努力してますか? その2

毎週、仕事が終わってから集会場に集まって勉強会を開いているような人たちは、一生懸命頑張ってはいるんでしょうが、なかなか良い結果が出ないんじゃないかという話をしました。
本人たちが努力しているように見えても、実際には効率的なやり方でなかったりするわけですが、そこに気付くまでにかなりの時間を費やしてしまいますし、中には気付く前に疲れていやになって止めてしまうところもあるんじゃないでしょうか。
人生、時間は限られていますし、チャンスはそう何回も来るわけではありませんから、もっと効率的に結果を出さなければなりませんが、そういう努力をしているところは少ないんですね。
田舎の町おこしだけじゃなくて、都会で会社に勤めていてもなかなか良い結果が出ない人たちがいます。
こういう人たちは、確かに一生懸命努力していて頑張ってはいるんですね。
だけどなかなかうまくいかないし結果が出ない。そうしているうちに、中には悩んで病気になるような人も出てくるのが昨今ですから、私はそういうのは努力とは言わないことにしています。
そんなことは最初からやめたほうがよいし、そんな苦しい努力をして結果を出すことが人生じゃないと思うからです。
でも日本人は、小学校のころから詰め込み教育で、机にじっと座って耐え忍ぶのが勉強だと思っていますから、大人になってもそれが努力だと思っているんでしょうね。
朝の通勤時間帯にFacebookやTwitterを見ていると、「今日も仕事かあ。休みたいなあ。」とつぶやいている人がたくさんいます。
満員電車に揺られて会社へ行くのはつらいものです。
朝起きて、会社へ行くことは皆さん一生懸命やってますが、でも、それってどんなに一生懸命布団から起きだして、どんなに一生懸命満員電車に揺られてがんばって会社へ行ったとしても、努力していることにはなりません。
会社へ行って仕事を頑張るのが努力の基本ですから、その手前の段階でパワーを使い果たしているようでは、良い人生にはならないんじゃないでしょうか。
ホームで電車を待っているときに「今日は座れるかなあ。」などと考えているような人間は、会社で大した仕事などできるわけないんです。
私がなぜこんなことを言うかというと、学生時代から、私は満員電車での通勤は絶対できないと思ってました。
気持ち悪くなるし、おなかは痛くなるし。
だから、自分は社会人になっても、そういうところで勝負するべきではないと思ったんです。
20代前半のころのことですが、そういう環境では私は勝負できないと考えていたんですね。
だから、午後から出勤の学習塾の教師になったし、航空会社に勤めるようになっても、都心へ向かうのとは反対の成田空港にしたんです。
私は電車大好き人間ですが、満員電車で嫌な思いをしながら会社に通っていたら、絶対に電車が嫌いになると思ったし、通勤で頑張るのは努力じゃないと思ったんです。
さて、次の話に移りますが、そのレベルを抜け出して、努力の甲斐あってか、運よく一段上のレベルに這い上がった人たちが陥りやすい「努力してるつもり」というのがあります。
それは、自分の得意な仕事や、やりやすい仕事は一生懸命やるけれど、自分の嫌いな仕事や、不得意な仕事は極力見ないようにしている。心の中でバリアを作っている人のことで、そういう人は実はよく見かけます。
これは事務屋さん、現場仕事に係わらず存在するんですが、こういうのを英語で「Confort Zone」といいます。
「Confort Zone」とは、「自分が今いるところ」という意味で、居心地が良いところということなんです。
そして、そのConfor Zoneに自分が身を置いておけば、リスクは発生しませんし、冒険も必要ありません。
だから余計な仕事はしたくないし、新しい仕事にチャレンジもしたくない。
こういう人って意外と多いんです。
そして、そういう人は、毎日の自分に与えられた仕事はきちんとよくやってますし、意外と優秀な社員が多い。
だから、自分では毎日頑張って仕事をやっているつもりになっているんですが、私は、そういう人がいくら一生懸命仕事をしたとしても、例えば残業や休日出勤して頑張ったとしても、それは「努力してる」ことにはならないと思います。
私は航空会社にいた時には管理職でしたから、チームをまとめて仕事の目的を達成することは当たり前のことでした。
飛行機は遅れることもあれば欠航することもある。
そういう時は本当に大変で、チームのみんなも精一杯頑張っている。
でも、私はそれが仕事だと思っていましたから、別に努力してるわけではないんですね。
つらい時もあれば大変な時もありますが、それは毎日の仕事のことですから、当たり前で、そういう仕事を一生懸命やっているということは、満員電車で頑張って会社へ行っているのと同じだと思いますので、努力してることにはならないと考えています。
そういう管理職の立場にあった私に、上司が与えた仕事というのがあります。
それは新しい仕事で、毎日のルーティンの仕事以外に何か別の新しいテーマを与えられるんです。
例えば、それは新しい知識を身に着けることであったり、その身につけた知識で今までと違った仕事をすることであったり。
今までの仕事をやりながら、さらに新しい仕事をするわけで、それを同じ勤務時間内にやらなければなりませんから、もう必死になります。
私だけじゃなくて、自分のConfort Zoneを出て、他にも新しいことにチャレンジしている人が何人もいましたが、そういうことが努力なんですね。
私が管理していたチャックインカウンターでの話ですが、発券2人、ファースト1人、ビジネス2人、会員専用1人、エコノミー3人、グループ担当1人と、チャックインカウンターだけで10名のスタッフが働いていました。
その10名でやっているチェックインカウンターを「8名でやるように。」と上司から指示されます。
定年退職した人間が数名いて、人が足りなくなった時のことです。
10名でやっている今でもピークになれば長い列ができていて、とても込み合う状態ですから、2名減らせというのは至難の業です。
言われた時には「どう考えても無理だなあ。」と思うんですが、今のやり方を変えたくないと思う点で、これもConfort Zoneなんですね。
でも、「そんなの絶対に無理です!」なんてことは言えないわけで、なぜなら「本当に無理なのか?」と聞かれて、上司が「じゃあ、○○君にこの仕事をお願いしよう。」となれば私の仕事はなくなるわけですし、結果としてその○○君が2名減らして8名にすることができたとしたら、私が会社内で存在する意味すらなくなるわけです。
だから、一生懸命考える。
考えるだけじゃなくて、実際に働いてくれている部下たちにも協力を求めなければ達成できませんから、私の言うことを部下たちが聞いてくれるかどうかということも大きなポイントだし、そういうことは一朝一夕ではできませんから、ふだんから彼らが何を考えて、どういう行動をしているかということを把握してなければならない。そのためにはコミュニケーション能力が求められるわけだし、そういう能力って、いざその場になった時に身につければよいものでもありませんから、ふだんから努力することが求められるわけです。
で、自分がやっているチェックインカウンターの業務をもう一度見直してみると、いろいろ見えてくるものがある。
今やらなくてよいことをやっていたり、本当は必要でないのに「念のために」やっていることだったり、そういうことが見えてくると、10名でやっている仕事が8名で十分なことがわかるわけです。
でも私はちょっと考えて、「8名でできますよ。」という報告はしなかったんです。
8名でやれるという結論では上司の求めに答えただけですし、私としては努力が足りないと思いましたから、私は「7名でできますよ。」と報告しました。
すると上司は「説明してみろ」と言います。
そこで私は、「8名にすることは可能ですが、ピーク時を考えなければ7名にできます。そしてピーク時をむかえたら、私が1人のスタッフとなって働けばよいですから、7人いればできますよ。」と答えました。
管理職である私は現場の数には入っていませんから、助っ人になれると考えたんです。
すると上司は、こう言います。
「お前、それで自分が頑張って穴埋めをするつもりでいるんだろうけど、そんなのは努力じゃないんだ。お前は管理者として常に全体を見る立場にいなければならないから、自分を数に入れてはいけないんだ。もう少し考えろ。」
私は、「なるほど」と思ってもう一度考え直してみました。
すると、搭乗口に4人スタッフがいるのですが、搭乗開始時から搭乗終了まで、必ず4人必要なわけではないことに気づきました。
チェックインカウンターと搭乗口のピークがずれていたんです。
だから搭乗口の職員のうちの1人をカウンターに配置させて、カウンターのピークが終わってから搭乗口に向かわせることにしました。
こうすることで、結果としてさらに1名減らすことができて、かといってスタッフに過度な負担をかけることもなく、お客様に迷惑をかけることがないチーム編成を作りました。
「8名にしろ」という上司からの要求に応えることは、もちろんConfort Zoneから出ていくことなんですが、それだけでは満足せずに、さらに次へ進んでいく。
こういうことを繰り返してきたのが外資系での仕事なんです。
数年後には最終的に10人でやっていたカウンターを6名まで減らしましたが、
そういう報告を受けると、上司はニヤリと笑って、外資系ですから 「Good Job ! 」となるわけです。
私が自分の部下たちを見て、「彼らならやれる」と思って少人数で対応するように改革したんですが、私の上司も私を同じように「あいつならやれる。」と見ていたということなんです。
会社が改革を行おうとする場合、基本的にはできないことをやらせることではありません。できるだろう、やれるだろうとの判断で「改革しろ」と言ってくるわけです。だから、上司から「絶対に無理だ」と思えるような注文を投げかけられても、「そんなの絶対に無理です。」なんて言ってはいけないんですね。
それを言うということは、「私はConfort Zoneから出たくありません。」って自分で言っていることになるし、ある程度のポジションになってまでそういうことを言うようでは、「私はいらない人間です。」と自分で言っていることと同じになるんですね。
まあ、こういうことは、ある程度職場の管理を任される人間に求められることですから、平社員のうちは心配することないかもしれませんが、平社員のうちから、いつかは自分が管理者になった時のために、そういうことを知っておくことや勉強しておくことが、「努力する」ということなんだと思います。
若い皆さんは、今から上司になった気持ちで仕事をしてみてはいかがでしょうか?
(つづく)