富の創造 その2

みんながお金を払って欲しがるような商品を作ることができれば、お金を稼ぐことができる。つまりはこれが富の創造であって、富を作り出すことができれば、力づくで金銀を略奪するようなことも必要ないわけですから、大航海時代のヨーロッパのように、戦争や侵略ばかりすることは何の意味もない。だったら、一生懸命働いて経済を大きくすることの方がはるかに有効なわけです。

 

さて、では、皆さんはどうやって富を想像しているかというと、日本人の多くは会社に所属するサラリーマンですから、人々が欲しがるような商品を作るというのは会社の役割であり、サラリーマンであればそれに協力することで賃金をもらうという構造が多くの日本人に当てはまります。

会社に所属して給料をもらうことが多くの日本人がやっていることで、これがすなわち「労働力の商品化」ということです。

 

会社や組織に所属するということは、今の時代にはいろいろな契約形態がありますが、契約形態が変わったとしても労働力を商品化するという点においては大差がなく、時給であったり、日給であったり、月給制であったり、という形式の違いはありますが、根本は一緒で、つまりは、労働した時間と引き換えに賃金をもらうという、時間の切り売りであり、これが勤め人である多くの日本人が行っている労働力の商品化ということなのです。

 

だとすれば、もしそういう勤め人であるあなたが、もっと良い生活をするためにお金が欲しくなれば、人よりも余計にお金を稼ぐ方法というのは2つに限定されます。

その2つというのは、労働時間で勝負するか、労働の質で勝負をするかの2種類です。

 

1つめの労働時間で勝負をするということは、人よりも長い時間働くということで、同じ賃金単価であれば、長く働いた分だけ、多くのお金が手に入ります。

 

2つめの労働の質で勝負するというのは、学校を出たばかりの人は月給15万円かもしれませんが、管理職になれば40万も50万ももらえるようになります。また、資格を取得すれば、資格手当が上乗せされますから、人よりも多くのお金を稼ぐことができます。

若いうちは、お金が欲しかったら、アルバイトを掛け持ちしたりして人よりも長い時間働いて頑張ることが一番手っ取り早いですが、そのやり方だと若いうちは良いでしょうけど、年齢を重ねるにつれて辛くなってきます。だとすれば、できるだけ早い段階で、将来的に収入が伸びる仕事や、将来的に出世して給料が増える可能性があるような職位で働くことが必要になります。

そうすれば、年齢を重ねて、だんだん体力が無くなって、労働の量で勝負できなくなっても、労働の質で勝負できますから、収入が増える道が残されているわけです。

 

ところが、この、労働力の商品化には限界があります。

その限界というのは、どんなに頑張ったって、サラリーマンである以上は定年があるということ。

または、会社に所属するのをやめた瞬間にその人の労働力を買ってくれる人がいなくなりますから、収入の道が途絶えてしまうということです。

どんなに優秀なサラリーマンでも、遅かれ早かれいずれ会社から「さようなら」を通告されます。

またどんなに頑張っても、会社が倒産したり、定年前に辞めなければならない事態になると、収入が無くなるのです。

 

これが日本人の多くが働いているサラリーマンというシステムの特徴であって、労働力の商品化の限界です。

つまり、いくらもらっている給料が高くたって、働いている地位が上位であったとしても、労働者であるということは変わりがないわけで、労働者である以上、資本主義社会の構造の中では下層階級に位置しているということなのです。

 

「俺は年収1000万だから中流だ。」

 

バブルの頃日本人はよくそう言ってました。

当時は1億総中流意識と言われました。

でも、それは全くの勘違いであって、ホワイトカラーのインテリゲンチャであっても、労働者というのは労働できなくなった途端に収入の道が立たれるわけで、こういう立場は、いわゆるブルジョワジーに対して、労働者階級であり、社会の構造の中では下層階級に属するというのが事実なのです。

 

「失礼な! 俺はお前とは違うぞ!」

 

とご立腹される方もいらっしゃると思いますが、会社の規模や給料の多少に関わらず、社会構造的に見れば、会社で働く以外に収入の道が無い人たちは労働者であり、労働者というのは決して中流ではないのです。

そう、中流階級というのは、ある日突然主たる収入の道が途絶えても、今まで通りの生活水準を維持していくことができる人たちであって、労働力を商品化して会社に買い上げてもらうことしかできないサラリーマンは、たとえその人が高額の給与をもらっていたとしても、会社が倒産したり、不慮の事故等で収入の道が途絶えてしまえば生活の質を変えなければならなくなりますから、残念ながら中流階級とは呼べないのです。

 

(つづく)