キハの価値

国鉄形車両は長年にわたって全国各地で活躍してきました。

私はキハ52、キハ28を導入したのはこの国鉄形車両を保存しようと思ったのはもちろんですが、全国各地で活躍してきた車両というのは、全国各地の皆様方に懐かしいと思っていただけると考えたからです。

北海道から九州まで、非電化区間はもちろんですが、東京、名古屋、大阪、福岡、札幌といった大都市区間にまで長編成で堂々と乗り入れていた国鉄形の気動車は、それだけ思い出に残っている人が多くいらっしゃるはずで、そういう全国ご出身の方に懐かしく思っていただける。

「そういえばこの車両に乗って故郷を後に都会へ向かったんだ。」

などという思い出を持った人たちがたくさんいれば、たとえ千葉県に思い出がない人でも、初めて房総半島に来た人にでも「ああ、懐かしいなあ」と感じていただければ、その人たちにとって千葉県の房総半島を第二の故郷にしていただけるかもしれません。

ローカル鉄道というものはそういう役割があると思っていましたから、3両の気動車を導入したのです。

なぜ3両か。
キハ52は国鉄一般形車両。
キハ28は国鉄急行形車両。
キハ30は国鉄通勤形車両。

気動車王国時代の千葉県には特急列車は設定されていませんでしたので、この3両は千葉県の代表車種であり、日本の気動車史上歴史に残る車両だからです。

というようなことを、能登半島の地震でのと鉄道が大きな被害を受けて、私は20年前に自分で撮影したDVD、「リバイバル能登路」を見返していて思ったのです。

のと鉄道は他の3セクと違って第2種鉄道事業者です。
つまり線路はJR西日本が所有していて、JR西日本は会社の役割の一つとして大きく「地域貢献」をうたっておりますから、さっそく復旧に取り掛かりまして、すでに七尾から能登中島までは開通し、残る穴水までの区間も4月中には運転再開できる見通しです。

こういうありがたい路線がのと鉄道ですが、でも、ずっと以前に大部分の線路を廃止してしまいました。

2001年に七尾線(穴水-輪島間)廃止、
2005年には能登線の穴水-蛸島間が廃止されていますが、その前年の2004年8月にリバイバル運転された急行「能登路」に私は乗車して、運転席からカメラを構えて全区間の前面展望を撮影しているのです。

その時乗車した車両がキハ28・キハ58の2両編成。
この土日、時間があったので家のハードディスクの中を探していたら、今から20年も前の「能登路」の写真が出てきました。

なんだか懐かしいわ。
もう、線路もなければ車両もないのですからね。
記録しておいてよかったなあとは思いますが、松波駅で列車のデッキに乗り込もうとしている小さな男の子。
この時から20年が経過しているのですから、トキ鉄の若手運転士ぐらいの年齢ですよね。
だとするとうちの若手運転士の中にも、このころから鉄道に興味を持って、今、一生懸命乗務している人がいるかもしれません。

今、トキ鉄で走っている455・413も、こうしてちびっ子たちに親しんでもらえれば、ローカル鉄道に未来は開けるわけですし、九州から東北までの広い範囲で活躍した国鉄形車両ですから、新潟県に始めてくる方でも「懐かしい」と思っていただけるコンテンツとして、地域に好印象を持っていただけるのではないかと私は考えます。

そんな国鉄形のキハを、私が房総半島を去った後も、会社がもう要らないと言った後も、一生懸命守り続けてくれている人がいます。

御宿(おんじゅく)の鈴木和之さんです。

彼は確か昭和48年ごろの生まれだったはずで、御宿生まれの御宿育ち。
房総東線が外房線と呼ばれた時代ですが、やっぱり子供のころから鉄道を見て育ったのですから、今でも鉄道が好きで地元の鉄道に残る国鉄形の車両を何とか後世につなぎたいと頑張ってくれています。

その鈴木和之さんが、「国鉄形気動車保存会」というのを立ち上げて、会社とは全く別の組織としてキハ28を残すクラウドファンディングを始めてくれています。

この車両、キハ28‐2346は昭和39年に落成して最初に配属されたのは千葉県で、房総半島で走った経歴の持ち主です。

以前にも書いたかもしれませんが、当時の千葉というところは海水浴需要が旺盛で、夏の期間中は夏季ダイヤという特別なダイヤが組まれてたくさんの海水浴臨時列車が走っていました。

つまり、夏の間だけ車両が足りないのです。

で、当時の国鉄は当年に導入する新車を夏前までに落成させ、まずは千葉県に配属させます。そして、7~8月の海水浴臨時列車に使用した後に本当の配属先に送り込むということをやっていました。
このキハ28‐2346も同様で、落成当初、昭和39年の夏に千葉に配属され、内房、外房などの海水浴臨時輸送に活躍した後に、本来の配属先である米子に送られて、生涯をJR西日本エリアで送ったという車両なのです。
そして2013年に引退したところを私が譲り受けて千葉県の房総半島に里帰りして、いすみ地域を全国区にしたレストラン列車として活躍したのです。

今、全国各地でレストラン列車やグルメ列車が走っていますが、このキハ28が果たした役割は相当に大きなものです。
何しろ、あのななつ星が走り始める前ですからね。

そういう経歴を全部知っている鈴木さんが、「何とか残したい」ということで、一生懸命頑張ってくれているのです。

鈴木さんから残したいという話を聞いたときに、私は「ただ単に貴重だから残したい、じゃあダメですよ。きちんと残って行けるような仕組みを作らないと。」と申し上げました。

で、彼が考えたのが運転体験用の車両として残すということです。

運転体験であればある程度のお金が稼げます。
収入があれば、維持管理していくための費用が捻出できます。
商売ベースに乗せることを嫌う人もいらっしゃいますが、霞を食って生きていくことはできませんから、何らかの経済的なシステムが必要です。
そして、そうすることで動態で残せるのであれば、私は「やってみなはれ!」ということで、応援のメッセージも送らせていただきました。

こういうことは、ダビンチのモナリザと同じです。
価値を理解できる人には理解できますが、理解できない人には全く理解できないと思います。

いわゆる唐変木に問いかけても仕方ありませんが、私のブログをご愛読いただいていらっしゃる皆様でしたら、ご理解いただけるのではないでしょうか。

ということで、

キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に。

どうぞよろしくお願いいたします。

そして、その国鉄形の走行シーンとはどういうものか。
急行「能登路」を記録した私のDVDをYoutubeにUPしましたので、のと鉄道さんと能登半島の皆様方の復旧復興を祈念して公開いたします。

いつもはDMMオンラインサロン会員様限定の公開ですが、今回は特別公開ですので皆様どうぞご覧ください。
パート1からパート3まで、全4時間以上の2004年の能登半島の旅です。

パシナ倶楽部 急行「能登路」① 金沢⇒七尾 2004年8月

【パシナ倶楽部】急行「能登路」 ② (七尾⇒宇出津)キハ28-2119

【パシナ倶楽部】急行「能登路」③ 宇出津⇒珠洲 キハ28-2119

リバイバル急行「能登路」DVD
復路のパート4~6(珠洲⇒甲⇒七尾⇒金沢)は現在発売中ですので、よろしければこちらでお申し込みください。(これは宣伝です)

https://www.pacina.co.jp/shopdetail/000000000682/