なぜ国鉄形なのか?

今日は週刊誌の取材を受けました。

 

「なぜ、今、国鉄形(国鉄色)なのでしょうか?」という内容の取材でした。

 

この4月1日で国鉄が消滅してJRになってから30年になることで、いろいろ特集を考えていらっしゃるのかもしれませんが、国鉄形(国鉄色)についてはやはりいすみ鉄道でしょう、ということで取材していただいたのかもしれません。

 

この間から書いておりますが、30年経つと世の中が変わります。

その理由は社会を構成している人間が入れ替わるからで、30年経つと30歳の若造が定年を迎え、40歳のバリバリ中堅社員がすでに年金生活に入っているわけで、かつての中心世代が社会から引退してしまって、新しい人たち、つまり、30年前に中学生だった人たちが40代半ばになって、社会の中心でバリバリ働くようになるからです。

国鉄がJRにとってかわられた最大の理由は、表向きには赤字の解消ということになっていますから、JRに変わった当初は、できることは何でもやって増収に努めて行きましょう、という方針で活気に満ち溢れていたのですが、30年が経過して、その当時の中心人物はとうの昔に第一線を退き、「別に鉄道には興味ないけど、インフラ系だから安定しているし。」というような理由で入ってきた人たちが会社の中心になりましたから、働いている職員からは鉄道に対する情熱を感じることは少なくなりましたし、「そんな余計なことをやって、何かあったらどうするんだ。」という意見が主流になりますから、車内販売なんか利益が出ないし、鉄道事業そのものもできれば縮小して、他にもっと儲かることをやりましょうよ。と、誰が見てもそう感じる会社になっているのです。

 

これは、ある意味自然現象のようなもので、そう考えると、今の鉄道博物館は30年前と違って単なるお金儲けの施設でありますから、その施設に入りきらなかったり、人気のないような車両は、どんどん解体してしまうというのも会社の姿勢として実によく理解できるのです。

博物館というのは、もっとアカデミックな施設であるはずなんですが、例えばパリの美術館が、収蔵しきれない絵画や彫刻を、不要だからとか、二つあると希少性が下がるからという理由で処分してしまうようなことをやっているのと同じことだと、見る人が見ればそう思うのですが、そんなことはお構いなしというのが、今の各社に共通する現象なのであります。

 

さて、大きい会社はそれでもよいかもしれませんが、小さい会社はそうはいきません。なかなか新しいものを買うこともできませんから、今あるものをどうやって有効に活用していくかと考えるのが小さな会社のやることなのであります。

だから、その小さな会社にしてみたら、大きな会社が捨てるものを格安に譲ってもらって、それを活用していかなければならない宿命にあるのですが、つまり、乞食のようなことでも平気な顔してやらなければならないのが小さな会社なのでありますが、幸いなことに、30年が経過して世の中が大きく変化していますから、私から見たら、落ちているものや捨てるものを拾ってきたとしても、実に立派に商売ができるようになったと感じるのです。

ひとことで言えば、それがいすみ鉄道で展開している「昭和の国鉄形」なのであります。

 

日本には保存鉄道というのが法律の枠組みとしては存在しませんから、なかなかふつうの人に保存鉄道というものを理解していただくのは難しいのですが、鉄道博物館というのはあくまでも死んだ状態のはく製のような車両を展示しているところであるのに対し、保存鉄道というのは、生きている車両、活躍している車両を、その当時のままの状態で走らせているところであり、いすみ鉄道の沿線風景を見ると、風景全体が昭和そのもので、その中を昭和の国鉄色のディーゼルカーが走る姿は、保存鉄道ではありませんが、情景丸ごと保存鉄道のような雰囲気が楽しめるところとして、沿線の風景も引き立ちますから、私は価値があると考えているのです。

 

 

 

だってほら、最高でしょう。

上総中野の渡辺新悟さんが撮影された写真ですが、これ、イベントじゃなくて、時刻表に載っている誰でも乗れる列車なんですから、価値がわかる人には、この価値がご理解いただけるというもので、こういう世界をありのままに見せるだけで、いすみ鉄道は全国で知らない人がいないぐらい賑やかな観光鉄道になることができたのですから、国鉄形車両や国鉄色というのは、日本の田舎の鉄道にとって、実にありがたいツールなのだと私は考えるのであります。

 

(つづく)