道南いさりび鉄道

先日、鹿児島から函館まで連続して新幹線に乗って日本縦断をしたという話をしました。
なぜ鹿児島からなのかと質問してきた人がいましたが、旅というのは北へ行く方がなんとなく旅情というか情緒的というか、北へ行く方がよく感じるわけで、実際問題として北斗星やカシオペアも札幌発の方が比較的席が取れやすかったという事実を考えてみても、やはり北へ行く方が素敵なことなわけです。
でも、私は残念ながら何の目的もなく鹿児島から函館まで新幹線に乗って遊んでいられるような悠長な人間ではありません。スケジュールをやりくりしながら、行ったのですが、ではなぜ函館かと申し上げますと、この「道南いさりび鉄道」という鉄道が3月26日に開業して、私たち第3セクター鉄道の仲間入りをしたからなんです。
だから函館に行く目的があって、そのために1日時間を取って、鹿児島へ飛んで、新幹線で北を目指したわけで、誤解のないように申し上げておきますが、「道南いさりび鉄道」を訪ねたのは会社の仕事ですが、鹿児島へ飛んで、鹿児島から新幹線で戻ってきたのは私の個人的な部分でありますから、もちろん自腹で行っている行動なのであります。
(公務員じゃないから、そんな説明どうでもよいか。)
さて、皆様方ご存知かもしれませんが、私たち第3セクター鉄道というのは、全国いたるところで経営難に直面しておりまして、「お前らなんて廃止になっちまえ」と心無い住民から罵声を浴びせられることも多々ある中で、一生懸命頑張っているわけですが、そういう非常に厳しい経営環境の中でもがいているという現状があるにもかかわらず、この1年間で日本全国に4つの第3セクター鉄道が新しく誕生しているというのも事実なのであります。
そして、そのうちの一つが先日訪ねた「道南いさりび鉄道」でありまして、つまり、新幹線が誕生すると、お約束という大人の事情で、それまでの在来線を地元が引き受けるというのが、この1年間に4つもの第3セクター鉄道が誕生している理由なのです。
いすみ鉄道や由利高原鉄道、若桜鉄道のような第3セクター鉄道は、昭和の時代の国鉄改革でJRに引き継ぐことが許されなかったローカル支線を地元が引き継いだ鉄道ですが、昨今相次いで誕生している第3セクター鉄道は、「○○本線」というような並行在来線を新幹線を作ってもらった代わりに、JRが新幹線へスムーズに移行できるために、法律で地元が引き受けるというお約束で誕生しているわけです。
でも皆さん、ちょっと考えてみてください。
それまで○○本線と言われて、特急列車が走っていた路線が、特急列車が走らなくなった後、地元が引き受けてるんですから、儲かるわけありませんよね。例えば東北本線は特急列車が走っていた時代でもJRに言わせると赤字だったわけで、その特急列車がなくなった後、どうやって黒字にすればよいか。それを「官」にきちんとやりなさい、というのが並行在来線ですから、こんなに次から次に新しい第3セクター鉄道が誕生しているということは、この国の将来、つまり10年後20年後にとても大きな問題を発生させるということは明らかなことなのです。
でも、誰も何も言わない。
半世紀近く前に新幹線計画が持ち上がり、「悲願の新幹線」がやっと俺たちの町まで伸びた。マスコミもこんなニュースばかりで、JR北海道だって、さらに大きなお荷物を背負わされるわけだし、函館市や北海道だって、大変な負担になるわけです。
で、私はそのあたりに興味がありまして、2月の会議で「道南いさりび鉄道」の小上社長さんと席が隣同士だったこともあって、実際にどういう戦略でこの鉄道のかじ取りをされていくのか、この目で確かめて、直接お話しを聞いてみようと思ったわけで、開業から10日もすればそろそろ落ち着いているだろうなと思って、出かけてみたのです。


▲道南いさりび鉄道の看板列車「ながまれ」
JR北海道から譲ってもらったキハ40です。
函館から木古内まで、旧JR江差線を引き継いだ鉄道ですが、全線電化されています。
だけど走るのはディーゼルカー。
ディーゼルカーの方が1両で走れるし、取り扱いがしやすいからで、最近ではそういう鉄道が他にもありますが、新規開業というのに40年近く使用したキハ40をJR北海道から譲ってもらったということを考えてみても、会社にお金がないんだろうなあ、ということは想像できますね。でも、新車が欲しいのはやまやまだけど、これで行きましょうというのも、ある意味健全だと思います。
他の第3セクターではそれまで古い電車が走っていたところを気動車に取り換えた経緯がありますから、どうしても新車を入れなければならなかったのですが、江差線時代から同じ車両ですから、お客様もよくわかっているわけで、サービスという点でもわかりやすいと思います。

さてさて車内はこんな感じ。
開業ムードが下火になったとはいえ、結構な乗車率で、ほぼ座席が埋まっています。
それも地元の家族連れと思しき人たちばかり。
マニアっぽい人は5~6人ぐらいいましたが、ほぼ地元の利用客なのは、先が明るい気がします。

▲道南いさりび鉄道の小上社長さん(右)と営業企画係長の本間さんです。
土曜日だというのに社長自ら列車に乗り込んで、ご挨拶とティッシュとキャンディ配りです。
一人一人のお客様にご挨拶されていましたが、もしかしたら私たち公募社長の影響かもしれませんね。(笑)

▲これがそのティッシュとキャンディー。
「飛行機に乗ったらキャンディー配ってくれるでしょう。だから、うちでもそれならできるからやろうと思ってね。どうせなら記念で配るティッシュがあるからそれも付けてあげようかと思って。」
なかなか面白い発想の社長さんですね。
私はこの道南いさりび鉄道(旧江差線)に初めて乗ったのは今から40年も前の高校生の時で、青函連絡船で函館について、夜行列車に乗り継ぐまで時間があったので、函館から松前まで往復したときが最初です。
その時は急行列車が走っていて、3両編成の急行列車が木古内で切り離されて、1両が松前行、2両が江差行でしたので、「1両で急行列車なんてありえない。」とか思って、おもしろそうだからその1両の急行「松前」に乗って、函館松前を往復したのが初体験ですが、その時に目を見張るようなすばらしい海岸線の景色に圧倒されて、「絶景だなあ。」という印象を持ちました。
だから、観光鉄道としてとても価値がある路線だと思いますし、函館に来た観光客が、気楽に乗車でき、例えばこの絶景を見ながら、おいしい料理を食べられる仕掛けをしたら、結構地域のシンボル的存在になるんじゃないかと考えていますが、今回も乗車してみて再認識しました。


津軽海峡を見ながら走る区間。向こうには函館山が。
夏までには観光列車も走らせてくれるようですが、それ以外にも小上社長さんには面白いアイデアがおありのようですので、皆さん楽しみにしていてください。
今度、いすみ鉄道で「道南いさりび鉄道」のポスターなどを貼りたいと考えています。
道南いさりび鉄道のホームページは 「こちら」 です。

さて、終点の木古内駅です。
新幹線と接続する駅として、きれいに整備されました。


で、新幹線の駅へ行ってみたのですが、時刻表を見てびっくり。
結構過疎ってますねえ。
まあ、需要としてはこんなもんでしょう。
ところで、道南いさりび鉄道は観光鉄道としての要素があるのはもちろんですが、函館から途中の上磯までは住宅地で通勤通学の需要が見込めます。函館市の人口は20数万人ですが、いくら車社会とはいえ、通学の高校生などの需要がありますから、地域の足としての役割も期待されているわけで、両面性があるというのは、とても大事なことだと思います。
皆様、道南いさりび鉄道をどうぞよろしくお願いいたします。
【追伸】
1976年夏に初めて訪ねた松前駅。
函館から3両編成の急行「江差」「松前」に乗車して、途中で切り離されたのが木古内でした。



なぜ松前に来たか。その理由が上で述べた「松前」が1両だったからで、当時は列車が長いのは当たり前で、旧型客車の普通列車でさえ6両ぐらいついていましたから、急行列車が1両なんてありえない、と思って貴重な体験をしようと思ったからです。
実際問題として、2両編成だった江差方面は残って、1両だった松前線が廃止されましたから、需要を正直に反映していたということになりますね。
というわけで、今、いすみ鉄道でキハ52が1両で急行列車として走るという原点は、このときの急行「松前」にあるということを、皆さん知っておいてくださいね。
私が高校生の時の体験が40年後に実を結んだようなものですから、今の高校生がいろんな体験をする中で、それが将来どういう形になっていくか、楽しみだと思いませんか?
もし私がのこ急行列車に乗っていなかったら、もしかしたらキハ1両の急行はなかったかもしれませんよ。
「急行列車は1両です。」と書かれた案内表示をわざわざ入れてシャッターを切っているあたりは、よほど衝撃的だったのだろうと、今思い出しますね。
バス窓キハ21の懐かしいカットです。