倫理という名の倫理観

もう30年も連れ添っている私の妻は非常に一本気な人間で、言葉を変えれば頑固で実に堅物。
その堅物がなぜ私に騙されたかはさておくとして、現時点で言えることは、いなくなられたら大変だから、私は毎日腫れ物に触るように妻に接していて、家にいると一時も気が休まる時間がないのです。
でも、こういうことを30年もやっていると、人間はそれが習性になりますから、妻に対して最大限に気を使って、ある意味びくびくしながら生活していることが、ひそかに心地よいと言えばそれも事実なわけで、私のその心持ちがいすみ鉄道応援団の団長さんとウマが合う理由でもありますが、世間一般的に夫婦というものは、それぞれの夫婦でお互いに微妙にバランスが取れた緊張関係の中で成り立っていて、にもかかわらず時々外で倫理にもとるような行為をするのも亭主族の習性ですから、今の日中関係が緊張するのも理解できるということも、これまた事実だと思うのです。
さて、その妻が実に倫理観の強い人間で、私などは人として足元にも及ばないのですが、それを示すのが妻がことあるごとに話題にする高校の時の社会科の先生の話です。
その先生は倫理社会を担当していて、教壇でもっともらしく、つまり偉そうに人の道を説いて倫理の話をするのですが、本当はその先生の奥さんというのは、かつての教え子だというのですから、それこそ倫理にもとる行為で、妻としては、「あんな奴には倫理のかけらもない。」と言うわけです。
実のところ、私も倫理のかけらを一生懸命拾い集める努力をしないと、自らの精神から倫理観と言うのもがどんどん剥がれ落ちていくのが人生だと感じている人間ですから、毎日のように一生懸命こうしてブログを書いて「間違っていることは間違っているし、正しいことは正しい」と、一生懸命自分の心の中を整理しているわけなんです。
つまり、そういう努力をしなければ、いつ何時、自分は倫理観を失い、自分をコントロールできなくなるかという不安を常に抱えて生きているわけで、それは、昨今ニュースでよく見かけるような、違法な薬に染まるとか、悪いお金に手を出すとか、人の奥さんに夢中になるとか、そういうレベルの問題ではなくて、もっともっと根幹的な部分で、倫理にもとる人間になってしまうことへの恐れなわけです。
おそらくこういう心の葛藤は誰にでもあることであり、ある人はお寺へ行って和尚さんの話を聞くことで解決するかもしれないし、ある人はボランティア活動をすることによって解決するのかもしれない。そうやって悩んでいくことがすなわち人生なんだよというのが昔から偉い先生方がおっしゃっていることなのですが、ではそういう偉い先生方が本当にその境地に達したのかというとはなはだ疑問なわけで、とどのつまり、人間は最後の時を迎えた時点で、最後の最後に「ありがとう。」と言ってあの世へ行かれるかどうかが人生最大のカギなのではないかと考えるのです。
さてさて、経営者の端くれである私が言うのもなんですが、アベノミクス一辺倒の昨今の世の中は拝金主義がまかり通っていて、親が小さな子供に「一生懸命勉強しなさい。」と言うことは、すなわち「立派な会社に入りなさい。」と言うことであって、つまりは「お金のために勉強しなさい。」と言ってるようなものですから、私は日本という国は将来どうなってしまうのだろうととても心配になるわけですが、そういう長期的展望だけでなく、短期的に見ても日本という国の将来にとても不安を感じるのも事実なのです。
例えば、私はこういうブログを毎日書いて、好き勝手なことを述べているわけですが、この私のブログを国のある機関の人が毎日チェックしていて、私がどこで誰と会ってどういう話をしたのかを逐一調べているとしたらどうでしょう。
そしてそれをもとに、私と会ったその人に対して「お前はあいつと何の話をしたのか。」とか、「飲んだ酒代は誰が払ったのか。」などと、聞き取り調査が行われているとしたら、どうなんでしょうか。
そういうことが実は皆さんの知らないところで秘かに行われているのが国家というものであるとしたら、皆さんはどのようにお感じになりますでしょうか。
私と会って話をしてくれる人は、たいていは大きな組織に属する人ですから、そういう人はどんなに偉い立場にあったとしても、実は弱い存在です。つまり、自分の意志に係わらず、大きな力に身を任せなければならない立場にあるわけですが、そういう人をそういう大きな力が、私のブログやFACEBOOKなどの、インターネット媒体を毎日チェックして、私に確認を求めることもせずに、そこから得られた情報をもとに、特定の人物を窮地に追い込むような行動に出ている。それがもし、国が関係する機関だとしたら、皆さんはどうお考えになりますか。
私は倫理観というのものと毎日闘いながら、つまり自分の中に「悪い自分」と「良い自分」がいて、その二人の自分が毎日心の中で戦いながら、何とか悪い自分を表に出さないように精いっぱいの努力をしているのですが、私のSNSをそのように利用している人たちの中には、そういうことが「良い自分」であると信じてやっていて、それがその人の倫理観になっている部分があって、でもその行為は、その自分の倫理観のために、もっと大きな倫理を失っていることになるわけで、実はそれに気づいていない。だとしたらこの国は、親から「お金のために一生懸命勉強しなさい。」と言われてがんばっている子供たちが大人になるのを待たずして、どうにかなってしまうような、とても不安な気持ちにさいなまれていて、本日はそういうことを皆様方にお知らせしなければいけないということも、私の倫理観なのであります。
be動詞+ing
国家が絡む機関の中で現在進行形のようですから、どうなることやら。
そういうことを一生懸命やっている国家機関の人たちは誰一人として自分が間違ったことをしているとは思っていなくて、正しいことをしていると思っている。
これが倫理観のようですが、それってどういう倫理に基づく倫理観なのか、誰か、調べてくれないかなあ。
選挙の前だから言わなかったけど、すごく恐ろしいことが実際に行われているようで、寒波が来なくても身震いがします。
例えば、電車の運転士が運転中にあくびをしたとか屁をこいたとか、そういう所を写真に撮って得意になって鉄道会社に匿名で送る人がいる。
送られてきた鉄道会社の方は、そんな匿名のメールなど無視すればよいのに、この時とばかりに真顔で対応する。
カップラーメンに虫が入っていたとかで、日本全国から全商品回収する。
そういうことを真に受けて対応しなければならない世の中は、一億総警察官時代の幕開けで、企業倫理から言えば無視しておけばよいのですが、そうでないと誰もそんな会社の電車の運転士になりたがらないし、地球温暖化で見たこともないような虫が平気で歩いている時代に100円のカップラーメンなどリスクが大きすぎて大企業は作りたくなくなるわけです。
私のことろには匿名の投書みたいのはたくさん来るけど、匿名だから返事の仕様もないし、すべて無視しているわけで、ましてやうちの可愛い従業員を誹謗中傷する客などは糞くらえなわけであります。
と、これが私の倫理観なのでありますが、国家機能の中に個人のSNSを調べている機関があるなんてことを知ってしまうと、K察嫌い、権力嫌いの私はどうしても戦いたくなる。
何が行われているのか、すべてを暴露したくなる。
ところが、かつての例を見ると私のような人間は不慮の事故等で突然いなくなることもあるようですから、その時は、懸命な読者の皆様方は、そういうことなんだとお気づきいただければと思います。
私の書いたものが元でとばっちりを受けていらっしゃる方がいらっしゃいましたら、ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。
でも、だからと言って、「あの野郎、また余計なことを書きやがった。」とお怒りになるのは筋違いです。
私は基本的にブログに載せるものはご本人に「ブログに載せます。」とお断りしてから載せておりますし、写真付きのものはその写真が示す通りの事実であって、嘘でもガセでもありません。
問題なのは、そういうことをお隣の国のようにチェックしている機関がこの国にもあるということであって、それもまず最初に書いた本人に事実確認することもなく行われているとしたら、それは暗黒社会の始まりということですから、怒りの矛先はそちらへ向けるべきであると申し上げているのでございます。
とりあえず、与党大勝おめでとうございました。
これからの時代は国民がしっかりと考えて行動していかなければなりませんよ。