人を見たら○○と思え

「鳥塚さん、この人、私がチェックインした人じゃありません。」
チェックインカウンターからゲートに駆け付けた私の部下の女性がそう言いました。
彼女は、1便で50人ぐらいのお客様をカウンターでチェックインします。
笑顔が素敵で、とてもフレンドリーな、サービス満点の優秀なスタッフです。
そのスタッフが、チェックインの最中に「おや?」と思ったお客様がいました。
そのお客様は、ロンドンへ行く便のチェックインカウンターに、小さなボストンバック一つで現れたのです。
「お預けのお鞄はありませんか?」
「どちらか他の空港で預けていて、成田は乗継ですか?」
いろいろ問いかけてもそのお客様の答えはすべて「いいえ」でした。
パスポートは2年ほど前に発行されていますが、数個のスタンプが押されているだけです。それも東南アジアなどの近場のハンコが押してあるだけです。
「はい、それではお気をつけてどうぞ。」とそのお客様に搭乗券とパスポートを返すと、彼女は次のお客様を自分のカウンターに呼びました。
そして、次のお客様がカウンターにやってきてパスポートを出すまで間に、前のお客様の予約データを調べました。
予約データはいわゆるエアオンと呼ばれる航空券を販売する旅行会社が作った記録で、帰国は2週間ほど後になっていました。
ロンドンへ行く便で、チェックインカウンターで預ける手荷物がないお客様はたくさんいます。特にビジネスクラスやファーストクラスの旅慣れたお客様は、キャリーバックやガーメントバックと呼ばれるスーツを入れて折りたたんで運ぶスタイルのカバンだけで旅行する人が多いですから、「Hand carry only」の人が多いのですが、エコノミークラスで、2年間に数回しか渡航歴がなく、2週間も旅をする人で荷物を預けない人は稀です。
彼女は、航空会社が使用しているチェックインシステムの中の、そのお客様の情報に、今でいうタグ付をしました。
そして、そのタグ付されたお客様が搭乗ゲートを通ろうとしたときに、職員だけが気が付くサインが出ましたので、ゲートで責任者をしていた私がそのお客様に声をかけたのです。
日本のパスポートを所持していましたので、
「今日はどちらからいらっしゃいましたか?」と訪ねました。
彼はにっこりと笑って、「はい」と答えましたので、私は、すぐに次の質問をしました。
「ロンドンにはどのぐらい滞在しますか?」
これにも彼は「はい」と答えました。
私は彼を搭乗の列から横にはずして、待合席に座らせると、チェックインカウンターから彼女を呼んだのです。
そして、ゲートに到着してお客様の顔を見るや否や、
「このお客様は私がチェックインした人じゃありません。」と言ったのです。
彼女は、カウンターからゲートに来ると、サテライトと呼ばれる飛行機が発着するエリアをくまなく見まわしました。そして、声を上げました。
「あそこにいる人が私がチェックインした人です。」
彼女が指さした男性は、隣のゲートの香港行のキャセイ航空の列に並んでいました。
キャセイ航空の職員と話をして、その彼もゲートの列からはずしてもらい、2人とも搭乗をキャンセルさせました。そして飛行機が出発した後事情聴取をしたのですが、その時、私の手元には目の前にいる二人から預かった同姓同名の日本人のパスポートが2つありました。
そして事情を聴いてわかったことは、
・日本在住の日本人が、まずロンドン行のチェックインカウンターで荷物なしでチェックインして搭乗券を手に入れる。
・その足で香港行のカウンターへ行き、もう一度チェックインして搭乗券をもらう。
・その後、その日本人は香港行の搭乗券で出国手続きをする。
・あらかじめ打ち合わせ通り、中で待っていた中国人に、ロンドン行の搭乗券を手渡す。
・その中国人は、タイのバンコックから早朝到着便で成田に到着し、日本へは入国せずに中国への乗継予約票を見せてセキュリティーを通過し、外から来た日本人と落ち合う。
・中国人にロンドン行の搭乗券を手渡した日本人は、そのまま香港行の飛行機に搭乗する。
・搭乗券をもらった中国人は、タイで用意したその日本人と同じ名前のパスポートを所持していて、ロンドン行の便に搭乗する。
これが手順です。
つまり、キャセイ航空に乗ろうとしていたこの日本人は、密航の片棒を担いでいたのです。
搭乗口では、パスポートの名前と搭乗券の名前が同じであることと、パスポートの写真が本人であることを確認するだけですから、中国人がタイのバンコックで仕入れた偽のパスポートでも飛行機に乗ることができるという算段です。
これは今から10年ぐらい前のことですが、このようなことが頻発するようになったので、「お客様に声を掛けましょう。」ということになり、パスポートを見ながら、YES、NOでは答えられないような簡単な質問を抜き打ちでするような態勢をとるようになりました。
「どちらから来ましたか。」とか、「お誕生日はいつですか。」や、「ロンドンではどちらに滞在されますか。」などといった質問を、搭乗口のパスポートチェックで受けたことがある方もいらっしゃると思いますが、こういう理由からなんです。
他にもポイントがあります。
重点的にチェックしていたのは服装です。
春先でまだ寒いのにサンダル履きだったり、持っている雑誌が数か月前のものであったり、いろいろおかしなところがあるのがこういう密航者の特徴で、それを搭乗ゲートで女性職員がニコニコしながら見破るのが、彼女たちの仕事なわけです。
今は少しは緩和されたかもしれませんが、当時の中国人は渡航条件が厳しくてイギリスなどのヨーロッパへ行くビザを取得することができない状況でした。
そこで、タイのバンコックで日本人の偽造パスポートを作ってもらい、イギリスへ密航するために日本を経由するわけです。
これは後ろに組織的な犯罪集団が存在するわけですが、成田の私の会社の飛行機が1か月に何人もの密航者をゲートで捕まえるようになると、彼らは作戦を変えて私の会社を使わなくなります。でもその頃には成田空港内の航空会社同士で情報をシェアしていますから、他の航空会社に行っても同じ方法が通用しません。
「今度はうちに来ましたよ。今週ですでに2人です。」などと、いろいろな航空会社が情報をシェアして対策に乗り出しますから、そのうち「成田は難しいぞ。」となって、そういう犯罪組織が成田を使わなくなるところまで、私たちは取り組みをしているわけです。
これは、乗務員も同じで、同じようにチェックインカウンターでタグ付けされたお客は、機内にも申し送りされますから、機内では本人が全く気付かないところで要注意人物として監視対象となります。
どうやって監視されるかというと、CAがジロジロ見るなんてことではなくて、「お茶いかがですか?」、「寒くありませんか?」などと何かにつけて、話しかけられたりするのですが、「ずいぶん今日は親切だなあ。」と感じるようなことがあったら、その時、あなたはマークされているということに気付かなければならないのです。
航空会社では、職員は皆ナイスでニコニコしていますが、実は怪しい人物や、飛行機をハイジャックしたり爆発物を仕掛けたりする人間がいないかどうか、きちんと有効な航空券を所持しているかなどなど、決してそういうそぶりは見せないまま、しっかりとお客様を監視し、チェックしているのです。
ある意味、航空会社の職員というのは、警察官以上に警察的な、嫌な商売なのです。
(つづく)