プラスアルファ―の仕事

「航空会社と鉄道会社の大きな違いって何ですか?」
先日、ある会議の席上で、国土交通省の若い職員の方から、このように質問された。
会議の合間のわずかの時間を見つけて、私にこのように話しかけてこられるのだから、勉強家に違いないし、将来の日本をしょって立つことになるかもしれない人だから、いい加減に答えることもできない。
しばらく考えて、私はこう答えた。
「鉄道の運転士さんで、自分が運んでいるお客様がトータルでいくらになっているのかを考えている人はまずいないでしょう。でも、航空会社では、パイロットたちは、自分のフライトがいくらになっているか、会社が儲かっているのか、損失を出しているのかを常に考えていますよ。これが大きな違いだと思います。」と。
飛行機を運航する場合、フライト前に打ち合わせを行います。
例えば、
成田発ロンドン行、○○便、お客様の数、ファースト10名、ビジネス50名、エコノミー200名、貨物12トン、郵便1トン、特殊貨物・危険品なし。使用予定燃料120トン、離陸重量360トン。
途中の天候は、○○部分で揺れが予想される以外はおおむね順調。
目的地の天候は晴れ。
代替着陸地はガトウィック。
こんなやり取りがあって、では、代替目的地までの分を含んで最終的に燃料を130トンにしましょう、となる。
こういうことを毎回毎回フライトの度にやるから、「今日は重い」「今日は軽い」からはじまって、機長たちは「これじゃあ、会社がもうからない。」とか、「今日のフライトでは俺たちはお金を稼いでいるな。」などと確認するのである。
ときどき、並行する他社便が遅れていることがある。
「30分後に出る○○航空が遅れているので、ビジネスクラスを10名ぐらい受けたいのだけれど、少し出発を遅らせて待てるか?」と機長に聞くと、
「今日のフライトタイムは予定より30分以上短くなるし、管制も混雑していないから、待てるよ。機内食は大丈夫か?」
「ファーストに余分に積んであるから、うちのゴールドのお客様を数名ビジネスからファーストにアップグレードすれば賄えると客室責任者が言うし、私もそれでいけると思う。」
「よし、じゃあそれで行こう。ところで、俺たちが待つことで、いくらエクストラ収入になるのか?」
「だいたい、500万円だね。」
「よし、よし、それじゃあみんなハッピーだな。」
と、こうなるのである。
もちろん、このようにすべての手配を取って、フライト1本ごとに会社に最大の利益をもたらすようにするのが、管理者である私の仕事であったけれど、機長、副操縦士、カウンター責任者、エンジニア、客室責任者など、フライトにかかわるすべての職員が、「今日のこのフライトがいくらになるのか。」「それで会社は利益が出るのか。」といったことを毎日考えているのが航空会社なのです。
それに比べると、鉄道会社では、例えば東京発新大阪行の「のぞみ」の運転士さんが、自分が運転する列車は、利益を出しているのかどうか、とか、1人当たりの客単価がいくらで、合計で何百名乗っているから、会社にいくらの現金収入をもたらしているかなど、考えて運転しているなんて話は聞いたことがない。
車掌さんが「ただ今、グリーン車に空席がございます。1席4000円ですが、ご希望のお客様はいらっしゃいますか?」というようなアナウンスをしているのも聞いたことがない。
(航空会社では出発前の搭乗口で「ただ今、スーパーシート(クラスJ)に空席がございます。」とアナウンスを入れることは当たり前に行われています。)
国鉄時代は、「国民から儲けてはいけない。」「儲けることは罪悪だ。」ってみんな口に出して言っていたから、運転士さんだって、経営とか、営業や金銭的なことを考えることは事故につながるから、「余計なことは考えずに運転に専念していろ。」というふうな伝統になっているのだろう思う。
私としてみれば、出発前に自分の預かる列車がどのぐらいの金額を会社にもたらすのかを考えることが、どうして安全を切り崩すことに直結するのか、明確な関連性は見られないと思うけど、とにかく、余計なことは考えず、余計なことはしないし、言わない方が、「何かあったときのために」自分を守ることになる、というような消極的な発想の方が、現場当事者にとってみれば楽なことは確かだ。
鉄道の現場というのは、たくさんの規定があるから、その規定に従ってやっている限り、「自分には落ち度がない。」と守りに入っているような考え方があるだろうから、目の前で車輌から煙が噴き出して、どう考えても乗客を避難させなければならない状況に陥っても、100キロ以上はなれたセンターの指示が「待機せよ。」であれば、命に係わる状況であったとしても、自分では判断できない(判断しない)なんてことが起きるのだと思う。
でも、航空会社だって鉄道会社以上にたくさんの規定があるし、安全性についてだって、鉄道会社とは比べ物にならないほど厳しいのである。
そんなことは百も承知の上で、それらをすべてクリアした前提で、航空会社では、パイロットたちは、自分たちがいくらのお金を会社にもたらしているか、常に考えて運航している。
だから、実際の運航で、悪天候で目的地に着陸するか、それとも引き返すか、といった判断をしなければならなくなったときに、その判断基準に金銭的な利益が介入しない思考回路を長年にわたって訓練しているし、それが「機長」という「長」がつく人間に求められることだから、パイロットが自分たちのフライトがいくらになっているかを考えることが、イコール、安全性に直接かかわることだなんて議論は、航空会社では20年以上も前に卒業している。
でも、鉄道会社では、まだ、その議論の入り口にも立っていないのではないか。
このような考えを、若い職員の方に申し上げたのである。
鉄道業界しか知らない方からは、反論もおありかと思いますが、航空業界では、運航規定など、すべてを順守したうえで、自分がプラスアルファ―、お客様や会社のために何ができるかを考えることは、運航にかかわる職員としてすでに常識となっていて、考え方としては成熟しているものなのであります。
だから、私は何も、新幹線の運転士にコスト計算をしろ、と言っているのではなくて、規定に従ってさえいれば、自分は正当である、という考え方で自分の身を守るような消極的な仕事の仕方ではなく、鉄道会社でも、ある程度の職員になれば、自分の判断で、お客様のために、会社のために、プラスアルファ―の仕事をすることができるような社内の土壌づくりをする方が、結果としてより良い輸送サービスを提供し、会社により多い利益をもたらすことができると考えるのである。
「余計なことを考えるな。」「余計な仕事をするな」と言って、つぶすことはないのである。
もっとも、管理する側から見れば、規定に従っているかどうかを見る方が簡単だし、特別な管理能力や判断力も問われないから、大きな組織になればなるほど管理者側でも余計なことはしないのだろう。
でも、航空会社の営業規模の方が、鉄道会社よりはるかに大きくて、その航空会社で常識として行われていることが、航空会社より営業規模が小さい鉄道会社でできないはずはないと私は考える。
やる気になればの話ではあるが。
ところで、いすみ鉄道はどうかというと、1両編成のワンマンカーで、運転士が後ろを振り向けば、何人のお客様が乗っているか一目瞭然だから、いすみ鉄道の運転士さんたちは、自分たちがいくらの仕事をしているのか、会社に現金収入をもたらしているのか、それともロスを与えているのかといったことに毎日毎日敏感になっている。
家族連れなどの観光客が乗っていれば、「お客さん、この先の鉄橋にムーミンがいますよ。」ってアナウンスを入れて、列車の速度を落とすなんてことは、規定にはないけれど(規定違反ではないから)、運転士が自分で考え、自分で判断してやっているのである。
「社長、今日はお客さんが多くていいですね。」
「小さな子供連れがたくさん乗ってきて、みんなうれしそうですよ。」
なんて報告が、乗務員から毎日のように私に上がってくるような、
そんな雰囲気が、いすみ鉄道の社内には流れているのです。