偏差値世代の成れの果て その2

昭和30年代生まれの自分の世代を中心に、それよりも上の人たちと下の人たちとの生き方というか、人生観の違いを私なりに分析する第2回目。
東京で生まれ育った私は、小学校中学校と、親や先生、親戚の大人たちみんなから「一生懸命勉強して立派な大人になりなさい。」と言われて育ってきました。
当時の大人たちの考え方では、「立派な大人になりなさい」ということは、「一生懸命勉強して、良い大学へ入って、良い会社へ入ること。」であって、そうすれば社会的な成功が約束されているというような考えが主流でしたから、「人に親切なやさしい人間になること。」とか、「思いやりがあって、社会に貢献できるような人になること。」などということは、少なくともある程度勉強ができるグループの子供たちには問われませんでしたし、親たちも、自分の子供をそういうグループに入れようと必死になっていたのです。
今の日本なら、生き方の多様性というのは当然のことで、何も偏差値が高い大学へ行くことだけが生きる道ではありませんし、都会に出るのだけがすべてではないことはわかりきっていますが、40年ぐらい前の時代は、価値観を測るには「偏差値」という物差し1本しかありませんでしたから、人を蹴落としてでも受験戦争を勝ち抜くことが、人生で成功する秘訣であると教わってきたのです。
私の世代はちょうどフォークソングなどというものが流行り始めた世代で、長髪でひげを伸ばし、だらしない服装でギター片手に歌を歌うお兄さんたちにあこがれたりもしました。それまでの日本の歌手というのは、背広を着て直立不動で大きな声で歌う姿が当たり前の時代に、新しく登場したフォーク歌手などという存在に対して「ああいう人たちは学校の勉強で勝負ができない落ちこぼれだ。」とやっかみを言う大人たちもたくさんいて、その大人たちの言葉を真に受けて、そう信じている同級生もたくさんいました。
つまり、学校へ行って勉強をして、模擬試験で良い成績を取って、その偏差値で受ける学校が決まってしまうという時代の中で、誰もがその道を進んでいくのが当たり前だと考えていましたし、学校の成績がある程度以上の人たちは、そのことに何の疑問も抱いていなかったわけです。
私は親戚が商売をやっている人が多く、その商売を子供のころから手伝だって見てきましたから、自分はどちらかというと一流企業のサラリーマンになるのではなくて、商売をやっていく方が性格に合っていると思っていましたし、タコ焼き屋さんとか、たい焼き屋さんの店先に来ると、いつも立ち止まって飽きもせず、いつまでも手作業を見つめているような少年でした。
機械が一周回ると自動で饅頭が焼きあがって出てくるような商売を見ると、「こういう仕事をやってみたいなあ。」と思っていたのをはっきりと覚えていますが、当時は、そういう商売は勉強ができない人がやる仕事だと教え込まれていて、寿司職人やそば打ち職人にあこがれる若い人なんて、少なくとも私の周りにはいませんでしたし、例えば自宅が寿司屋や蕎麦屋の同級生でも、親から「良い大学へ行け」と言われていました。
数年前にNHKの「あまちゃん」の中で昭和の時代の喫茶店のマスターが出てきていましたが、ああいう人たちは、どちらかというと一歩引いて世の中を見ている人だったりして、今思えば独特の雰囲気がある面白い大人たちが、そういう商売をやっていましたので、マスターの話を聞くためや、時にはマスターに相談にのってもらうために喫茶店に通ったなどということも懐かしい思い出ですが、彼らの口からも「まあ、とりあえず勉強はしておいた方が良いよ。」という言葉が出ていたのを思い出します。
では、どうして大人たちは皆口をそろえてそういうことを言っていたかというと、私たちの親の世代は戦前生まれですから、田舎から出てきてさんざん苦労して商売を築きあげたり、大学出の人間とそうでない人間が社会の中でどう差別されていたかなどを身をもって体験してきていて、そういう親にしてみれば、せめて自分の子供には大学へ行ってもらいたいと考えていたんじゃないでしょうか。
だから、学校である程度優秀な成績の子供たちは、皆大学を目指していましたし、良い大学へ行って良い会社へ入ることが、幸せな人生を送ることだと誰もが信じていたのです。
そんな時代の中で生きていた時、ある衝撃的なことがありました。
私がまだ学生だった頃、小椋佳さんという歌手がデビューしたのです。
小椋さんは歌声が素晴らしく、自分で作詞作曲をされて、いろいろな歌が大ヒットして、今でも活躍されていますが、小椋さんのデビューで何をそんなに驚いたのかというと、実は小椋さんは東京大学を出て第一勧業銀行(現みずほ銀行)に勤めていたのを、歌手の道に専念するために会社を辞めてしまったからで、「一生懸命勉強していい大学へ行っていい会社へ入る。」という、私たちにとって理想の人生を歩んでこられていたにもかかわらず、それを捨てて歌手になるという、それまでの私たちの価値観からすると、どうしてなんだろうかと理解できない行動だったからなのです。
前にも書きましたが、歌が上手だとか、体操ができるとか、手先が器用で彫刻がうまいとか、そういうことは学校では全く評価されなかった時代ですから、私たちは驚いたのですが、当時は小椋さんのような方はどちらかというと特殊な存在で、当時の芸能人はというのは、「大学中退」とか、「高校に行かないで家出して」芸能界デビューするのが一つの条件のようなものでした。
そういう世の中は、今思えば経済のパイが膨らんでいく世の中が右肩上がりの時代でしたから、本当に、親や先生の言うことをよく聞いて、頑張って勉強した人がある程度の生活ができる保証があったわけなんです。
ところが、バブルが崩壊して、一流企業や大企業でも規模を縮小して従業員に辞めてもらったり、最悪の場合会社そのものが消えてなくなってしまうような時代がやってきました。
そうなると、純粋培養された偏差値世代の人たちの弱点がいろいろ見え始めましたし、教育としても、もっと多様性が求められるようになりました。
必ずしも勉強して良い大学へ行くことが幸せに通じる道ではなくなりましたし、そうやって頑張って良い大学へ入っても、就職さえままならない時代になったことが、結果として若い人たちにいろいろな生き方の選択肢が与えられたのではないかと考えますが、そういう時代に頑張ってきたのが今の40代半ばより下の人たちだというわけです。
最近よく言われる「ゆとり教育世代」というのは、私たちより二回りぐらい下の人たちのようですが、偏差値教育の反動というか反省で生まれた「ゆとり教育」でしたが、それにはそれで問題があることが判明したようで、ゆとり教育を受けた世代の人たちがこれから40代50代になって行けば、それなりの問題が出てくるのではないかと今から指摘する学者もいるようです。
でもそういうことを指摘する学者というのが、私に言わせればそもそも偏差値教育を受けてきた人たちです。私のように偏差値教育から落ちこぼれた人間にとって見たら、偏差値教育には偏差値教育の害があるわけですから、そういう立場の人たちが次の世代をどうこう言うことはするべきではないと思いますし、その前に偏差値世代が引き起こしている社会現象というものをよく理解して、それをしっかりと見極めないと、世の中とんでもないことになるということを、声を大にして言わなければならないと最近特に考えるようになったのです。
(つづく)