ウリ ピヘンギ

今日はどこを見ても北陸新幹線の話題ですから、私は全く別の話で行こうと思います。
昨年末にテハナンゴンのお嬢様がナッツで飛行機をリターンさせた事件がありましたが、私がかつてこのテハナンゴンに勤めていたことを知っている人は、私の顔を見るたびに、「そういうことってあるんですか?」と聞いてきました。
ファーストクラスのお客様に、ピーナッツを袋から出してサービスするか、袋のまま出すかが焦点になるなんてことは、それだけでこの会社のサービスの内容がわかるというもので、アメリカやヨーロッパの航空先進国の会社では、ナッツはオーブンで温めた状態で出すのが基本だし、だいたい、外人にはアレルギーの人が多いので、ピーナッツなどはエコノミークラスだって機内では出さないのが今や常識ですから、相変わらずこのレベルだなあと思うのです。
でも、実は私が大変興味深いと思ったのは、サムジャンニン(乗務長様:チーフパーサーのこと)は、お客様を機内にお招きする前に、ファーストクラスに今日はどんなお客様がいらっしゃるかぐらいの知識は当然持っているわけで、ましてや自分の会社の「うるさい上司」が乗っていて、その人が一族のお嬢様なわけですから、そんなことは機長だって当然知っていて、ある意味、身構えているわけなのです。
でも、そのサムジャンニンが、機内でお嬢様に対して、ピーナッツを袋ごと出したのですから、私はそこのところが引っ掛かるのです。
日本人は最近韓国のことをよく思っていない人が多くなって、隣国との関係が気まずい雰囲気になっているのを私は少しさみしい気持ちで見ていますが、その理由は、竹島だとか、従軍慰安婦だとか、教科書だとかいう個々の問題にあるのではなくて、日本と韓国とは根本的にものの考え方が違うということを、学校でも社会でも教わらないからだと思います。
その違いというのは、いろいろあるのですが、一番大きな違いというのは、私は上下関係だと思います。
日本でも韓国でも、当然のように目上の人を敬うという教えを誰もが受けていますが、日本語でいうと、尊敬語、丁寧語、謙譲語というのがこれに当たります。
日本語では、私とあなた以外の外部の人に対する会話でも、謙譲語を使用し、相手に対して自分の身内をへりくだる言い方を多用します。
ところが、韓国ではこの謙譲語というのは、身内(私とあなたという二人称)以外ではあまり使いません。
どういうことかというと、自分の身内の方が、他人よりも優先されるし、他人よりも偉いからなのです。
ちょっと難しいかもしれませんので例を出してみます。
例えば、会社に電話をかけて「社長さんいらっしゃいますか?」と訪ねますね。
すると、日本語であれば、「社長はただいま出かけています。」と答えます。
電話に出た相手は、社長よりも下の人間のはずなのに、電話をかけてきた相手に対しては「社長」と言いますし、もしこれが固有名詞で、例えば「鈴木さんはいらっしゃいますか?」という電話なら、「鈴木はただいま出かけております。」というように呼び捨てになります。
ところが韓国社会では、「社長さんいらっしゃいますか?」という電話に対しては、
「社長様はただいまお出かけになられていらっしゃいます。」と答えます。
つまり、自社の社長であっても、電話の相手に対して呼び捨てにするどころか、敬語を使うという文化なんです。
外部の人間よりも、内部の人間に対する敬いが優先になるんですね。
自分のお父さんが言ったという内容を人に伝える時、日本語では「私の父はこう申しております。」と言いますが、韓国語では「私のお父様はこのようにおっしゃっていらっしゃいます。」となります。
相手の父親に敬意を示す言葉ならわかりますが、今会話している相手に対しても、自分の父親に敬意を表した話し方になるわけで、これがこの国の大きな特徴です。
こういうことを考えると、自分の身内のことばかりを強調して、相手の国のことを考えないとか、日本をいつも悪者にしているとかいうことも、実はそんなに深い憎しみの感情ではなくて、こういった考え方の習慣から来るものであって、それが報道などで協調されたり、また、時の政府が自国民をコントロールするために、そういう国民の考え方のくせをうまく利用して、日本人は島国に住んでいる猿だとか、韓国国民は世界一の民族だなどと、扇動していたりするわけです。
だから、常識として身内のことは後回しにするということを美徳として教えられてきた私たちから見たら、「謙譲語」に乏しい、つまりへりくだる精神が少ない韓国人は「反省がない国民」とか、「自分たちの能力のなさを棚に上げておきながら日本ばかりを悪者にする。」といった表面的な食い違いが発生しているのだと思います。
このように私たちから見るととても理解できないことなんですが、例えばテハナンゴンの場合、自社の社長や会長が飛行機に乗るときは、他のお客様の予約が入っている席でも、当然自社の社長や会長が優先される最VIP待遇なのは当たり前で、満席の時はどうするかと言えば、自分のところの社長や会長のためですから、切符を買って予約している一般のお客様に降りてもらうというのが、少なくとも私が勤務していた1980年代のスタイルでしたし、今回の騒動を見ると、今も全く変わっていないということがわかります。
何しろ、お嬢様が「戻れ!」と言えば、機長だって飛行機を戻すわけですから、他のお客様のことなど関係ないわけで、それがこの国の文化の一面なのです。
だから、この国を少しでも知っている人は、この事件に対して、「ああ、あり得るね。」と納得するのですが、日本の常識からいうと、「あり得ない!」ということですから、ここに両国の感情の食い違いが発生するわけです。
韓国人の中でも、おそらく国際的な常識を持っているほとんどの人が、このニュースが世界に流れたことに対して「恥ずかしい。」と思っているはずです。
さて、ではどうしてお嬢様が「戻れ!」と言うと機長が飛行機をゲートに戻さなければならないかと言えば、国旗を背負っているフラッグシップキャリアではありますが、実はテハナンゴンは国営航空ではなくて韓進グループという財閥に所属する一企業であって、言うなれば超大型の個人企業ですから、お嬢様というのは会社の所有者のご令嬢であって、そういうシステムの中では、機長と言えども「働く場所を提供していただいている一職員」でありますから、目上の人に対して絶対服従の韓国社会では、言うことを聞くことが求められるのです。
財閥が牛耳っているグループ企業というのは、所有と経営が一体型ですから、テハナンゴンの場合でいえば、この飛行機は我々が所有している我々の飛行機ですというのが「ウリ ピヘンギ」と言うことなのです。
そして、韓国経済は、韓進をはじめとして、三星とか大宇、現代などのいくつかの財閥が傘下にファミリー企業(○○グループ)を置いて仕切っている構造がありますから、一生懸命勉強して良い会社へ入ろうと頑張っている学生たちは皆、学校を出たらどこかの財閥傘下の企業に就職するのが当たり前で、それでなければ零細企業や個人商店しか道がないような、そんな構造になっています。
ということは、韓国社会では、家に於いては親父が絶対的存在であり、会社では上司が絶対であり、その上司からしてみたら財閥のオーナーが絶対なわけで、彼らは常にそういう絶対君主の下で生きていかなければならないということなのです。
そういうある種の抑圧された絶対社会の中で生きていく国民に対して、政治的に何か都合が悪いことが起きると、一気に国民の不満が高まる危険性がありますから、そういう時に政府が持ち出すのが日本の問題であり、それがあるときは竹島だったり、ある時は従軍慰安婦だったり、またあるときは教科書だったりと、自国のシステムに対して疑問を抱かせないようにするために、国民の目を日本に向けさせるというのが、歴代政府の常套手段なのです。
そしてその政府や大統領そのものも権威を維持するために絶対君主であることが求められますから、侮辱することなど許されるはずもなく、日本の新聞社の支局長が帰国できなくなるなんてことは、当然と言えば当然のことなんですね。
日本では総理大臣を侮辱したから逮捕されるなんてことは考えられません。この間、外務省がホームページの韓国に関する表現を一部変更したことも、こういう国の仕組みや考え方の特殊性があるため、共通の判断基準が持てないからなのです。
こういうことをベースとして理解していれば、韓国政府が何を言ったって、「ああ、またその話ね。」と受け流していればよいわけで、日本だって安倍政権に国民全員が賛成しているわけじゃないのと同じように、韓国だって、国民一人一人は、きちんとものを考えているし、日本を知ろうとしている人も、日本に好意を持っている人もたくさんいるのです。
話を最初に戻しますが、このテハナンゴンのお嬢様の事件で、私は何か引っかかるというのは、この飛行機はニューヨーク便ですから、客室乗務員もある程度のレベルの洗練された人間が乗務しているはずです。にもかかわらず、そのトップであるサムジャンニンが、オーナーのお嬢様が乗っているのを知っていて、そのお嬢様に対して、彼女が感情的に激昂するようなサービスをしたということの真意はなんだったのだろうかということです。
これは私の想像の域を出ませんが、一言でいえば、このお嬢様は嵌められたのではないでしょうか。
そこまで計画的じゃないにしろ、お嬢様の態度や振る舞いは社内でも有名になっていて、社員から常に反感を買う存在だった。それを白日の下にさらすのは「アメリカ」が最適であって、機長もそれを理解して飛行機をゲートに戻した。そして世界を駆け巡る大ニュースになったわけです。
だから、お嬢様が後日妹に送ったメールで「あいつのことは絶対に許せない。」と言っているわけで、そう考えると、韓国の労働者も、いよいよそういうことができる時代が来た。それもサムジャンニンやキジャンニン(機長様)という、高い立場の人たちがやり始めたのですから、これは韓国社会が内部から変わり始めているということなのではないでしょうか。
数日前のニュースで、韓国の冬のオリンピックを自国内だけで開くには無理があるから、日本の長野など設備が整っているところに手伝ってもらおうという考えが経済人にあるというような話が出ていました。
その前後で政府の偉い人が、「自国内で開催する。」と再度宣言しているにもかかわらずにこういうニュースが出るというのも、社会が変わり始めているからなのかもしれません。
上の人間の面子が一番大切である国の国民が、いたるところで世界の常識に訴えているような気がしてきます。経済的な不安や混乱も含めて、韓国自体がいろいろなことを問われているような気がしてなりません。
私としては、一番気になるのはそこに住んでいる人々のことで、政府対政府の関係がうまく行かないとはいえ、何も国民同士まで対立することはないと思いますし、こういう時だからこそ、国民同士が理解しあうことが大切なのではないかと思います。
ウリナラ、ウリマル、ウリピヘンギ。
私にとっては、何とも懐かしく、愛らしい響きに聞こえる今日この頃です。
久しぶりに韓国人の友達に会って、お酒でも飲みながら30年前の話をしたいですね。
○○ヤ マンナゴシップンデ FACEBOOK エ ヨンラク へジュセヨ。