なぜ国がお金を給付しなければならないのか?

国が個人や企業にお金を給付するという話が出ています。

貸してくれるのではなくて、給付ですから、もらえるのです。

おかしいなあと思う人もいるでしょうし、もらえるものは何でも貰おうという人もいるでしょう。

誰だってお金は欲しい。
でも、そんなことをしたら国の借金がさらに増える。
心の中で葛藤をしている人も多いのではないでしょうか。

貨幣経済が始まってから、人類のテーマは何かと言うと、「富の創造」だと私は考えています。

今から250年ぐらい前のイギリスで、アダムスミスという学者が「国富論」という本を書きました。
国が豊かになるための方法が書かれた本です。

当時の世界はコロンブスの航海から始まって、スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスなどのヨーロッパの船が世界各国を航海して金銀財宝を集めて回りました。
当時の人たちはできるだけ多くの金銀財宝を手に入れることが豊かになることだと信じていたのです。

でも、アダムスミスは疑問を呈します。

金銀財宝をたくさん持っているということは、好きなものが手に入るということです。
だからどの国も戦争をしてまで金銀財宝を欲しがっている。
でも、金銀財宝をたくさん持っていれば、欲しいものが手に入るということは、相手が欲しがるものを作りだすことができれば、金銀財宝が手に入るはずだと考えたのです。

金銀財宝を手に入れるためには、わざわざ戦争などしなくても、相手が望むものを生産すれば良いということです。

「金貨でワインが買えるなら、ワインで金貨が買えるはずだ。」

この言葉は、相手が欲しがるものを生産することができれば、金貨が手に入るということ。
つまり、国を豊かにするために富となるものを生産しようということです。

今、日本の場合は自動車などの工業製品を生産して輸出することで海外からお金を手に入れます。
農業国であれば、農産物を輸出することによって、相手国からお金を手に入れることができます。
こういうやり方で国を豊かにする。
自動車などの工業製品や農産物は富である。
その富を作り出すことができれば国は豊かになる。
明治維新の富国強兵もそうですが、工業化をすることが国に富をもたらすことであり、貨幣経済が始まって以来、私たち人類はこうして富を生産することで発展してきたのです。

では、その富は誰が作り出すのでしょうか?

これは紛れもなく、国民一人一人です。
国民一人一人が労働することで富が生産される。
だとすれば、国民というのは「富の源泉」であり、その国民が富を生み出す工場や田畑などは、富を創造するための装置でありツールなのです。
そして、ツールがうまく機能するように、国家は国民を教育し、道路や鉄道、港湾などのインフラを整備し、より多くの富が作り出されるようなシステムを組み上げたのです。

今の時代で言うと、外国人観光客に来ていただいて日本の良さを楽しんでいただく。そのために観光地にホテルを作り、食堂やレストラン、あるいは体験型の施設でおもてなしをすることが「富の創造」であり、ホテルやお土産物屋さん、あるいは飲食店で働く人たちは富を生み出すための「源泉」なのです。

また、外国との取引ばかりではなく、内需というのも大変大きな需要ですから、日本人相手の温泉旅館やカラオケ、居酒屋といった商売も富を作り出すために重要な装置であり、そこで働く人たちは皆さん富を生み出すための源泉なのです。

それだけではありません。
ライブやコンサートで観衆を熱狂させるアーティストや、プロ野球選手やサッカー選手、そしてそれを支えるイベント事業者などの関係者も立派な富の源泉です。

そして今、外出禁止、イベント自粛が続いていて、そういうところで働く人たちの仕事がなくなっていくことが急速に拡大しています。

もし、そういう施設が維持できなくなって潰れてしまえば、簡単な言い方をすると、富を生み出す装置が破壊されてしまうことになります。そこで働く人たちが解雇されて失業してしまうと、「富の源泉」が枯れてしまうことになります。
富を生み出す装置が破壊されてしまい、富の源泉が枯れてしまうとどうなるか。
そこからはもう二度と富が生まれない。あるいは、また一から作り直さなければならなくなります。
そんなことになったら、復活するまでに長い長い年月を要することになりますから、そうならないように、国家が今やるべきことは、富を作り出す装置を維持し、富の源泉が枯れないように守る必要があるのです。
これが、国家が国民に対してお金を給付するという考え方であり、国民にお金を給付するということは国益を守るということなのです。

だから、堂々ともらって良いんです。
そして、たとえ国家の財政が悪化することになったとしても、今やらなければならないことを今やることが一番近道であり、安上がりなのです。

例えば皆さんがある目標を持ってお金を貯めているとします。
順調にお金が貯まって来ています。
でも、ある時、病気になってしまいました。
治療するためには今まで貯めてきたお金を使って薬を買って、あるいは病院で手術をしなければなりません。
さて、どうしますか?

せっかく貯めてたお金です。
もったいないなあ。使いたくないなあ。

その気持ちはわかります。
でも、お金を惜しんでいる間に病気が進行し、取り返しがつかなくなったらどうしますか?
死んでしまったら元も子もないのです。
そういう時は、別の目標で貯めてきたお金であっても、さっさと決断して、さっさと使って病気を治すでしょう。なぜなら、丈夫な体を維持することができればお金はまた稼ぐことができますから。これが富の創造であり、稼ぐ体が富の源泉だからです。

会社は個人の所有です。
その個人の会社に対して国がお金をあげるのは道理に合わない。
非正規で働く人たちが解雇される。
そんなことはきちんと正社員として会社に勤めていない本人の問題だから国がお金をあげるのはおかしい。

そう考える人はたくさんいるでしょうし、そういう考えになるのはよく理解できます。
なぜなら、第3セクター鉄道も同じだからです。
「一株式会社にどうして税金をつぎ込むんだ。おかしいじゃないか。」
こういう意見を言う人たちはたくさんいますし、私もさんざん言われてきました。
なまじ経営というものに一家言持っている人ほど、「けしからん」と言う意見を述べられます。

でも、私はそうは思いません。
なぜならローカル鉄道会社は、確かに一株式会社ではありますが、富を生み出す装置であり、そこで働いているスタッフは富の源泉だからです。
地域や国に対して、目には見えませんが大きな富を生み出しているのが鉄道会社だからであり、私は前職時代から国や地域に富を生み出していることがわかるような経営をしてきたつもりです。

今、国民の多くが困難に直面しています。
こういう時は、国家がしっかりと国民を支えなければならない。

なぜなら、国民は富を生み出す源泉であるからなのです。

国は四の五の言わずに、さっさと一万円札を印刷して国民に配らなければ、一度壊れてしまうと富の創造そのものが止まってしまうのです。
そうなったら落ち込んだ経済を回復することはできませんから。

バブル崩壊から30年が経過しようとしていますが、いまだに日本経済はデフレに悩んでいます。
国家財政の赤字はデフレが原因です。
今回のダメージはバブル崩壊どころではありません。
全世界的に同時多発ですから、よほど心してかからないと30年どころかもっと長い時間が復活までにかかりそうです。
今、早急に手を打たなければなりません。

だから、皆さん、もっと大声を張り上げて訴えましょう。

「お金をくれ!」と。

安倍政権にも陰りが見えて来ていて、どうも及び腰です。
たぶん政界も経済界も新旧交代の時期を迎えているのかもしれないし、もしかしたら経団連に加盟するような大企業でさえも一瞬にして崩壊するかもしれません。
でも、富を創造するための「富の源泉」である国民はしっかり守らないと、立ち上がることができなくなるのです。

さて、こういう時にどんな「見えざる手」が働くのか。

私にはそこの所が一番興味があるというのが、実は本音であります。