北紀行

昨日、岩手県の八幡平市の商工会の賀詞交歓会にお呼びいただきまして東北新幹線の旅を楽しみました。
関東地方は毎日晴れの乾燥した天気が多いこの時期に、東北新幹線に乗る楽しみは、いったいどこまで行ったら雪があるのだろうかということで、雪の多い地域で毎日その大雪と格闘されていらっしゃる皆様には大変申し訳ないのですが、ある意味ワクワクしながら「はやぶさ」の車上の人となったのでした。

東海道新幹線はよく乗りますが、東北新幹線は年に数回程度なものですから、いつもなら乗った瞬間に爆睡モードに入るのですが今回はもったいなくて眠れません。
まずは荒川にかかる戸田橋の横を通って埼玉県へ入ります。
由利高原鉄道の春田社長がこの写真を見て、「戸田橋も広くなり変わりました。志村橋まで 41番が走っていたことが遥か昔になりました。」とコメントをいただきましたが、中山道を走っていた都電が廃止されたのは私が小学校に上がる前で、休みの日にはこの近くにあった終点の志村橋まで都電で来て、荒川の河川敷で遊んだことを思い出します。当時は土手に上がると辺り一面が見渡せましたが、ずいぶん建物が建ちました。私のふるさとから富士山がきれいに見えました。

[:up:] 宇都宮まではドピーカンの青空でしたが、那須塩原を過ぎるとこんな雲が出てきました。そろそろ雪景色かなと予感がしましたが、

[:up:] 郡山ではまた晴れて、こんな感じの良い天気。

[:up:] 安達太良山でしょうか。山には雪雲がかかっていますが、線路の近くには積雪はありません。
智恵子抄の舞台、「みちのくの 安達が原の 二本松 松の根かたに 人立てる見ゆ」です。
東京には空がないと昔から言われますが、これが本当の空なんですよ。
どうも昨日あたりからかつての文学青年の片鱗が見え隠れするような。
お前ら鉄にはわかんねえだろうなあ。(独り言)


[:up:] 福島通過。山形新幹線の線路が分岐していきます。
雪はありません。


[:up:] 宮城県に入り、仙台が近づいてきました。(上)
仙台を発車すると東北本線の電車が並んでいました。(下)

[:up:] 仙台を発車して7分ぐらいでしょうか。田んぼの畔に雪が残っている景色が見えたと思ったら・・・

[:up:] 一つトンネルを越えたらいきなり横殴りの雪です。

[:up:] でも古川ではすぐにやんでいました。曇り空です。

[:up:] くりこま高原を過ぎると晴れ間が見えてきました。
くりでんの線路跡はこの辺だろうかと探しましたが、時速270?では見つかりませんでした。


[:up:] 一関は晴れ。一関を過ぎると雪に覆われた一面の水田地帯が広がります。
きれいですねえ。

[:up:] 北上付近では向こうの山に雪雲が。
夏油温泉はあの辺だろうか。降ってるんだろうなあ。


[:up:] ということで岩手山が見えてくると列車は盛岡に到着いたしました。
下の写真は盛岡駅構内。私の記憶が正しければ扇形機関庫があったのはこの辺りでしょうか。SL廃止後のしばらくの間、扇形機関庫の真ん中にC58が1両ぽつんと置かれていましたが、それを見るのが盛岡を通る時の楽しみでした。
あのC58はどこへ行ったのだろうか。

さて、盛岡に到着した私は八幡平商工会の賀詞交歓会へ向かうべく、お迎えに来ていただいていた車に乗せていただいて八幡平へ向かいました。
途中の車窓からみた岩手山です。
ここは、花輪線が走っていますが、時間が合わず、残念ながら乗ることができませんでした。
花輪線、ハチロク、龍が森と言えば、ドキドキする世代なのですが。
もう一つ、八幡平と聞いて思い出すのは山田洋二監督の映画「同胞(はらから)」の舞台になったところで、中学生の時に見たこの映画は私の心の中に残っているのですが、あの映画に出てくる当時の青年団の人たちが、ちょうど今、商工会の重鎮となっているのが、時の流れを感じてとても興味深いですね。


そしてもう一つ、八幡平というとすっかり忘れ去られていますが、かつて松尾鉱山という硫黄を産出する鉱山で栄えた町で、昭和43年に鉱山が廃坑になるまで、松尾鉱山鉄道という鉄道があったんです。
今、町中に資料館があって、そこには当時の貴重な写真や資料がたくさん保存されています。





国鉄がSLだった頃、この松尾鉱山鉄道は電化されていて、電気機関車が走っていたのですから、すごいと思いませんか?
上野からのスキー列車「銀嶺八幡平号」が直接乗り入れていたこともあったんですね。
当時松尾鉱山で働いていたというおじさんが、当時の話を聞かせてくれながら案内してくれましたが、これは観光の資源になりますよね。
(このブログでご紹介するために撮影許可をいただきました。)

ということで会場に到着。
地元の皆様方の前で、ローカル線を使ったいすみ鉄道沿線の取り組みをたっぷりとお話しさせていただきました。
八幡平市の皆様、どうもありがとうございました。

今回、盛岡駅から送迎をしてくれた八幡平市商工会の菊池光洋さん。
菊池さんは情報発信担当で、一緒に食事をしたこの時も、メニューを写真にとっていました。
八幡平名産の杜仲茶ポークで作った豚肉の天丼です。
行き帰りの車の中で2時間ほど菊池さんと話をしましたが、なかなか良い感性の持ち主です。
こういう若い人が活躍できる土壌があるってのが、最低必要条件なんですね。
八幡平の四季を記録する菊池さんのブログ マニハチ は こちら です。
写真から彼の感性が伝わってきて面白いですよ、ぜひご訪問ください。
菊池さん、ありがとうございました。
頑張ってくださいね。
日帰り弾丸出張で温泉にも入れませんでしたが、今回乗れなかった花輪線に乗って、松尾鉱山鉄道の跡を探しに、雪が解けたころまたお邪魔したいと思います。