「ママは死んだって言え」の頃

11月22日。

今日は「いい夫婦の日」だそうですね。

 

おかげさまで我が家は波風もたたず、さりとて大きなイベントがあるわけでもなく、ただただ凡庸に平和な夫婦生活を送っておりますが、これもすべてカミさんの忍耐のおかげであると深く感謝する今日この頃であります。

 

さて、私が千葉県民になってからかれこれ30年という月日が経過しようとしておりますが、その前は東京都民でありまして、それも下町の極みであります所の寅さんの町、葛飾区に住んでおりました。

今日のニュースで葛飾区役所に車が突っ込んだなんてのを聞きましたら、「葛飾区役所か。懐かしいなあ」なんて思ってしまいましたが、貨物線が通る下町のアパートに住んでおりました。

 

そのアパートには他にも家族連れが住んでおりましたが、我が家は2階、その真下の部屋に、まあ如何にも下町っぽい親子が住んでいまして、年の頃は私たちとほぼ同じご夫婦で、小さな子供がいるご家族でした。

下町というのは、実に面白い町で、まあ当時のことですから暴走族もたくさんいまして、その後夫婦もおそらくは元「族」だったんだろうなあ。大きな声で夫婦げんかをする声がよく聞こえてきておりました。

 

カミさんと私は、「またやってるね。すごいね。」と面白がっていたところがありましたが、いつもお父さんの方がお母さんを怒鳴り散らすことから始まって、お母さんの方も負けてはいませんから、まあ、すごいことになるわけです。

 

ところが、ある時、お母さんがいきなり怒鳴り初めまして、「てめえ、ふざけるな、このやろう。」と始まりました。

あれあれ、またですかと思いましたが、いつもと様子が違います。

お父さんが反論していない。

奥さんの方が一方的に怒鳴り散らして、最後には「出てけ!」

 

バタンとドアが開いて、お父さんが追い出されちゃいました。

「あ~あ」と私。

「どうする? 助けに行く?」とカミさん。

「いや、犬も食わないというから。」

「それもそうね。」

 

というのも、時には子供が怒鳴られて家から出されちゃって、外で泣いていることがあって、そういう時はうちで一時お預かりをしてほとぼりが冷めたころに迎えに来るなんてこともあったものですから。

決して虐待というようなものではなくて、まあ、30年前の下町というところは、そういう所だったんだとご理解いただきたいと思います。

 

次の日、私が出かけた後、下の奥さんが謝りに来たそうで、

「昨日はごめんなさいね。でも、頭に来ちゃって。」と語り始めたそうな。

 

ご主人が、息子(当時5歳ぐらい)を連れて海に行ったらしい。

まだ乳飲み子の下の娘さんがいるから、たまには俺が息子の面倒を見てあげる。車で海に連れて行ってくる。

そう言って海に出かけたらしいのです。

奥さんとしては、ありがたい、助かりますって感じですよね。

でもって、帰ってきてしばらくたって、奥さんが息子さんに「海、どうだった? 楽しかった?」って聞いたらしい。

 

そうしたら5歳の息子が、「ママは死んだって言え。」ってパパに言われた。と言ったのです。

海で、きれいなお姉さんたちから、「ボク、いくつ? 可愛いね。」と言われたとき、パパがそう言えって教えたんだって。

 

でもって、本当にそういう状況になって、パパはお姉さんたちと仲良くなって、ボクは「ママは死んだ。」って言ったらしい。

そこから先、パパはお姉さんたちとどうなったかは知りませんが、帰ってきてその話を聞いたとたんにママは大激怒。

そしてくだんの大ゲンカとなったのです。

 

もともと下町というところはかなり激しく面白い所でしたが、下の部屋のご夫婦はもともとのなれそめが奥様が御主人に海でナンパされたことから始まったらしい。

だから、奥様としては余計にカチンと来たのでしょうね。

 

あれから30年が経過し、彼らも60近くなっているでしょうけど、どうしてるかなあ。

 

と、こんなことを思い出した「いい夫婦の日」でありました。

 

かくいう私はいい夫婦の日ではありますが、大阪で友人と今まで飲んでおりました。

友人というのはもちろん男性ですので、どうぞご安心ください。

 

まあ、男性だから安心という時代でもないんですけど、私の場合は安心です。

 

 

 

通天閣とあべのハルカスと今夜の満月。

1 個のコメント

  • いや、面白い。
    笑いました~!
    こういう話好きです!
    また書いてください!