみ鉄道のお客様にはなれないということなのです。

「ここには何もないがあります。」
これがいすみ鉄道のポスターに書かれている言葉。
これを理解できる人だけがご満足いただけるのがローカル線なのだと思います。

先日、取材に訪れたテレビ局のクルー。
昭和で元気になるというテーマで、いすみ鉄道がそのテーマにぴったりだということでいらしていただきました。
テレビ朝日のスーパーJチャンネル。本日30日の放映だそうです。
皆様どうぞご覧ください。