我が愛しの京成電車

気が付けば京成電車の沿線住民になってからすでに30数年になります。

 

最初は小岩に8年。そして佐倉市民になって28年。

なぜ佐倉に住むようになったかと言えば、成田空港に勤めていたとか、カミさんが佐倉の出だとか、昔機関区があって懐かしい思い出があるからとか、いろいろあるのですが、それだったらJRの方だっていいわけで、でも、あえて京成電車の沿線にしたのは、京成電車がカッコ良かったからです。

 

昭和の時代の東京の人たちは、鉄道路線の沿線をランク付けするのが好きでした。

一番人気は東横線。それに小田急線でしたっけ。

私の住んでいた東武東上線は「イモ電車」などと蔑まれていましたが、国鉄で言えば中央線がブランドで常磐線が最悪。その次が総武線で、それと並ぶのが京成電車でした。

まあ、電車のイメージというよりも、沿線のイメージによるものが大きかったと思いますが、例えば常磐線の取手より先に行く中距離電車はその色から「ウメボシ電車」などと呼ばれていて、車内に入ると、さきいかをつまみにワンカップを飲んでいる労働者風のおじさんたちがたくさん乗っていて、そりゃあ中央線や東横線と比べると雲泥の差がありました。

 

そういう東京で育った私が、なぜ、あまりイメージ評価がよろしくなかった京成電車沿線に住むようになったかというと、カッコよかったからなんですが、では、どこがカッコ良く見えたかというと、線路の幅が広いからでした。

国鉄は1067でしたが、京成電車は1435。新幹線と同じ線路幅です。

線路の幅が広いとどうなるかというと、当然スピードを出すことができます。

と言ってもせいぜい100キロ程度で国鉄と大差ないんですが、国鉄が経済運転と称してトロトロ、ちんたら走っているのに対して、京成電車は前方にカーブが迫っていても直前まで加速して、サッとブレーキをかけて、出口が近づくと運転士はノッチを上げて加速してカーブを抜けていくんです。

こういう運転をしていたのは京成電車と京浜急行、そして京王帝都。

どの路線も頻繁に特急電車が運転されていて、国鉄と違って料金不要で乗れましたし、キビキビ走ってそのスピードが実に痛快だったんです。

だから、子供心に京成電車と京浜急行と京王帝都(今の京王電鉄)はカッコよかったんです。

 

これに対して西武や東武は1067でしたからなんとなく国鉄的で、走っていた車両も戦後の63電車の払い下げ品や同じ設計の電車が多かったですから、それはそれで楽しかったんですが、東上線の場合なかなか100キロ出してくれるところってなかったんです。

 

一度、一番前でかぶりつきをしていた時に、運転士さんにお願いしたことがあるんです。

「ねえ、100キロ出してよ。」

 

そうしたら運転士さんが張り切っちゃって、いいか見てろよと言わんばかりにフルノッチ。

場所はどこかというと、志木を出て次の鶴瀬までの直線区間。

私が子どものころは志木を出ると次の駅は鶴瀬で、見渡す限りの荒野を延々とまっすぐな線路が続いていて、志木を出てしばらくの間、小さな川が流れているところまでは下り坂で、そこの川に向けて、運転士さんはフルノッチで下って行って、速度計の針が100キロを差しました。

そこでノッチをオフにすると、あとは鶴瀬まで少し上り坂でしたから自然と減速して鶴瀬の駅に停車。私はそこで降りました。

運転士さんが乗務員室の窓を開けて顔を出して「どうだ」と言わんばかり。私は「ありがとう。すごいね。」と言って発車を見送りましたが、これが7800のオンボロ電車で私が経験した時速100キロであります。

 

こういう遊びを昭和のガキが各路線でやっていたわけですが、そういうガキの目に映った京成電車は、実にキビキビ走ってカッコよかったわけで、私は58年の人生の半分以上を京成電車にお世話になっているのであります。

 

ここ数年思うのは、京成電車は結構見えないところに力を入れていて、いつの間にか電車がみんな新しくなっていますし、画期的なのは駅のトイレもほとんどシャワートイレになっているんですよ。

こういう努力というのは、私はきちんと評価されるべきなのではないかと思うのであります。

だから、今は別の意味でカッコ良いんです。

 

ということで、京成電車には本日もお世話になりました。

ありがとうございました。