獨協大学の学生さんと

23日に獨協大学の講義に講師としてお邪魔しました。
経営学の高松先生の全学共通カリキュラムで、今年で3回目。
毎年お呼びいただきましてありがとうございます。
驚いたのが23日が勤労感謝の日の休日であるにもかかわらず通常通り授業が行われていること。
私は土曜も日曜もない生活を30年近くしてきていますので、何とも思わなかったのですが、考えて見たら休日にもかかわらず学校内には学生さんたちがたくさんいて、活気に満ちていました。
最近は授業のボリュームが増えているらしく、休みの日でものんびり休んでいられないようで、私たちの時代とずいぶん様変わりしたと思いました。
さて、授業は順調にいきまして、その後、学生さんたちが私を取り囲んで質問攻めにあった次第ですが、ここでもう一つ驚いたのが、「私はこういう者です。」と何人もの学生さんたちが自分の名刺を作っていて、「名刺交換してください。」と申し出られたこと。
そのうちの何人もが、「実は起業しています。」、「NPOを立ち上げました。」、「起業の準備をしています。」などすでに実業家の道を歩み始めていること。
だから質問も核心をついていて、他の地域の講演に呼ばれた際に大人たちから受ける質問よりは的確で、すごいなあ、と感心しました。
で、帰りの電車の中で考えたのです。
そして気が付きました。
就職がないんですよね。
いくら会社を回っても、何枚履歴書を書いても会社に入れない時代ですから、それだったら自分で何とかしようというのが、どうも今の学生の気質かもしれない。
大人の社会や会社に期待しても時間の無駄だから、自分で起業するという精神は少なくとも私たちの頃にはなかったから、「偉いなあ、頑張れよ。」という気持ちになるのです。
で、さらに考えたのです。
そして気付きました。
小学校も中学校も高校も、子供が成長するに合わせて接する大人たちの中には、将来あのようになりたいという見本になる人がいないのです。
これは20年ぐらい前からイギリスで言われていることで、イギリスでは幼稚園も小学校も中学校も、先生のほとんどは女性で、子供が成長する段階で大人の男性と接する機会がほとんどない。
このことが、イギリスでの若者の犯罪の多発につながっていると言われていますが、成長期に接する大人というのは子供にとって大事なわけです。
日本でも、子どもたちが成長の過程で接する大人といえば、自分の両親の他には学校の先生が大きなウエイトを占めますが、お父さんも学校の先生もほとんどがサラリーマンだということ。サラリーマンとしてのお手本はいくらでもあるわけですが、サラリーマンじゃない人のお手本はあまりない。
学校でも、「休まず、遅れず、一生懸命に。」ということは教えるけれど、「こうやればお金を稼げるから、生きて行かれます。」何てことは教えてくれないし、家庭でも、「一生懸命勉強して、良い学校へ行って、良い会社へ入る。」ことだけしか言われてないだろうから、良い会社に入ってサラリーマンになれればよいけど、今のようにそれができない時代では、就職がないというだけで行き止まりの閉塞感になってしまうのだと思います。
日本はすべてサラリーマンを基準にした社会で、学校システムもサラリーマンであるお役人さんが作って、サラリーマンである先生が運営しているわけですから、生徒にとってみればサラリーマン以外に大人のお手本がいない。
「僕はあのような人になりたい。」と思えるような、独立自営で成功した人や、ビッグになった人などのお手本がないわけです。
お手本がなければ、あのようになりたいという人がいなければ、それに近づくことなどできるわけないわけで、下手をすれば、「お金を稼ぐことは悪いことだ」、なんて思ってしまうかもしれないわけです。
だって、先生やお父さんたちは一生懸命サラリーマンをやっているけれど、サラリーマンという人種は100%の人が「自分は会社から十分に給料をもらっている。」と思っていない。全員が「俺の給料は安すぎる。」と思っているわけで、それがサラリーマンの習性でありますから、そういう大人たちとしか接することができない学生時代は、私は不幸だと思うし、それではこの国に活力が出てくるわけはないと思うのです。
幸い、私の場合は学校が嫌いで先生が嫌い。親父も適当な人間だったから尊敬などできるわけもなく、周りの大人たちは「あのような人間にはなりたくない。」という見本市でしたので、反面教師の皆様のおかげで、そのようにならずに済んだのでありますが、まじめな生徒さん達は、先生や親の言うことをきちんと聞いて、一生懸命勉強して、社会に出る段階になって会社に入れず、どうしたら良いかの選択肢も教えられていない。
こういう社会のシステムって、やっぱり大人の事情というか、子供にとってかわいそうだなあと思うわけですが、そんな中、獨協大学の学生さんの中に自分で起業して、自分で生きて行こうという人たちがたくさんいたのは、私としては救われた気持ちになったわけです。
大人になって何十年も経つと、大人の事情が当たり前になってしまって、それで世の中が動いていると大人たちが勘違いしてしまいますが、少なくとも学校の現場では、先生がハーレーやポルシェで学校へ来たり、家に帰ってテレビを見ると自分の先生が出ているぐらいの世の中にしないと、今の日本の閉塞感は乗り越えられないのではないでしょうか.
と、考えさせられた1日でした。
まあ、公立学校の先生方は私の言っていることに賛成できるどころか、あいつは何を言っているんだ、とムカついている人がほとんどだと思いますが、そこのところが問題なんじゃないでしょうかねえ。ということは当事者にはわからないのです。
実は、近日中に、またある教育関係団体から講演に呼ばれているのですが・・・

イチョウが色づいて綺麗だった獨協大学のキャンパス。ときどきこういう場所の空気を吸うのも良いものです。