寝台特急「さくら」

このあいだ東京駅の話をしました。

急行「出雲」で会社の旅行に出かける父を見送りに家族全員で東京駅へ行ったこと。
発車していく列車に飛び乗ろうとした父が駅員に抱きかかえられたこと。
そして新幹線で急行「出雲」を追いかけて行ったこと。
などなど。

あれは確か小学校2年生ぐらいだったと思いますが、東京育ちのガキにとっては東京駅はふるさとの駅であり、思い出の場所でもあります。

千駄ヶ谷の英語塾の帰りにわざわざ遠回りをして東京駅に立ち寄って、次々と発車していく寝台特急を見送っていたのもつい昨日のことのようで、最近ではPFとか言われているようですが、EF65の1000番代が出る以前、500番代ばかりだったころの東京駅は、夕方になると次から次に寝台特急が発車して行って、「いつかは乗ってみたいなあ。」と思っていました。

小学生のガキにとってみたら、西鹿児島、長崎、佐世保といった行き先は外国のように遠く感じたものでした。

ということで、大人になってからチャンスをつかんでこんなビデオを作ったりしていたのです。

ブルートレイン「さくら」
1999年11月の撮影です。

撮影当時の「さくら」は伝統の長崎・佐世保行。
途中の肥前山口で長崎行と佐世保行が別編成となってそれぞれの終着を目指していました。
まだ「はやぶさ」「富士」といった列車も残っていて、14系客車で個室など無い編成だったからか、「さくら」は地味な存在でした。

小学生の頃の塾帰りの私のコースは、千駄ヶ谷から四ツ谷乗り換えで中央線で東京駅に出て、ブルートレインを見送った後は山手線の外回り電車に乗って、品川回りで渋谷、新宿と回って池袋へ戻るコース。
その山手線の車内から、うまくすると並走するブルートレインが見えて、準備中の食堂車の明るい車内に「いいなあ」と思ったものです。

こういう東京少年が大人になって作った映像がブルートレイン「さくら」。
並走する京浜東北線を見て、昔はあちら側から見ていたんだと思い出しました。

東京の街並みを後に一路西を目指す「さくら」です。

一夜明けて門司機関区で待機するED76。
東京から一晩かけて走って来た「さくら」を門司で待ち受けて、機関車交換のシーンも撮影しています。

1999年といえば私は39歳。
今から24年前の撮影ですが、一人でカメラを3台持って駆けずり回って撮影していました。
もうできないな。
今から24年経ったら、もう生きてないだろうし。

ここに写っているお兄さんはおじさんになっていて、おじさんはお爺さんになっていて、お爺さんはすでに川の向こうへ行かれていることでしょう。

列車を記録するって、大事なことだと私は思いますが、頑張って撮っておいてよかったと思います。

一応、パシナ倶楽部の販売品ですから、一部のみご覧いただけるようにしてあります。

この後、肥前山口駅で2つの列車に分かれ、佐世保編成に機関車を連結するシーン。
その佐世保編成が早岐でスイッチバックして、再度機関車を付け替えるシーン。
そして、まだ地上駅時代だった佐世保駅に到着するシーンなどは、私のオンラインサロンで会員様向けに公開いたしております。

https://lounge.dmm.com/detail/3777/

有料サイトですのでご了承ください。
オンラインサロンでは筑豊本線のDD51客レも公開中。
これからも次々と動画を公開していく予定です。(宣伝)

▼では、東京駅を発車する寝台特急「さくら」
どうぞお楽しみください。(早送りしないでじっくり見てね)
https://www.youtube.com/watch?v=ogCKYshQhko

▼こちらは佐世保到着直前の車内アナウンスです。
https://www.youtube.com/watch?v=xYZsfiV81QY

私のふるさとの駅、東京駅。
上野東京ラインができてから、なんだかあわただしくなってしまいましたが、町も駅も変わって行きますからね。
こうして世の中は変化していくのです。