明暗の分かれ道はどこだったのか。

JR北海道がダメになったと言われています。

そんなことは国鉄を分割民営化したときからわかっていたことで、いまさら大騒ぎする問題でもないと私は思いますが、あえて大騒ぎするとすれば、同じように「島会社だから」という呼び方をされて、いずれダメになると言われていた九州が株式上場にこぎつけたことが実に対照的で、30年経ってみて、同じようにダメだと言われていた二つの会社が、片や本当にダメになり、片や株式上場するようになった、その本当の理由と言いますか、運命の分かれ道はどこにあったのかということに、私はとても興味を持っているのです。

 

 

こういう色の空を見て、これは暮れていくのか、それとも日が昇ってくるのか、今の明るさは同じであっても、結果は大きく変わるわけで、つまり、考え方ややり方次第では、この景色にこれから陽を昇らせることもできるし、このまま暗くなって漆黒の闇にしてしまうこともできるというのが、この30年間の九州と北海道の鉄道を見てきた私としては、「う~ん。やはり、違いはそこにあったか。」と思うのであります。その違いというのが、まあ一言でいうとすれば「やる気」ということだと思います。

 

いろいろ経営環境の違いはあると思いますが、それよりも大きかったのは「やる気」だったと思います。それも、現場の職員のやる気ではなくて、TOPの経営陣のやる気であって、現場の職員は、TOPにそういうやる気があれば、いくらでも引き寄せられて頑張っていくものでありますし、第一、現場の職員の皆様方は、しっかり毎日の業務に従事しているのでありますから、私は責められるべきではないと思います。

ただ、TOPにやる気がなかったり、方向性がなかったりすると、長い年月の間に会社がそうなっていくわけで、その責任を最終的に現場の職員の皆様方が取らされるわけですから、実に理不尽でありますが、実際問題として世の中はそういう風に出来上がっているというのも、また事実でありますから、やはり、「これじゃだめだ!」と思っている現場の職員の人たちは、きちんと引っ張り挙げられて、力を十分に発揮できるようなシステムを作らないと、会社というものはいずれ停滞するわけで、それは、世の中というのは、学生の時にどれだけ試験で良い点を取ったかで評価されるものではないということだし、その証拠が、頭のいい人たちが国の言うことを素直に聞いてやってきた結果として、今回のJR北海道問題の原因があると私は見ています。

 

さて、ではその北海道と九州の運命の分かれ道がどこにあったとかということですが、私は、実はそれを如実に表わしているのがJR九州の肥薩線だと思います。

昔から鉄道に詳しい人たちはよく御存じだと思いますが、熊本県から鹿児島県を結ぶ肥薩線は、実は明治時代に鹿児島本線として建設された経緯がある路線で、急峻な崖や山越えがある難所が連続する路線です。

ではなぜこんな山の中にわざわざ鉄道を敷いたかというと、当時は日清、日露戦争の時代でしたから、海岸線に線路を敷いたら、いつロシアの艦隊がやってきて線路を破壊されるかわかりません。だから、多少建設が困難であったとしても、山の中を通した方が国防上有利だったのです。

私は明治の人たちが偉いと思うのは、その国防上有利だとされて線路を敷いた山の中ですが、100年経って高速道路を建設する段になったら、やっぱり同じような山の中を通しているわけで、つまり明治時代に鉄道を建設したルートがインフラ建設の最適ルートだったということが100年経って証明されたわけです。でも、ということは、つまり、その山の中の鉄道路線というのは、その後、海沿いに鹿児島本線(現在の肥薩おれんじ鉄道)が建設された時点で本線としての役割は終了し、以後、100年近くにわたって、ローカル線として走ってきているわけで、それが今の時代になってみたら、いよいよ役割が終了して、要らない路線になっているわけです。

でも、JR九州の人たちは、要らない路線だなんてことは一切口に出さず、どうやったら維持できるかということを一生懸命考えて、観光鉄道という道を選んだのです。

 

では、観光鉄道で生きていくと言っても、山の中の峠越えの旧線が、どうやって観光鉄道としてお客様にいらしていただけるのでしょうか?

肥薩線の、特に人吉から吉松にかけての区間は、列車が山を越えるためにループ線やスイッチバックといった様々な線路設備が整えられていて、急な坂道を登るためにデコイチが列車の前と後ろに1両ずつくっついて、前引き後押しで奮闘していた個所としてとても有名なところです。でも、それが見られたのは昭和47年までで、あれから40年も経過しているわけですから、よほどの鉄道マニアでもない限りはそんなことでお客様を呼ぶツールにはなりません。かといって、たくさんのお金をかけて、今、保存されているデコイチを引っ張り出して走らせることは不可能ではありませんが、ビジネスとしては妥当ではありません。そんなときJR九州がやったことは、「今あるものを有効に活用する」ということと、「地域と一体になって鉄道を利用する」ということなのです。

 

具体的には、大隅横川駅にある、こんなものを売り出しました。

 

 

お分かりいただけますでしょうか?

これは第二次世界大戦中に艦載機のグラマンがこの駅を攻撃したときにできた機銃掃射の跡です。

飛行機の機関銃が撃った弾が柱を貫通したときにできた穴が、柱にしっかり付いています。

これが、大隅横川駅の観光資源だとして、JR九州が肥薩線に観光列車を走らせて、この機銃掃射の弾が貫通した跡を見ていただくためにこの駅で停車時分を取っているのです。

列車が数分間停車するとなれば、地元の人たちに何か協力していただく必要があります。

そこで地元の人たちが、無人駅の駅舎の中で、いろいろな飾りつけをしてお客様に見ていただこうと、私が訪ねたときはちょうど吊るし雛の飾りつけがされていました。

 

 

こういうことをちょっと地元が協力してくれるだけで、観光列車のお客様にとって見たら全く印象が異なるというものです。

 

 

 

こちらは肥薩線の霧島温泉駅です。

地元の人たちがホームにテーブルを出して手作りの商品を並べていて、臨時の売店です。

やはり列車はこの駅で数分間停車して、お客様にお茶をお出しして、地元の人との会話を楽しんでいます。

 

この他にも真幸駅でも同様に地域の皆様方が手作りの品物や特産品などを臨時の売店を開いて販売していて、JRはわざわざその駅に列車を10分程度停車させて、観光客と地元の方々が交流できる仕組みを展開しています。

矢岳駅や大畑駅など、地元の人たちの乗降利用状況はほぼゼロに近い駅ですが、そうやって使っていて、停車時間の間だけお客様がホームに降りて、出発時刻が来るとまた列車に乗って行ってしまうわけですから、結局は乗降客数はゼロのままなんですが、駅が立派な地域の玄関口になっていて、地域の人たちもそれを上手に活用しているんです。

 

これに対して、JR北海道から聞こえてくる話と言えば、「乗客がいなくなったから駅を廃止にする。」とか、「乗らないから路線を廃止にする。」と言った話ばかりで、「今あるものを有効活用しよう。」という発想が、会社にも地元にも全く感じられないということなんです。

私は、これが、九州と北海道を大きく明暗を分けたところじゃないかなあと考えています。

 

 

この駅も今ではすっかり有名になった肥薩線の嘉例川駅です。

この駅で地元の方が売り出した駅弁が九州で一番のお弁当として有名になりました。

でも、ほとんど観光客の駅の乗降利用はゼロだと思います。

なぜなら、観光列車は数分間停車しますが、ホームに降りたお客様はほぼ全員がまた列車に乗って行ってしまいますから、利用客数としては増えないんですね。

でも、車の人も含めて観光客が来ているということは事実ですから、実はこの駅のすぐわきにはこんな建物が新設されているんです。

 

 

駅のトイレです。

駅舎との景観がマッチするように木造で古っぽく作られていますが、きれいなお手洗いです。

そしてご丁寧に「便所」と書かれています。

これも、明治時代の駅舎に合わせた演出です。

 

JRがお金を出せとか、地元が出すべきだとか、いろいろ大人の事情はあると思います。

「便所なんかに金かけて作ってどうするんだ。」と、田舎の人はよく言います。

でも、観光としてお客様をお迎えするときの基本中の基本はきれいなトイレです。

そして、この駅にはそれがあるのです。

 

こういうことをこの30年間できちんとできたかどうか。

これが運命の分かれ道だったのではないか。

私はそう思います。

 

映画のラストシーンで有名な増毛駅は今度の日曜日で廃止されます。

同じく映画で有名な幾寅駅も廃止対象路線の駅です。

 

嘉例川や大隅横川や真幸、矢岳、大畑と言った肥薩線の駅から比べたら、はるかに大きな観光資源であることは誰の目から見ても明らかです。

でも、そういう駅が廃止されていくのです。

 

使い方がわからない人たちが鉄道を運営していて、使い方がわからない人たちが住んでいるということなのです。

 

今あるものを最大限に有効活用する。

それも、できるだけお金をかけずに。

 

九州でできたことが北海道でできないわけはありません。

 

できないというのであれば、それはできない理由を探しているだけなんです。

 

何しろ、いすみ鉄道でもできたのですからね。

 

四捨五入して暦が一巡する期間人間をやっていると、自分の人生を振り返ってみてもまあ、あの時が分かれ道だったんだなあ、なんてことが不思議とよくわかるというものです。