文化の多様性。

毎日同じものを食べていても不思議と飽きが来ないのが朝ごはん。

 

私は和食党。

毎日焼き魚と玉子焼きと、そして納豆が必須アイテム。

納豆は大事です。

その納豆ですが、もちろん最近はパックですよ。

藁に入ったり経木に包まれたりしているものなど手に入りませんからふつうのパック。

強いて言えば「小粒」ならなお良し。

 

ということで、パックを開けて、私はぐるぐると納豆をかき回します。

カミさんをはじめ、子供たちは、その私のぐるぐるを不思議そうに見ています。

なぜなら、私はおそらく100回以上ぐるぐるぐるぐるかき回しますから。

そうすると、だんだんとねばねばが出てきて、実にうまそうになってきます。

そこにたれをくわえてさらにぐるぐる。そしてからしをくわえて、さらにぐるぐる。

子供たちは、ほとんどかき回さずにご飯にかけて食べ始めるのですが、私はこれが不思議でなりません。

でも、子供たちにしてみたら、私のぐるぐるが不思議でならないのでしょう。

「お父さん、なぜそんなにかき回すの?」

「だって、この方がおいしくなるじゃないか。」

「味なんて一緒だよ。」

これが我が家の朝の会話です。

 

でもって、今朝もいつものように納豆をぐるぐるかき回していたのです。

「おいしくなあれ、おいしくなあれ。」

と、その時、ふと思い出したことがありました。

年を取ると不思議ですね。何の脈略もなく大昔のことを思い出しました。

 

私には在日韓国人、在日朝鮮人の友達がたくさんいます。

それももう30年来の友人たちですが、彼らの文化は「混ぜる」ということなんです。

会社の食堂でカレーライスを食べていた時のこと。彼らは「いただきます。」って言うと、まず目の前のお皿の中のカレーライスをかき混ぜます。多分、日本人はあまりやらないと思いますが、韓国人はカレーライスをぐるぐるとかき混ぜて、それから食べ始めるのです。

私は不思議だったんで、目の前の友人に聞いたんです。「なぜ混ぜるの?」って。

そしたら皆さん口を揃えて同じことを言います。

「だって、この方がおいしくなるじゃない。」

 

そしたら、その時私はさらにその20年ぐらい前の出来事を思い出したんです。

小学生の頃、カレーライスを夕ご飯に食べていました。

私は、「いただきます。」をしてお皿の中のカレーライスをぐるぐるかき回したんです。

その時、父親がものすごい剣幕で怒りました。

「そんな行儀の悪い食べ方をするな!」って。

私は、こうした方がおいしくなると思ってかき混ぜたのですが、怒られた。

小学生の頃は父親は絶対の存在ですから、父親が行儀が悪いと言えば、それが行儀になるわけで、以来私はカレーライスは悲しい記憶と共に、ごはんとカレーをスプーンの中だけで小さく混ぜ合わせて食するようになったのですが、大人になって、会社に入って、目の前で友人たちがカレーライスをぐるぐるかき混ぜて、「こうした方がおいしくなるよ。」と言っているのですから、私は長年視界を妨げていた霧がスッと晴れたような、実に爽快な気分になったのです。

そのころ、おれたちひょうきん族というテレビ番組で、ディレクターが「ビビンパ」って叫ぶ姿をテレビで見て、「ビビンパ」って何だろうと日本人は皆さん思っていたのですが、つまり、それほど日本に韓国文化が浸透していなかった時代なのですが、ビビンパって、皆さんご存知のあのビビンパ。石焼ビビンパのビビンパなのですが、正確にはビビンパプ。ビビンは「混ぜる」、パプは「ご飯」。ビビンパってのは混ぜご飯という意味なのです。

日本で言ったら五目チラシのようなものでしょうか。

混ぜれば混ぜるほど、おいしくなるのです。

少なくとも、彼らも私もそう信じている。だから、目の前に運ばれて来たら、一生懸命混ぜる。

石焼ビビンパは、まず卵の黄身を潰して周りのアツアツに焼けた石の器になすりつける。

そして、ぐるぐるかき回したご飯を、同じように周りの石の器になすりつける。

そこで一息おいて、一緒に運ばれてきたスープをスプーンで2~3すくいして、石焼の器の中にジュッとたらす。

「こうすると、もっとおいしくなるのよ。」

なぜなら混ざったご飯がおこげになる。

そして再度かき回して出来上がり。

その間約3分。

「おいしくなあれ、おいしくなあれ。」

目の前のアルンダウォン・アガシがそう言いながら、一生懸命かき回して、「はいどうぞ。」って言ってくれたら、おいしくないわけないじゃありませんか。

 

つまり、これは彼らの文化なんです。

 

と、そんな時代から早30年が経過して、今やみなさん50代後半。在日の組織の中でも、中堅どころ、いや、TOPになられていらっしゃる年齢になられました。

 

そんな彼らが、今回、北海道の漁民の皆様方に「大変なご迷惑おおかけして申し訳ございません。」と、賠償の支払いを申し出ました。

 

22日付 毎日新聞ニュース

 

彼らのほとんどは日本で生まれて、日本で育っています。

そして、最近の祖国の情勢に大変心を痛めている。

だから、せめて自分たちにできることをやって、責任を果たそうとしていると私は思います。

例えば、日本人が海外で犯罪を起こしたことを考えてみてください。

それも、貧しい境遇にある日本人が、止むにやまれぬ事情で外国で犯罪を起こした。

そういう時に、日本の団体が相手の国に自ら弁済を申し出るようなことをするでしょうか。

例えば千葉県の人間が九州で犯罪を犯したら、千葉県の団体がそちらへ弁済を申し出るようなことをするでしょうか。

 

これが彼らの意識でありますから、私はどこの国の国籍だとか、そういう話をする前に、郷土愛や愛国心を彼らから教えてもらっている気がします。

これは国家の体制の現状とは全く異なる次元の話ですからね。

 

でも、それにしても、こういうことをきちんと報道するマスコミが少なすぎますね。

こういうニュースは、もっともっと皆さんに知っていただきたいと思って、本日は記させていただきました。

 

私は、父方は勝浦と埼玉の寄居、母方は両方とも福島で、江戸時代からの墓が残っておりますから、残念ながら純粋な日本人のようですが、ときどき、彼らの郷土への思いというものをうらやましく思う時があります。

 

国連でもいろいろすったもんだやっているようですが、皆さん、一緒にがんばりましょう。

それが、文化の多様性であり、相手の文化を認めてはじめて自分たちの文化も認められると考えております。