将来のビジョン

最近よく思うのですが、私たちは将来のビジョンを持っているのでしょうか。

個人個人はお持ちの方もいらっしゃるとは思いますが、社会全体として日本はこうなるべきだと思っているかどうかというと、なんとなく不安になりますね。

先日、東京駅の地下ホームが開業して50年になりましたというお話をしました。
50年前のそのころ、私はよく千葉方面へ出かけていて、いつも通るたびに不思議に思っていたことがあります。

当時の東西線の原木中山駅です。
総武線の電車が西船橋に差し掛かると、右手から東西線の線路が近づいてきます。
これは今も全く同じなんですが、当時ははるか彼方から高架線が近づいてくるのがわかりました。
原木中山の駅が四角く囲われた形をしているのも総武線の電車から見えました。

でも、そのころ私は不思議だったんです。
なぜ、こんな原野みたいなところに銀色に光る地下鉄が走っているのだろうか、って。

下総中山を過ぎたころから、「あぁ、東西線の線路が近づいてきた。」って見えていたということは、周囲には家がほとんどなく畑ばかり。地下鉄というのは都市交通ですから東京の真ん中を走っているならともかく、こんな千葉県の外れのような畑の中を高架線が走っているのが不思議だったんです。

総武線の複々線化が完成し特急や快速が走り始めたのが50年前ですが、その2年ほど前には線路は地べたを走っていて、D51が煙を吐いていたんですから、何でそんなところに地下鉄なんだろうかと、子供心にも思ったのです。

国鉄第3次計画 東京-津田沼間複々線化、下総中山-西船橋間高架化工事と看板に書いてありますね。
今でもあると思いますが、西船橋の東西線が合流する手前には変電所があって、その変電所のあたりから東西線の線路が見えてきていました。

でも、いつの間にか、東西線が近づいてくるのも、原木中山の駅の屋根も見えなくなりました。
そう、住宅が立ち並んだからです。

今では、総武線の快速電車も東西線も無くてはならない存在で、なぜなら人口が郊外へと広がっていったからなのは皆さんご存じだと思いますが、それは今だから言えることで、50年60年前の人たちにとっては、未来は知る由もないことだったのです。誰も将来の日本が今のようになるなんてわからなかった。にもかかわらず、原野の中を地下鉄を走らせて、総武線を高架複々線化するという大規模な工事をやった。
それはなぜなのだろうかと考えるのです。

それは、当時の人たちがはっきりとした将来ビジョンを持っていたということでしょう。
私はそう思います。
はっきりとした将来ビジョンがあって、つまり、こうなりたい、こうなるべきだという未来像を持っていたから、原野の中に地下鉄を作り、D51が走っていた地べたの線路を、わずか2~3年の間に高架化、複々線化という大工事を行って、来るべき将来に備えたということだと思います。

何しろ当時の日本はまだまだ貧乏で、社会福祉も弱く、食べて行くのがやっとという人たちも多くいた時代でしたから、そんな時代に今では想像ができないぐらい大きなお金をかけて工事をしていたということになると思いますが、では、あれから半世紀が経過した現在、私たちは町づくり、国づくりにきちんとしたビジョンを持っていて、それに向かって計画を立てて実行しているのでしょうか。

当時は経済成長の時代で、人口も増えていました。
今は、経済の成長が鈍く、人口も減っていく予想です。

だとしたら、それに向けた将来ビジョンというものを立てて、計画に沿って実行していくということをやらなければいけないと思いますが、例えばローカル鉄道の存続一つとってみても、「地元がお金を出さなければ廃止します。」と、なんとなく場当たり的で、人のせいにして、あきらめさせるような話しか聞こえてこないように感じます。

地元がお金を出さないということは、きちんとした将来ビジョンに沿ってそうしているのならいいかもしれませんが、ただ単に財政が厳しいからという理由だけで「じゃあ、やめましょう。」というところもあるでしょう。
自分たちの町や地域の将来ビジョンをきちんと持ったうえで、「こうしたい。」という考えがあって、そのためには鉄道は要らないというのであれば、それも良いと思います。
私はいつもことあるごとにお話しさせていただいておりますが、人口が減るということは、日本全国すべての市町村が残れるわけではありませんから、鉄道だってそういうところは不要になるということで、人口が増えていく時代の将来ビジョンと、人口が減っていく時代の将来ビジョンは当然考え方が違ってくるわけですから、ローカル鉄道だって今あるものが全部残れるというものでもありません。
ただ、気になるのは、半世紀前の私たち先輩のように、将来ビジョンを持って意思決定しているのか、それとも場当たり的に決定しているのかどうか、ということなんです。

鉄道だけじゃなくて、交通インフラというものは、きちんとした将来ビジョンに従ってどうするか決めるものだと思うからです。

もう一度言いますが、未来のことは誰もわからないのです。半世紀前の先輩たちだって、これから先の日本がどうなるかなんてことは誰もわからなかったはずです。ただ、将来に対するビジョンというのは、「自分たちは将来こうなりたい。」ということですから、原野の中に地下鉄を作って、総武線を複々線にしたことで、今ではたくさんの乗客を乗せた電車がひっきりなしに走り、マンションやビルが立ち並び、遠くから近づいてくる線路など見えなくなったということは、半世紀前の先輩たちが、「こうしたい。」と思う将来が出来上がったということは間違いないと思います。

さあ、皆さん、自分の町はもちろん、住んでいる県や、あるいは日本という国自体を将来どうあるべきかということを、特に交通などのインフラについては少し考えて話し合える機会を作った方が良いのではないかと私は思っているのですが、いかがでしょうか。