BCPの実践舞台

先日、全日空のコンピューターが突然ダウンし、日本中で飛行機が飛べない事態が発生しました。
これは大事件だったのですが、そのすぐ後にベルギーで大規模なテロが発生したために、そのテロのニュースで世の中もちきりになり、なんとなくうやむやになってしまった感があります。
全日空にとってはついていた気がしますが、お客様も職員の皆様も現場はさぞかし大変だったと思います。
コンピューターがダウンすることは、昔からよくあることで、私も日常茶飯事に経験してきました。
だいたいシステムメンテナンスというのは午前0時とか午前2時とか、一番使用量が少ない時間帯に行うのですが、GMTで仕事をしている航空会社では、ちょうど午前0時が日本時間の午前9時に当たるため、チェックインカウンターでたくさんお客様が並んでいる時に、突然ダウンしたりすることが良くありました。
そんな時は、当然マニュアル(手作業)で対応するわけで、いつ、何時、コンピューターがダウンしても良いように、常に準備をしておくことが求められていますが、これがBCPという考え方です。
BCP(Business Continuity Plan)とは、いつもと違うことが発生した場合でも、業務をきちんと遂行できるようにしておくことで、リスクアセスメントの一環ですが、私はかつてこのBCP担当でしたから、常にいろいろ頭の中で様々な状況を想定して準備をしていました。
例えば
・ターミナルビルが火災になって使用できない時
・滑走路が閉鎖されて、飛行機が発着できない時
・疫病が蔓延して職員が半数しか出勤できない場合
・水源地が汚染されて水道水が使用できなくなった場合
などなど、半年ごとにテーマを決めて、このような事態が突然発生したとしても、きちんとお客様対応をし、可能な限り速やかに飛行機を出発させることが輸送事業者としての責務ですから、すぐに実践できるように対応することが現場の管理者に求められるわけです。
コンピューターがダウンしてチェックインができなくなった場合はどうするか。
まず、事前準備として、手書きで使用するための搭乗券、手荷物タグ、座席表、乗客名簿用紙などをキットにまとめてスーツケースに入れて保管しておきます。私の会社の場合は、ターミナルが火災になった等で使用できないことを想定して、このキットを2つ作り、1つは旅客の事務所、もう1つは貨物の事務所に保管しておきました。
当日の朝、カウンターに上がる前に、各便の乗客予約リスト、VIPリスト、特別にケアが必要な方のリスト、インターネットですでにチェックインされている人のリスト、Eチケット所持者のリストなどをプリントアウトしておきます。ロール用紙で出力するとかなりの長さになるのですが、突然コンピューターが停まった時のためのものですから、毎日毎日出力しても99%使用しないことになるのですが、それでも準備してカウンターに上がりました。
飛行機を出発させるためにはチェックインカウンターだけではありません。ロードコントロールと呼ばれる重量バランス計算する部署があって、チェックインカウンターで何人チェックインして荷物を何個預かったかなどという情報をリアルタイムで飛行機に反映させて、最終的な重量バランスを出すセクションがあるのですが、そのセクションの担当者は、ふだんはコンピューターで仕事をしていますが、システムがダウンした時に備えて、常に手作業に切り替えることができるように専用の用紙を傍らに準備しておいて、月に2回ほど、実際に、システムと並行しながら手作業で重量計算をすることで、技量を維持して、いつでも対応できる体制をとっていました。
ところが、このような体制をとっていたのは私と同年代か上の世代だからできたのであって、私たちは会社に入ってトレーニングを受けた時には電卓片手に手計算で数字をはじき出していた世代ですから、30代になったころにコンピューター化されて、マニュアル、システムの両方できるという前提でBCPがあったわけです。
その後、コンピューターシステムの信頼性が飛躍的に向上して、紙の冊子だった航空券がEチケットになり、システムに組み込まれるようになりました。最初のころは、航空券という紙がなくなることにお客様は大変不安がられていましたが、それは何もお客様だけじゃなくて、私たち職員も不安だったわけです。だから、朝、カウンターに上がる前に、各便のEチケット所持者の名簿をプリンターで出力して、責任者が持って上がるようなことを毎日毎日やっていました。
そんなある日、本社の人間が空港の査察にやってきました。
決められた業務を決められた手順できちんと行っているか、定期的に査察を受けるのですが、その査察官が、Eチケットのリストをプリントアウトしてカウンターに持っていく私たちを見て、「なぜそんなことをしているんだ。」と聞いてきました。
私たちは「念のためです。(Just in case.)」と言ったのですが、彼は笑って、「そんなことすることはないよ。」というのです。
どうして?と私たちが訪ねると、彼はこう言いました。
「Eチケットを導入することを会社が決定した時点で、システムダウンした時のリスクは計算してある。だから、ダウンしたらダウンしたで、その時はその時だよ。」
「計算してあるリスクって何ですか?」と私が聞くと、
「チケットを持っているかどうかわからない場合、お客様が『持っている』というのなら、それで飛行機に乗せなさい。万一切符が無い人が悪意があったとして、タダ乗りされてしまうかもしれないけれど、それは会社が負うべきリスクなんだ。」ということでした。
またあるとき、こんなことがありました。
私がフライトプランを担当していた時のことです。
データを揃えて本社にフライトプランをリクエストすると、数分後にその便のフライトプランが送られてくるのですが、システムダウンで、いくら待ってもフライトプランが送られてきません。そうこうしている間に時間になって、機長と副操縦士がブリーフィングにやってきてしまいました。
出発前ブリーフィングでは、その日の目的地の天候や代替飛行場の天候、ルート上の注意事項などをフライトプランをもとに機長と検討し、最終的にどれだけの燃料を搭載するかを決定する大事な作業です。その作業の時点で、フライトプランがないのです。
私は困り果てて、システムダウンでいつプランが来るか目処が立たない旨を話しました。
すると、担当の機長は私に言うのです。
「昨日の同じ便のフライトプランを見せてくれ。」
私はファイルしてあった昨日のを見せました。
機長は昨日のお客様と貨物の量と今日の重量とを比較して、ほとんど同じであることを確認すると、
「じゃあ、昨日のこの便の燃料を搭載しよう。それに10%プラスしてくれれば、我々はこのまま出発する。」と言うのです。
私は、なるほどなあ、と思いました。
これが現場力なんですね。
結局その日のその便はシステムが復旧しないまま、手作業でチェックインを行い、手作業でウエイトバランスを計算し、手作業で搭乗口で人数を数えて出発していきましたが、こういう経験から、私はシステムというのは、人間が使いこなすものであって、人間が使われて振り回されてはいけないということを学びました。
まあ、現場でこのような修羅場を何度も経験していると、それなりの準備さえしていればたいていのことには驚かなくなるものですが、私が成田空港を離れてかれこれ7年になりますので、今、すべてがコンピューター化されているはずですし、マニュアルでチェックインした経験がある職員もほとんどいないはずです。そんな中で、今回は全日空の現場の職員の方々が手作業で業務をこなし、何本かの便を出発させたというニュースを聞いて、私たちのような手作業経験世代がもう少なくなっている中で、よくできたなあと思うとともに、BCPという考え方がきちんと浸透しているんだなあということを強く感じたのであります。
鉄道会社で電線が切れて足かけ3日も電車が動かなくなるような事態を見ると、BCPだけでなく、そういう会社のEPやリスクアセスメントはいったいどうなっているんだろうかと、興味津々ですね。
安全性という点では鉄道よりもはるかに厳しい基準で動いている航空会社ができることが鉄道会社にできないわけないと思うのですが、いざとなったら改札口のシャッターを下ろせば済むと考えているとしたら、そういう準備はしてないのだろうなあと思うのであります。
と、まあ、今回のシステムダウンの混乱のニュースを見て、このようなことを感じました。
全日空の現場の皆様。大変でしたね。
本当にお疲れ様でした。