テレビを見ていて不思議に思うこと。

今日は緊急事態宣言が出ませんでした。

読みが外れてよかった。

緊急事態宣言が出されると個人の自由や権利が大きく損なわれますから、ちょっと恐ろしいことになりそうですから。

ところで、ここ数日テレビを見ていて不思議に思うことがあります。

間もなく学校が始まろうとしていますが、今、始業式をひと月遅らせて5月のゴールデンウィーク明けにしようという議論が始まっています。
理由は子供たちの安全を守るため。
学校で集団感染が発生すると、それが家族に拡散する恐れもあるから、ということです。

その議論の中で問題になっているのが、ひと月遅れになった場合の授業や学校の行事をどうしようかということ。
遠足はいつやる?
運動会はどうする?
年間の授業時間をどうやって確保する?
夏休みを短縮する?
などなど。
皆さんいろいろ考えていらっしゃるようです。

でも、私はこういう光景が不思議です。

なぜなら、決められているカリキュラムをきっちりと行って、年間の授業時間を確保して行事もすべて行おうとしているからです。
なぜだろう?

そうか。
学校の先生という人種は「決められたことを、決められている通りに、きちんと実行すること」が得意な人たちの集まりで、そうすることが仕事だと信じて疑わない人たちの集まりだからです。
だから、こういう議論が始まるとすぐに方法論に入る。
具体的に、どうやってやるか?
いや、そりゃ無理だ。できません。
そういうお話ですね。

でも、そもそも議論を始めた大義は何だったのでしょうか?

子供たちの命と健康を守り、子供たちが病気を蔓延させることが無いようにする。

これだったはずですよね。

だったら年間を通じたカリキュラムをきちんと実施するという発想を捨てて、全く別の観点に立って物事を計画して行かなければなりません。

なぜならば、今、私たちが直面しているのは、人類始まって以来の現象であって、それをどうやったら乗り越えられるかということが問われているからです。

でも、決められたことを、決められた通りに、きちんと実行することが仕事だと思っている人たちは、つまり、何も決まっていなくて、これからどうしようかと、時間制限がある中で、自分たちで結論を出すということが、実はとても不得意な人たちであるわけです。
学校で言えば校長先生や教頭先生という人たちはだいたい私と同じ世代ですから50代後半。まさか今まで30数年の社会人生活を「ボーッと生きてきた」わけじゃないとは思いますが、つまりは自分たちの職場環境の中でそういう社会的な訓練は受けてきていませんから、いい加減ジジババの仲間入りする年齢になっても判断できないんですね。

特に公立学校は。

これに対して私立学校の先生たちのインタビューを見ると、「学校というものの在り方そのものが、問われてきていると感じている。」と言っている。
つまり、学校そのものがどうあるべきかという見地に立って考えている。

これ、多分公立と私立の大きな違いでしょう。

私は自分が高校まで公立学校の出身で、5人の子供たちは公立にも私立にも行かせましたからはっきりわかりますが、今、全国的に学校が廃校になっている理由は、少子化だけが問題ではなくて、教育の質が問われているのです。

何も公立学校の教育がダメだと言っているわけではありませんよ。
一生懸命頑張っている立派な先生方は沢山いらっしゃいますから。
でも、組織の仕組みとして、どんなに優秀な先生方でも、上から与えられたカリキュラムを自分で変更する権限は持っていませんから、つまりは決められたことを、決められた通りに、きちんとやっていくということが仕事であって、余計なことは考えてはいけない。
そういう「掟」が大前提ですから、逆を言えば限られた時間内で、何もないところから自分たちで物事を決めていくということができない人たちの集団になっているのでありますから、勘の良い親たちはかなり以前から自分たちの子供を私立に入れようとしているのでしょう。

厚生労働省も同じですね。
クルーズ船に対する対応も他国に比べると明らかにおかしい。すべてが後手後手。結果として船内で感染が蔓延してしまった。

検疫法というのは国内に病原菌を持ち込ませないための法律ですから、乗ってきた航空機や船舶の中がどうなるかということは航空会社や船舶運営会社が責任を取るべきことであって、検疫所としては自分たちの仕事ではないのです。だから、彼らは決められたことを、決められた通りに、きちんとやっただけであって、船舶の中がどうなっていようが、そんなことは基本的には仕事の範疇外でしたから後手後手に回ったのです。
現場で働いている人たちは個人個人は一生懸命働いています。不眠不休で活動されていらっしゃる方も多いと思いますが、決められた時間の中で、いかに効率的に結果を出すかが求められている状況下では、おそらく、個人がいくら頑張っても十分に能力を発揮できない仕組みがあるのでしょう。

目を転じて、鉄道会社はというと、これまた全く同じ。
決められたことを、決められた通りに、時間通りにきちんとやることが得意な人たちの集団です。
そして、それが最も価値があることであり、業務として求められているのですが、では、人類が初めて経験するような、それも世界中で同時に同じような状況が発生していて、限られた時間内に何らかの対応策を自分たちで決めて実施しなければならないという事態に直面している時に、彼らが能力をきちんと発揮できるかと言われれば疑問符が付くでしょう。
つまり、できないのです。

そして、できない人たちに「やれ!」ということは悲劇の始まりであって、時間の無駄でしかありません。
だから、そういう時にしっかりしなければならないのは幹部の人たちです。
列車は毎日走っています。
でも、スタッフは不安になってきている人もいるでしょう。
そういう時には現場を混乱させてはいけません。
だからと言って、今まで通りに決められたことを決められた通りにやっているだけでは許されなくなる可能性があります。

では、どうするか。
幹部の人たちがしっかりと対応策を決めて、こうなったらこうしなさいと指示をしてあげることが大事だと思います。
そうなれば、スタッフは決められたことを、決められた通りに、きちんとやりますから、業務が回るのです。

ところが、これがなかなか難しい。

何しろ、人類が初めて経験する事態に全世界が同時に直面しているのでありますから、今まで築きあげてきたルールや制度をこねくり回したところでそもそも対応できない。
学校で言ったらカリキュラムにこだわっていては物事が解決の方向に行かないのですが、鉄道会社の幹部の人たちというのは、学校の校長先生や教頭先生たちのように、決められたことを、決められた通りに、時間通りにきちんとやってきた人たちの集まりですから、皆さん五十面下げて「さあ、どうしましょうか?」と言われても正直申し上げてどうしたらよいかわからないのでしょう。

こういう時代は幹部の皆様方にとっては冬の時代かもしれませんね。
何しろ、今までやってきたことの延長線上に未来はないのですから。

トキ鉄では毎日変わりゆく情勢の中で、会議を繰り返しながら、みんなで頭を寄せて今後のステージの変化に伴う会社が取るべき方法や仕事のスタイルについて話し合っています。

もちろん正しい答えなど出るはずはありませんが、そうやってあらゆる可能性をみんなで考えていくことで頭の中を柔軟にしていくという点では有効だと考えています。

少なくともBCPというものに関しては私の方が経験がありますから、今週も毎日のように私から投げかける問いかけに、みんなで必死になってケーススタディーをしてプランを立てていく「訓練」をしているのです。

自分の会社の幹部チームがどんどん成長してきているのが手に取るようにわかりますので、私は「大したもんだなあ。」と感心していますが、いずれにしても正しい答えなどありませんから悩ましいものです。

でも、学校や鉄道会社ばかりでなく、今、日本中のリーダーの皆様方が頭を抱えているのでしょう。対策に頭を抱えているリーダーたちが目に見えるようです。
「ああ、去年のうちに辞めておけばよかったかなあ。」なんて思っている人もたくさんいらっしゃるでしょう。
だからと言って自分の不運を嘆いても仕方ありませんね。
貧乏くじかもしれませんが、引いてしまったんですから。

わいわいがやがや、自分で責任を取らない人たちは大騒ぎするでしょうけれど、私たちはリーダーとしてこの苦境を何とか乗り切らなければならないのです。

そして、自分のリーダーとしての力量が試されるときなのです。

さあ、どうするか?

なんだかわくわくしてきませんか?

私はそう考えることにしています。
じゃなければやってられませんから。

明日はどういう日になるのか?

そんなことは誰も分からない。

そういう時代があっという間に訪れてしまったことは紛れもない事実で、その中で私たちは生きていかなければならないのです。

皆様、とりあえず週末はゆっくりお休みくださいね。