同級生と会いました。

昨日は地域活性化シンポジウムに出席するためにお台場のホテルへ行きました。
FACEBOOKで、「今日はお台場へ行きます。」と書きましたところ、私の高校時代の同級生の高瀬くんが電話をくれました。
彼はテレビマンで、
「今日はフジテレビで打ち合わせをしてるから、ちょっと会おうよ。」
私もシンポジウムまで少し時間がありましたので、ホテルのコーヒーショップで会いました。

高瀬くんは当時椎名町に住んでいて、私は板橋でしたので、オートバイに乗ってよく遊びに行きました。
彼も「鉄」で、彼のお父さんも「鉄」でしたから、結構仲良かったんですが、私は国鉄派で彼はローカル私鉄派。
私は国鉄の本線を走る機関車が引く急行列車が好きで、荷物車、A寝台、B寝台、グリーン車、普通車の編成が美しいと思っていましたが、高瀬くんは当時まだ現役だった尾小屋や下津井、別府(べふ)などに凝っていました。
たぶん、鉄分の濃いお父さんの影響だったのでしょう。
二人で文化祭の8ミリ映画を撮ったりして遊んでいたのですが、彼はその後日本テレビに入社してテレビマンに。私は自分で前面展望映像などを制作していますから、36~7年経ってもやってることは変わらないわけです。
ちょうど東日本大震災があって少し落ち着いた時に、彼がいすみ鉄道を訪ねてきてくれて、こう言うんです。
「鳥塚、今、いすみ鉄道チャンスだよ。」
私が理由を尋ねると、
1:震災でテレビ局は広告収入が入らなくなってしまった。
2:レポーターやカメラクルーをずっと被災地へ出張させて経費がかさんでいる。
3:夏休みを前に、世の中そろそろ明るい話題が欲しくなってきている。
4:それにはローカル線の旅番組が一番視聴率を稼げるし人気が出る。
5:いすみ鉄道ならば、東京から日帰りできるから俳優を宿泊させる必要がないので経費もかからない。
と、彼はこう言ったのです。
そこで私はいろいろなところへ働きかけて、いすみ鉄道は企画から相談に乗ります。どういうシーンが撮りたいか、ご相談に応じますと、テレビ局が望むようなことを探って営業をかけたんです。
いすみ鉄道は菜の花の季節に一番お客様が集まります。
観光というのは「先取り」が肝心ですから、1月の終わりから2月はじめには花が咲く房総半島は「先取り」にはもってこいです。
毎年、1月下旬になると春の番組企画で、いろいろなテレビ局が取材に来てくれます。
その時、必ず聞かれるのは「菜の花の映像はありませんか?」ということ。
1月、2月に菜の花の映像が撮れるわけありませんが、春の観光シーズンを前にした番組としては菜の花の映像が必要ですから、私は前年に自分で撮影した菜の花の中を走るいすみ鉄道の映像を簡単に編集したものをテレビ番組の制作の人に「これお使いください」と渡したりするんです。
季節外れに菜の花の中を走るいすみ鉄道がテレビで流れたら、それは私が撮影した映像なんです。
そうやって、いすみ鉄道に相談すれば、助けてくれる。何とかしてくれるという体制を作り上げたんですね。
テレビ番組というのはテレビ局が作っているわけじゃなくて、制作会社が作っています。そして、その制作会社は一つの局だけじゃなくて、いろいろなテレビ局の番組を作っています。
だから、何でも協力しますよとサービスすると、今度はほかの番組の企画会議の時などに、「鉄道シーンならいすみ鉄道で撮れますよ。あそこは昭和の絵が撮れるし協力的ですから。」と提案してくれるわけです。
今、いすみ鉄道は週に何度もいろいろな局の番組に出していただいています。
旅番組、ドラマ、再現フィルム、映画、CM、PVなどなど、いろいろなジャンルにも対応しています。
こういうことができるようになったきっかけを作ってくれたのが、私の高校時代の同級生の高瀬くんなんです。
つまり、私は個人的な人脈でもなんでも、利用できるものは利用して、いすみ鉄道や大多喜町、いすみ市を全国区にしているということなのです。
これは、おそらく年間数千万円の価値があると私は自負していますが、客観的な数字で表されるものではありませんから、そういうことは地元ではなかなか理解も評価もされないんですね。
でも、いすみ鉄道があるから、地元がこれだけテレビで紹介されて、有名になってきたというのは紛れもない事実なんですね。
本多忠勝公も有名ですが、ここ数年はいすみ鉄道の貢献度の方がはるかに大きいということなんです。
今度、高瀬くんとNゲージをやりながらお酒を飲みたいね、なんて話をしましたが、早くしないと目も見えなくなるし、指も動かなくなる、そういう年齢になったんだと実感します。
二人で「鉄」をやってた頃は、上野から「八甲田」「津軽」「十和田」などの急行列車が当たり前のように出ていた時代ですからね。
もう、二人とも初老の域に入りそうな今日この頃なのです。