子供たちの夢と希望を乗せて走る

鉄道は目的地へ行くために乗るものである。

鉄道会社は長年ずっとこのテーマで仕事をしてきた。
目的地へ行くためには1分でも早く到着する方がありがたい。
鉄道の歴史はスピードとの戦いの歴史でもある。

そう考えると、今の時代は目的地へ行くためなら別に鉄道に限らなくてもいいし、昔は鉄道は安い乗り物だったけど、今では決して安くはない。
早く着くわけでもなく、安いわけでもない。
そうなると、鉄道は完全に選択肢の一つになっているにもかかわらず、その選択肢としての魅力に欠ける部分がある。

じゃあ、どうするか。
都市圏輸送や新幹線輸送など、一部の地域を除いては鉄道は完全に勝負することをあきらめている感があって、「私たちの役目は終わりました」という感じで、どんどん減便しているから、なおさら乗らなくなるという悪循環を繰り返している。

では、皆さんに乗っていただくために列車本数を増やしたとしても、もともと移動手段としての選択肢から外れているのだから、
「地域の皆様方のために便利にします。」
と言ったところで、人口減少が激しい地域ではよほどピンポイントで狙って行かない限り成功はしない。
それは歴史が証明している。

これが私の鉄道に対する考え方です。

自分自身、目的地によって、あるいは時間帯によって移動手段を選択している中で、鉄道はその一つに過ぎないから、例えば東京から博多へ行こうと思えばもちろん飛行機だし、関西から徳島へ行こうと思ったら当然高速バス。
ここ数年新幹線沿線に住んでいるので、仕方なしに新幹線に乗っていて、乗れば確かに快適だけど世間相場に比べるとちょっと高く感じるので、できるだけ安い切符を探そうと、ネットと格闘しているのです。

ともすれば、新幹線が走っていないような路線、例えば中央線や高山線などは乗ろうとも思わないから、そもそも旅行の目的地の選択肢にすら入らないので、基本的には飛行機で飛んで行って現地でローカル鉄道に乗るというようなことを、ここ20~30年ほど続けているのであります。

つまり、私は鉄道を移動手段として考えているよりも、どちらかというと乗ってみたい列車、乗ってみたい区間を探して、そこに出かけているのであって、この習性は実は子供のころからだったなあと思い出すのです。

1972年4月29日のボク 青梅線奥多摩

1973年4月29日のボク 木原線上総中野。

上は小学校6年生、下は中学1年生。
東京の小学生は当時は基本的に半ズボンでした。
中学に入って長ズボンになったのです。

上が今から53年前の今日。
下が今から52年前の今日。
ゴールデンウィークになるのを待ちかねて、ゴールデンウィークの初日に出かけたのだと思いますが、この2つの写真は完全に目的地へ行くために列車に乗ったのではなくて、ただ単に列車に乗ることが目的で出かけたのです。
なぜなら私は奥多摩へ行ってもハイキングしたわけでもなく、五井から小湊鉄道に乗って、木原線に乗ってと房総横断が目的であったので、大多喜にも降りてないし、勝浦のおばあちゃんちにも行かず、大原から前年に開通したばかりの「わかしお」に乗って、夕陽を見ながら帰ってきたことを覚えています。

つまり、乗り鉄ですね。そして写真も撮る。
私にとって鉄道というのは子供のころからそういうもので、面白そうな列車が走っていたり、乗ってみたい路線があれば、その土地には用が無くても出かける人生でした。

今、大井川鐵道ではきかんしゃトーマスが大人気ですが、このトーマスも、あるいは黒いSLに乗りに来る人たちも、島田市に用があって乗っている人や、家山に用があるのでちょうどいい時間にトーマスがあるからこれで行こうという人は、おそらく一人もいないのです。

どういうことかというと、地域には何も用事はないけど、わざわざトーマスに乗りに来る人たちがほとんどですから、だとすれば地元に大きなチャンスがあるのではないでしょうか。

と、そんなことを毎日考えているのは、実は子供のころから用もないけど汽車に乗るという旅行をさんざんしてきているからなのです。

で、おもしろいのは、そういう子供の頃の思い出というのは50年以上たった今でもしっかりと覚えているということです。

だとしたら、トーマスに乗りに来てくれている子供たちだって、50年後もしっかりと覚えていてくれる子がたくさんいるわけで、そういうことの繰り返しが鉄道と地域の将来を作っていくということなのだと私は思うのです。

そう、鉄道は夢と希望を乗せて走っているんです。

令和のちびっ子たちも、平成のちびっ子たちも、昭和のちびっ子たちも、ゴールデンウィークは電車に乗ってたくさんの楽しい思い出を作ってくださいね。