急行「あおば」運転

先日の土曜日に急行「あおば」が運転されました。

急行列車としての「あおば」は昭和40年頃に上野-仙台間で455系の先輩の同じ交直両用急行電車451系で運転されたようですが、そのころ見た記憶は私にはありません。

私が覚えているのは昭和40年代後半に仙台-秋田間で食堂車を組み込んだ豪華編成で運転されていた特急「あおば」。
上野-秋田間を奥羽本線経由で運転されていたキハ181系「つばさ」の間合い運用で、秋田-仙台間を運転されていました。

間合い運用というのは、特急「つばさ」が、朝上野を出ると夕方に秋田に着きます。
そのまま、もう一度上野に戻ってくるには夜行列車の時間になってしまいますから、昼間の座席車の運用としては適しません。
でも、まだ車庫に戻るには早すぎます。
そこで、秋田についた「つばさ」が今度は折り返して「あおば」になって仙台に夜10時ごろに到着して、仙台で泊まって次の朝「あおば」で秋田に戻り、お昼ごろに秋田で「つばさ」として折り返して、上野に夜に到着する。
そういう運用で、「あおば」のような「もうひと稼ぎしてくるね」的な運用を間合い運用と言いました。

当時の国鉄は、車両が足りませんでしたし、その割には需要が旺盛でしたから、フル回転だったことがわかりますが、同じような運用としては、同じく秋田と上野を羽越本線経由で結んでいた特急「いなほ」を覚えています。

「いなほ」も同じように朝秋田を出ると上野に到着するのは夕方です。
その日のうちに秋田へ戻ることはできませんので、もうひと稼ぎするために常磐線の平(現いわき)まで、特急「ひたち」として走って、平で駐泊し、翌朝の「ひたち」で上野に来ると、今度は「いなほ」となって秋田へ向かい、夜秋田に到着するという、「あおば」同様に1泊2日、4列車コースをフル回転していたのです。

その後「いなほ」の間合い運用だった「ひたち」は、今では1日に何十本も運転される首都圏の稼ぎ頭に成長しましたし、「あおば」の方は東北新幹線の開業の時にその名を新幹線に譲り、今では秋田新幹線の「こまち」になったと言えるのですから、大した出世をしたものだと私は思います。

当時の国鉄は車両が不足していたと申し上げましたが、電車やディーゼルカーというのは動力がついていますから製造コストが高価です。
そういう車両はフル回転させなければなりませんが、当時は夜行需要も多くありましたので、夜行列車には製造コストが安い客車列車を使用し、昼間は寝かせておいてももったいなくないような態勢でした。

でも、これは特急列車の話でして、急行列車となると、夜行列車も日中の列車と同様に、平気で硬い座席の車両を使用して、つまり、昼間急行電車として走ってきた車両が、夜になるともう一度夜行列車として走るという運用をしていました。

そういう列車は寝台車ではありませんから、比較的安く乗車することができましたので、私のような貧乏学生はそんな夜行列車で移動していたのでありますが、そういう夜行列車を再現して、硬い座席でひと晩過ごす「経験」を売るのが、今のトキめき鉄道の観光急行夜行列車なのであります。

さて、話を「あおば」に戻しましょう。


▲撮影 子鉄

実は今回トキ鉄で走った「あおば」は、リクエストヘッドマークです。

リクエストヘッドマークというのは、公序良俗に反しない範囲であれば、そして急行列車の名前としておかしくないものであれば、お好きな名前のヘッドマークを取り付けて走りますよというトキ鉄の知る人ぞ知るサービスです。

土曜日の「あおば」は兵庫県にお住いの佐々木さんという方からのリクエスト。
お子様のお名前があおば君ということで、このヘッドマークで運転させていただきました。

ご家族のいい思い出になっていただけると良いですね。

このリクエストヘッドマークは税込み22000円でお受けいたします。
えちごトキめき鉄道の経営企画課で受付いたします。
(4月から観光急行の担当が営業部から経営企画部へ変わりました。)

ご相談いただく場合は、できるだけ時間に余裕を見てお申し込みください。
2か月ぐらいあると良いかもしれません。
今、お申込みいただくと早くても7月になります。
(6月はヘッドマークなしで運転のため)

クモハ413の方でよろしければ、比較的柔軟に対応できるかもしれませんが、いずれにしても要相談ということで。

ヘッドマークは無地の所にパウチしたものを貼り付けるスタイルです。
使用後はご自宅へお送りさせていただきます。(料金に含まれます。)

ご自身で所有するヘッドマーク等は、貸切運転時を含め、取り付けて走行することはできませんのでご了承ください。

「あおば」のヘッドマークを付けて走った455の写真が各地でUPされているようですが、事の真相は以上の通りでございます。