プロとしての自覚

30年ぶりにアメリカの空を須貝さんと飛んでみると、不思議なことに走馬灯のように次から次へといろいろなことを思い出しました。
よく、人は死ぬ時にいろいろ不思議な現象が起きる。
その一つが、今までの人生ですっかり忘れていたことが走馬灯のように浮かんでくると言われています。
本当かどうかは定かではありませんし、「本当だ」とわかったその時は多分、「本当だ」と周りの人に説明できないことになっているでしょうから知る由もありませんが、今回、30年ぶりにアメリカの空を飛んで、「ああ、そうだったなあ。」と思い出すことがありました。
須貝さんは、私の息子を前にして、「君のお父さんは根性が座っていた。成績も優秀だったし、英語もできたけど、とにかく根性があったんだよ。」とおっしゃってくれました。
それで思い出したこと。
それは、フライトが終わった反省会(debriefing)の時に、私はよく須貝さんと口論になったことがありました。
口論というと大げさかもしれませんが、「それは違うと思います。」というようなことを、生意気にも私の口から須貝さんに言っていたことを思い出しました。
そんなことを思い出したきっかけは、今回、滑走路へ向かうために誘導路をタキシングと呼ばれる、ゆっくりとした速度で飛行機を歩かせていた時のことです。
誘導路には中心線に黄色い線で印が付いています。
小型機専用の空港とはいえ、誘導路自体が30メートルぐらい幅がある広々とした道路のようなところなんですが、須貝さんは、誘導路の中心線から大きくずれて飛行機を歩かせています。
やがて、滑走路の末端まで来ると、管制塔から離陸の許可をもらい、滑走路に入って離陸滑走を開始するのですが、やっぱり滑走路の中心線から左右どちらかにずれて、といいますか、中心線などお構いなしに離陸のための滑走を開始しています。
30年前、学生だった私は、当時、これが許せなかったんだということを思い出しました。
滑走路は空港にもよりますが、幅45メートルか60メートルあります。
4人乗りのセスナ機にしてみれば、ジェット旅客機ではありませんから、多少センターラインからずれた所でどうってことはありません。
だから、アマチュアパイロットならば、そんなことはどうでも良いのですが、当時の私はプロになりたい、つまり、これで飯を食っていきたいと考えていたものですがら、先輩であり教官でもある須貝さんの、中心線を無視した離陸滑走に疑問を感じていたわけです。(アメリカではあまりこだわる必要がないことだったかもしれませんが。)
私の場合は、滑走路へ向かう誘導路でもきちんとセンターラインに前輪を掛けるように走行します。
飛行機というのは車と違ってセンターラインをまたぐというか前輪で踏むようにして走るわけですが、左側に機長席があるからでしょうか、車の免許を持っていると自動車のようにどうしてもセンターラインの左側を走行したい気分になります。
事実、無意識で飛んでいると、本当にセンターラインの左側半分だけを使って離陸していく小型機も見かけるほどですから、あえて注意をしなければならないと思っていたわけです。
滑走路脇で待機して管制塔から離陸の許可をもらって滑走路へ進入した場合、まず注意するのは前輪を滑走路のセンターラインに乗せて一旦停止すること。
これをスタンディング・テイクオフと言いますが、私の場合は、毎回きちんとこのスタンディング・テイクオフを行って、なおかつ離陸するまでできるだけ前輪がセンターラインをキープするように神経を使うわけです。
自分で飛行機を操縦しなくなってからしばらくたって、そうですね、40過ぎたころから、旅客機でも前の方の座席に座る機会が増えるようになると、例えばファーストクラスやスーパーシートなど、客室前部座席に座っていると、だいたいそのあたりは下に前輪がある位置ですから、離陸のために滑走路へ向かうタキシングの最中に、大型旅客機でさえ、前輪できちんとセンターラインを踏んでいるのが、ゴトンゴトンというセンターラインの鋲を踏む音でわかるわけです。
もちろん離陸滑走が始まってからも、ゴトンゴトンと前輪でセンターラインを踏む音が聞こえてくる。
横風が吹いていても、機長はできるだけセンターラインをキープしようとしているのがお客さんとして乗っててもわかるのです。
1日に3回も4回も離着陸を行っているプロのパイロットでさえ、離着陸時に基本に忠実になっているのに、プロフェッショナルを目指す訓練生がいい加減な操縦をしてはいけないと考えていたのです。
上空へ行って水平飛行をするときにも同じことが言えます。
3500フィートで水平飛行を指示されたら、3500フィートで飛行しなければならないのです。
3600でもなければ3400でもない、3500なわけで、試験で100フィートも狂えば不合格なわけですから、私は高度計の1メモリ(20フィート)の誤差以内に収めようと必死でコントロールしていました。
ところが須貝さんの場合は、あくまでもレジャーで飛んでいる。
だから、そんなことは彼にとってはどうでもよいことで、気楽にフライとしているから、反省会の時にもめるわけです。
当時、アメリカ人も含め、訓練生仲間でよく話題になっていたこと。
それは、「今日の着陸はうまく行った。」
「昨日の着陸は納得ができない。」ということ。
その時に私は思ったのです。
プロというのは、どのような条件下でも、いつも通りに同じ着陸ができなければならない。
その時の気分で着陸して、「今日はうまく行った。」等と言っている様ではプロではないのです。
「君のお父さんは、根性が入っていた。」と須貝さんが私の息子に説明している会話を聞いて、30年前に自分がこだわっていたプロ意識を思い出しました。
プロというのは、どんな時にでも要求された操作を行い、きちっとした結果を出さなければいけないのです。
「今日は停車位置にうまく停車できた。」と、列車が停まった位置に一喜一憂しているようでは、とてもじゃないけどプロの運転士とは呼べないのです。
いすみ鉄道の自社養成乗務員訓練生は、私のそんな経験から生まれたものでもあるのです。
お解りいただけますでしょうかねえ。
須貝さんは、私にとって恩人だということは、そういうすべてのことを教えてくれたからなのです。
で、須貝さんが付け加えます。
「鳥塚君の後で、うちで訓練した人で、大した根性でもなかった人が、今、プロパイロットとして国内線で飛んでるよ。」って。
一体どこの会社の誰なんだか、ちょっと気になっているのですが、聞かない方が良いでしょうねえ。

[:up:]須貝さんの操縦でチノ空港の滑走路26Rにファイナルアプローチ。

[:up:]タッチダウン直前の滑走路。ね、左にずれているでしょう。横風の影響もありますから、アマチュアはこれで十分なのです。
皆さんも、自分も含めてプロなのかアマチュアなのか、一度周りを見て見たらよいと思います。
プロで料理を作っている人と趣味で料理を作っている人。
プロの車の運転士と自分の車の運転。
プロの歌手と、歌の上手なカラオケ名人。
プロのカメラマンとアマチュアの写真マニア。
今の時代はアマチュアでもプロ顔負けの道具を使えるようになりました。
では、いったい何が違うんでしょうか。
中にはプロであっても適当な仕事しかしていない人もいるのが見えてくるかもしれませんが、そう見えたら、あなたにも進化のチャンスがあると思います。