とうへんぼくのすっとこどっこい

小田急線に唐木田(からきだ)という駅があります。

子供の頃にはなかった駅ですが、最初に「唐木田行」という電車を見たとき、私はすでに大人になっていましたが、「えっ? とうへんぼく行?」って思いました。

唐変木。

唐木田に似てませんか?

ブログに唐変木って書いたら、「唐変木って何ですか?」と聞かれました。

そうか、そういう言葉はもう死語なのかな?

まぁ、確かに今では使いませんよね。

こちとら江戸っ子なもので、子供の頃は爺さん、婆さんの年齢の人たちはよく使ってました。

「とうへんぼく」
そして
「すっとこどっこい」
あと
「でれすけあんぽんたん」
ってものあった。

気が利かない、間抜け、ボーっとしている、でくのぼう、大馬鹿野郎というような意味です。
差別用語でも放送禁止用語でもないと思いますが、これを言われちゃうと江戸っ子としては癪に障る言葉です。

別に江戸っ子を自慢するわけじゃあありません。
江戸っ子というのは悲しいもので、私の世代などはひとことで言うと故郷がない。
だから子供のころから地方に強いあこがれを持っていて、お江戸には未練もなく今でもこうして地方に住んでいるわけなのでありますが、何しろ明治維新の時には江戸っ子は50万人しかいなくて、その頃新潟県の人口は600万人ですから、つまりは江戸ってのはそんな場所だということです。
江戸っ子だからと言って自慢できるわけじゃあありません。

だって、その後の人口増加で江戸っ子は増えたんですけど、ほとんどが明治の時代に田舎じゃあ食えない二男坊三男坊が、家を出されてたどり着いたところが東京ですからね。

私は鳥塚という苗字ですが、母親の苗字は清野。
出は福島です。
明治生まれのおじいちゃんという人が飯坂から出てきました。
一人で出てこないで、兄弟3人で出てきた。
長男は家に残ることができたけど、それ以外は田舎では食っていけなかったんでしょうね。
3人で東京に出てきて板橋に住んで、始めた仕事はよいとまけ。
簡単に言うと土方大工です。

土方仕事の時に、みんなで力を合わせるときにかける言葉があるでしょう。

「せーの!」って。

苗字が清野でしょ。

「せーの!」って掛け声をかけられるとなんだかバカにされてるみたいで腹が立ったので、「きよの」と呼び方を変えた。
3兄弟一緒に「せいの」から「きよの」に変えたんだって、おじいちゃんが言ってたとおじさんから聞いたことがあります。

母親の母親、つまりおばあちゃんですが、こちらは土湯温泉の加藤という染物屋の娘。やっぱり田舎では食べていかれないから、先に東京へ出た清野のお兄さんと一緒になったのでしょう。

父方のおばあちゃんは房総半島の興津の出身。
旧姓は尾崎と言って、興津の漁師さんです。

つまり、皆さん明治から大正の初期に東京に出てきたということは、私は3代目なわけで、「江戸っ子は3代続くと馬鹿になる」という、そのものずばりの3代目なのでありますから、江戸っ子を自慢しているわけじゃあないのです。
自慢していると感じるあなたは、東京に対するあこがれがある人ということで、つまりは田舎モンということになりますから、あまり腹を立てない方が良いと思います。
なぜなら唐変木と言われちゃいますから。

もっとも父方のおじいちゃんの方はずっと以前から東京に住んでいたようですが、前に話したことがあると思いますが、東京の築地で育った父は戦争が激しくなっておばあちゃんの実家がある千葉の興津に兄弟と一緒に疎開したのですが、戦争が終わってもおじいちゃんという人は迎えに来なかったということなので、まぁ、ふつうに考えれば空襲で死んだのでしょう。
何しろ築地ですからね。
辺り一面焼け野原になったところですから。

じゃあ、なぜ鳥塚のおじいちゃんが明治以前から東京に住んでいたのかわかるかというと、雑司が谷にあるお墓の墓石の裏側に、寛政とか嘉永とかの文字が読み取れるからなんですが、つまり、明治維新の時に50万人しかいなかった東京人のたぶん一人だったんだろうね。
つーことは、私の中の4分の1だけが江戸っ子の血が流れていることになりますが、その鳥塚の家も、もとはと言えば秩父の源流、荒川村の出身だと父親に教えられていました。
だから、子供の頃、東上線に乗って終点の寄居に行ってみたんですが、面白いことに荒川が流れる寄居には鳥塚という家があちらこちらにあるのを発見して、「なるほどなあ」と思ったものです。

まして私の家は板橋でしたから、板橋とか練馬なんてところは東京とは言わないで、村でしたからね。
板橋村の住人は江戸っ子とは名乗れなかったのです。
でも、実はおぎゃあとこの世に出たのは渋谷の日赤病院なんです。
だから、私は渋谷生まれ。

おぉ、渋谷ですか? すごいですねえ。

そう思われる方もいるかもしれませんが、渋谷とか新宿なんてとこも村だったんですから、江戸っ子の仲間には入れないんですよ。

話を戻しますが、唐変木。
実は江戸っ子というのはこの唐変木と言われることが恥なのであります。

なぜならば、ボーっとしていて、使い物にならない。物の価値がわからないでくの坊だからです。
江戸っ子というのは粋を重んじますからね。
つまり察しが良くなければなりません。

ボーっとしていて使い物にならないような奴。
物の価値がわからないでくの坊というのは、粋とは対極にあるのです。

では、粋の対極は何かというと「野暮(やぼ)」。
察しが悪くて、気が利かない、物の価値がわからないのが野暮ですからね。

ということで、私が唐変木と言ったのはそういうことなのでありまして、「唐変木って何ですか?」などと今の時代調べればわかるようなことを聞いてくるお前さんが、つまりは唐変木なのですよ。

この、すっとこどっこい。

と、子供の頃ボーっとしているとよく言われましたね。

そう、チコちゃんに叱られるということは、そういうことなのであります。

だから、よくわからなかったとしても、わかったふりをするのです。

「唯一現役で残っていたキハ28の価値」がわからなかったとしても、わからないと言ったら唐変木のすっとこどっこいと言われちまいますからね。
わからないなんて言ったら、つまり、粋じゃないんです。
野暮なんです。

だから、たとえわからなかったとしても、わかっているふりをして話をあわせなければなりません。

「このキハという車両が日本の経済成長に貢献してきた功績はとても大きいということを、私はよく理解しています。だから、大切にして後世に伝えなければならないのです。」

そういうことなのですから、つまり、こちらを支援しなければならないのであります。

はい、これが本日の結論でございます。

キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に

どうだ、うまくまとめたろう。
江戸っ子は、唐変木って言われるのが一番恥ずかしいですからね。

そんなことを考えながらお家に帰ったら、通販で頼んだオランダ煎餅が届いてた。
オランダ煎餅って北海道の根室の銘菓です。
根室ってのは花咲ガニが有名ですが、カニはどこでも食べられるけど、オランダ煎餅はお取り寄せしないと食べられないのです。

でもって、これ、うまいんですよ。

焼酎の当てにもピッタリ。

根室から上越まで来るから4~5日かかるけど、待った甲斐がありました。
そりゃ、東京ならお金を出せば何でもすぐに食べられますけど、そういうもんじゃないんですよ。
「食べたいなあ」と思って注文してから5日ぐらいたって、忘れたころにやってくる。
こうでなくっちゃ。

全国の田舎には安くておいしいものがたくさんありますから、私は東京には未練はないのであります。

「この、でれすけあんぽんたん!」

今夜は草葉の陰から死んだオヤジがこっちを見ているような気がします。
彼岸には墓参りに行かんとね。