終戦の日に思うこと

今日は8月15日は終戦の日。

昭和20年8月15日に太平洋戦争が終わった日。

子供のころからこの日が来ると、大人たちはみな口々に戦争の話をしていたので、私たちの世代には終戦の日というものが1年のうちで忘れられない日の一つでもあります。

 

このところ、私はなんだかんだで忙しくあちらこちらを飛び回っていましたので、今日は1日家にいて、買い物へ出かけたり、高校野球を見て過ごしていました。

その時、気付いたことがあります。

それは、高校野球の選手たちって、笑顔が多いことです。

ぎりぎりの苦しい場面でも、みんなで笑顔になっている。一人が声をかけるとチームのみんなが笑顔になる。

そういえば最近の高校野球の選手の皆さんは、負けそうなときでも励ましあってみんな笑顔でいる。

これってすごいことですよね。

 

少なくとも私たちの時代は違っていました。

歯を食いしばって苦境をどう凌ぐか。

これがスポーツマンのいわゆる「根性」というもので、笑うなんてことは、たるんでいるとか、気合が足りないとか、上から非難される対象になることでした。

それが、今の高校生たちは笑っている。

そうすることでリラックスして、実力以上の力が発揮できるのかもしれないし、チャンスをものにすることにつながるのかもしれません。

そう考えると、最近の若者たちはすごいですね。

私たちのころには思いもしなかったことや、決してできなかったことを、きちんとやっているのですから。

 

私は、自分たちがその年齢のころにできなかったことをきちんとやっている姿を見ると、今の若い人たちを尊敬します。

世の中がどんどん変わっていて、それに合わせて日本人も若い人たちから変わってきているんですね。

これは立派なことです。

 

でも、スポーツ界には昨今話題になっているような古い体質が残っていて、監督や会長と呼ばれる人たちが、その古い体質を当然のことのように自分たちの組織に強制しているというのもこれまた事実なんです。

そう、私が昔から疑問に思ってきたスポーツ組織の体質がこれ。

つまり、「命令と服従の関係」なんです。

上の言うことに疑問を持ってはいけない。黙って服従するというのが、フットボールも、レスリングも、ボクシングも、あるいは野球をはじめとするいろいろなスポーツに根深くはびこっているんです。これは、上の人間にとっては実に都合の良いやり方ですから。

だから、ボクシングの会長が終身名誉会長であって、永遠に命令をし続けるような組織が出来上がって、それに対して理事が誰一人として疑問を持つことが許されないようなことが、いかにも当然のようにまかり通っているんです。

これ、一般社会では全く通用しないことなんですが、「命令と服従の上下関係」が絶対的なルールとしてまかり通っているスポーツ界では、下の人間は誰一人も疑問を持たないし、持ったとしても決して口に出して言ってはいけない。

だから、そういう組織の一番上の人間は、自分が思うようにふるまうことができる体制が、好きなだけ続くようにできているんです。

これが、日本のスポーツ界に存在する闇の部分です。

そして、今まではこの闇の部分が公然と認められてきていて、誰も疑問に思わなかったのですが、昨今、日本人が下の方から、若い人たちから変わってきていますから、「おかしいんじゃないの?」という世論になって来ているんです。

 

でも、こういう組織体制って何かに似ていると思いませんか。

「命令と服従の上下関係」。

そう、戦争なんですね。

軍部です。

あれだけの戦争を誰も止めることができなかった。それは、上の人間に対して反対意見を言ってはいけないという組織の掟。だから、「こんな戦争勝てるわけない」と思っていても、誰一人として口に出して言うことができないまま、泥沼に突入していったのです。

 

そういう軍部の体制というのは、実に今の日本でいろいろ問題が明らかになって来ているスポーツ界の古い体質と同じではないか。そんなことを感じた今年の終戦の日なのであります。

 

でも、スポーツ界のみならず、「命令と服従の関係」に対して疑問を口に出すことが許されない世界って、いろいろほかにもあるのではないでしょうか。個人商店のような小さな会社なら社長が絶対であり、文句があるのならやめていく以外に無いかも知れませんが、ある程度の会社でも、年功序列であったり、在籍履歴であったり、その会社にはその会社なりのいろいろな掟があって、どんなに能力がない人間でも、年齢が一番上だからとか、入社が俺の方が先だからというただそれだけの理由で、威張り腐っているような組織もあるのではないでしょうか。

働いている人たちは、「まあ、我慢していれば給料はもらえるから。」と思っているかもしれませんが、そういうことって、自分たちで何も決めることができないボクシング協会の理事たちと同じであって、監督を更迭することができない大学幹部と同じであって、軍部の独走を止めることができず、最終的に日本に原子爆弾を落とされることにつながっていった、旧日本軍の体質と全く同じなのであります。

 

終戦の日に当たって、私たち日本人は、そういうことをきちんと考えて、もう2度とあのような戦争を起こしてはいけないと思うのであれば、身近な組織の中にある「命令と服従の関係」に歯止めをかけるシステムを作らなければならないと考えるのであります。

 

そして、それは、われわれの年齢やポジションにある人間がやらなければならないのです。なぜなら、それが自浄能力だからです。

 

私たちの後輩たちは、あの、甲子園の大舞台で、どんなに苦しくても笑顔を絶やさないという、私たちにはできなかった能力を身につけている立派な人間なのですから、そういう彼らの進む道を、私たち命令する側が自分たちの都合の良いようになどと考えているようではダメなのであります。

 

お~い、聞いてるか?

全国の無能管理者諸君。入社年月日が早いというだけで威張っている無能の先輩諸君。

君たちのことだよ。

わかってるかい?

わかってるなら、今すぐ後輩に道を譲りましょう。

それが、自浄能力なのであります。

せめて、人に言われる前に、自分が無能で馬鹿だということに気が付きましょうね。

それが上に立つ人間の責任なのであります。

 

皆さんの平和と繁栄のために。

1 個のコメント

  • もう 辞めているのですが、勤め先が このお話のようでした。