昭和の航空時刻表考察 その4

前回(その3)は1974年3月の全日空時刻表のお話をいたしましたので、今回は同じ1974年7月の東亜国内航空の時刻表を見てみましょう。
東亜国内航空というのは日本航空に統合された日本エアシステムという会社の前身で、東亜航空(広島ベース)と日本国内航空(羽田ベース)という2つの会社が統合されて1971年にできた会社です。
1960年代には戦時中のパイロットが集まって作ったような小さな航空会社が国内にいくつもあって、墜落事故なども多発していました。そこで国は行政指導でそういった小さな会社を統合させて体力を付けさせていた時代で、今をときめく全日空もその符号であるNHが示すように、もともとは日本ヘリコプターという会社が極東航空、藤田航空などという小さな会社同士で合併でできた会社です。
そのような日本の空でしたが、1971年の東亜国内航空の誕生により、いわゆる航空大手3社時代になり、新しい時代が始まりました。
1974年という時期は新体制になって3年でしたので、今見返してみると、まだまだ古い時代の面影が残っていたことが時刻表から見ることができます。


これが1974年7月の東亜国内航空の時刻表です。
実際に駅の旅行センターで配布されていたのは、折りたたんで下のように細長くなった状態でしたが、このように折りたたむと、日本航空も全日空も東亜国内航空もほぼ同じ大きさになっていました。
「ほほえみの翼」というのがTDA(Toa Domestic airlines)のキャッチコピーだったのですね。

さて、この時刻表は全日空のような冊子になったものではなくて、日本航空と同じように一枚の紙がたたまれたもので、開いてみるとA3よりも一回り大きなサイズになっていましたが、その左上に出ていたのが就航路線図です。
これを見ると、東京と大阪を中心に路線が展開しているとともに、札幌、福岡、鹿児島などがハブとなって北海道内や九州内に路線展開しているのがわかりますが、この体制は航空会社の名前は変わりましたが、ほぼ今の路線の原型になっていることがわかります。
さて、私がこの路線図で注目するのは、実は路線ではなくてTDAの使用機材。
当時のTDAはDC9とB727とYS11の3機種を使っていたことがわかります。
TDAはローカルを主として運航する会社であったにもかかわらず、ジェット機であるDC9(最近までJALで飛んでいたMD90シリーズの初期型機)とほぼ同じ大きさのB727の2種類のジェット機を持っているなんて不思議なんですが、このB727は前身の日本国内航空(JDA)が導入し日本航空にリースしていた機体で、新会社発足に伴い返却された3機なんです。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、日本赤軍がハイジャックして北朝鮮に飛んで行った「よど号」という飛行機がありましたが、その「よど号」も日本国内航空から日本航空にリースされていた3機の中の1機で、この時刻表の時点では返却されてTDAの飛行機として飛んでいたのです。
B727という飛行機は操縦席に3人の乗務員が必要だったこと、エンジンが3つあるために燃費が悪いなど非効率的な面がありましたので、TDAとしてはできるだけ効率が良いDC9(2人乗務で最新型)に置き換えを始めたのがちょうどこの当時で、そのために表紙はDC9の尾翼部分の設計図面が使われているわけです。

路線図の隣は北海道の各空港からの便の時刻が掲載されていて、TDAの時刻表は左上から右上に、そして左下から右下へと北から南へ空港ごとに路線ダイヤが記載されていました。
この北海道地区の時刻でわかるのが、帯広空港と札幌空港を結ぶ飛行機があったこと。
札幌―帯広間は今ならスーパーおおぞらやスーカーとかちという特急列車で2時間で結ばれていますが、当時はまだ石勝線が開通していませんから、札幌から帯広へは函館本線で滝川へ来て、根室本線に入って富良野廻りで帯広へ行くルートで、最速の特急列車でも4時間近くかかっていましたから、飛行機で40分というのは利用価値があったわけです。
さて、その札幌の空港ですが、6・Aとして、札幌(市内)とあります。これは今の丘珠空港のことで、道内便をはじめ、秋田や八戸、東京へ行く便もTDAは皆、丘珠空港から出ていたのです。

では現在の札幌千歳空港はというと、6・Bとして札幌(千歳)とありますが、出ている便は東京への282便が1本だけ。しかもこの便は午前2時50分に千歳を出て5時20分に羽田に到着する深夜便で、「オーロラ」と名前が付けられています。

反対に東京からの便を見ると、札幌(千歳)へは0:01に出る281便というのが1本だけ設定されています。
0:01というのは日付が翌日であるということを示すための時刻表示で、日本の航空時刻は5分単位で表示されていますが、この0:01だけは1分単位になっているのが興味深いです。鉄道の時刻では0:00と24:00の2通りの表示がありますが、24:00は列車の到着時刻、0:00は列車の発車時刻に用いられていますから、鉄道と飛行機の違いも分かります。
この281便もやはり「オーロラ」という名前が付いていて、千歳に2:25に到着して千歳発2:50の282便として早朝に羽田に戻る運用です。
当時、JAL、ANAはすでにジェットで東京―札幌間を結んでいましたが、TDAはJAL,ANAの便が終了した後で、YS11の深夜便として細々と運航していたことがわかります。
最終便より遅くに出て、始発便より早く着く、このようなフライトにどのぐらいのお客様が乗られていたかはわかりませんが、運輸省から各社棲み分けを命じられてローカル線しか与えてもらえなかったTDAが、何とか幹線の枠をもらって東京―札幌間を飛ばしていたという、涙ぐましい努力が、この時刻表から読み取れると私は思いますが、いかがでしょうか。
この他に、羽田発着便で気づくのは、花巻、新潟といった現在は就航していない路線があったことです。東京から花巻までは特急列車で5時間半。新潟へは4時間かかっていましたが、そのぐらいの距離になると、航空輸送が一般化する以前の当時でも鉄道よりも飛行機を利用するお客様がいらしたということで、特に羽田―新潟は当時TDAの最新鋭機であるDC9を投入していたのですから、1日1便とは言え、力を入れていたことがわかります。
この両路線とも昭和50年代末期に東北、上越新幹線が開通すると乗客を新幹線に奪われ、航空路線としては廃止されましたが、新潟県中越地震で上越新幹線が不通になっていた時期や東日本大震災で東北新幹線が不通だった時期には、羽田からの臨時便が就航し、輸送にあたっていたことは記憶に新しいところでしょう。このことからも新幹線より航空機の方が災害には強いということがわかると思いますが、防災拠点も含めて、空港というのは大切な基地になると私は考えています。
(つづく)