何でメキシコ通りなんですか?

先日、ある観光客の方から、「この先にメキシコ通りって書いてあるんですけど、何でメキシコ通りなんですか?」と質問されました。
その方は鉄道ファンで、今年に入ってからもう何度も大多喜にいらしてる方ですが、今回は食事がてらブラッと町の中を歩いてみたらしいのです。
そしたら、「メキシコ通り」の看板を見つけて不思議に思ったらしい。
そりゃそうですよね。山の中の城下町でメキシコに出会ったら、誰だってそう思います。
実は、大多喜というところは、かつては房総半島の勝浦、御宿、大原までを統括していたところで、つまり、今の勝浦も御宿も大原も全部大多喜の領土だったわけです。
そして、徳川家康から城主として派遣されてきたのが本多忠勝。
17世紀初めの話です。
そのころ、メキシコ人たちを乗せた船が房総半島沖で遭難し、乗っていた人たちを漁民が助け、時の君主である本多忠勝が丁重にもてなし、船を再建して故郷に帰してあげたという出来事が、大多喜とメキシコが今でも交流している起源なのです。
詳細は「大多喜町サポーター・ブログ」をご覧ください。
こんな素晴らしい美談が残されているのに、大多喜町の人たちはしっかり宣伝しないものだから誰も知らないわけで、そういうことを私だけでなく、大多喜をよく知っている人たちは、「何ともったいないことだろうか。」と思っているわけです。
これ、本来なら観光協会の仕事ですよ。
今や、大多喜の町を訪れる観光客の8割はいすみ鉄道目当てでやってきています。
今までは歴史の町を訪ねてくる人だけだったのが、歴史に興味がなくて、鉄道に興味がある人がたくさん来るようになったのです。
つまり、今まで大多喜に観光に来ていた人たちとは全く違う種類の人たちが来るようになったのですから、町役場や観光協会は、そういう、本当だったら来なかったような人たちに、どうやって大多喜の魅力を伝え、どうやったらリピーターになっていただけるかを考えるのが仕事だと私は思うのですが、せっかくこんなに観光客が来ているというのに、町役場も観光協会も、今まで通りの仕事をしているだけで、私の眼から見たら何もしていない状態なのです。
ボンネットバスが観光協会の建物の横に停まっただけで、「俺たちは何も聞いてないぞ!」って言うのですから。
ああ、もったいない。
そこで、大多喜町の飯島町長が、この観光客に何とか大多喜を知ってもらいたいと、駅の正面に大多喜ガス館の建設を始めました。
これも知らない人がほとんどですが、大多喜は天然ガス発祥地で、井戸を掘れば地下水と一緒に天然ガスが出てくる資源豊かな土地。
戦後、ガソリンが米軍の統制下にあって国鉄といえどもままならなかった時期には、木原線の気動車は天然ガスで走る「ガスカー」だった時代もあり、国鉄の列車が天然ガスで走っていた貴重な歴史がある地域なのです。
昔の人に聞くと、大多喜駅の下りホームの大原寄りにはガスを詰める設備があったと言いますが、だから、私が町長に頼んで、天然ガス館を建設するのなら、鉄道と縁が深いのだから是非駅前に作ってほしいとお願いして、現在建設が進んでいるのです。
ところが、大多喜の人たちは、自分たちは城下町で、何とかの一つ覚えのように本多忠勝路線だけが観光だと思っているわけで、それも、そう思っているだけで、外に対して効果のあるようなことは特に何もやっていないものだから、「何でメキシコなんですか?」と私が質問を受けてしまうほどPRが不足している。つまり何もやっていないにもかかわらず、「ガス館なんて作ってどうするんだ!」なんて言う人も出てくるわけです。
この夏、JRのパワスマ切符が発売されて、小湊鉄道からいすみ鉄道に乗り換えて房総半島を鉄道で横断するお客様で列車は満員の状態が続きました。
ところが、大多喜の人たちは、いすみ鉄道が乗り切れないほどお客様を運んでいるということなど何も知らないのです。
なぜなら、いすみ鉄道のお客様は誰も大多喜で途中下車しないから。
パワスマのお客様は皆さん大多喜を素通りして、国吉や大原へ行ってしまうのです。
だから、いすみ鉄道がどれだけ賑わっても大多喜の町の中を歩く人が増えるわけでもなく、まあせいぜい駅前の番所の売り上げが対前年比で50%以上増えているのが良いところでしょう。(その割には番所のマスターの私に対するサービスがいまいちだよね。)
なんとまあよそ者の私から見たら、何とももったいない話なのです。
今、大多喜は経済の地盤沈下が激しく、高齢化が加速しています。
このままでは10年後には消えてなくなるかもしれません。
いわゆる限界集落というところに突入しているような気がしてなりません。
せっかくいすみ鉄道が全国区になったのだから、大多喜もいすみ鉄道を利用して、一気にのし上がるチャンスなのだと私は思うのですが、町役場も、議会も、観光協会も、「今まで通りのやり方で何が悪いの?」的だし、ともすれば新しいことをやろうとする人たちに対して、「そんなことやってどうするんだ。」とつぶしてしまおうとする勢力もあるようですから、目も当てられないのです。
私は大多喜町は千葉県で一番可能性があるところだと思っています。
だから、このブログに「がんばれ大多喜」とカテゴリーを増やして、大多喜を盛り立てていくには何が必要で、何がダメなのか、ということを、批判覚悟でお話ししていこうと思います。
いすみ鉄道が不死鳥のようによみがえったように、大多喜町だって、私に任せれば千葉県で一番元気な町にできるのです。
ということを偉そうに言ってみたいと思います。