先月、鉄道ジャーナル誌が休刊になるという発表がありました。
休刊と言えば「お休み?」と思うかもしれませんが、出版業界で休刊というのは、廃刊のことらしい。
残念です。


私が鉄道ジャーナルを初めて読んだのはこのころ。
全国SL撮影地ガイドとありますが、関西圏などでは大都市圏でもまだSLが残っていて、憧れの九州には筑豊にC55が走っていた時代でした。
もちろんブルートレインは花形として君臨していて、東京駅へ九州方面への寝台列車を見送りに行っては、「これに乗って行けば、明日の朝にはC55に会えるんだ。」などと思っていました。
大都会東京の排気ガスにまみれた生活を送っていた少年に、遠くの見知らぬ街への旅心を誘(いざな)ってくれたのが鉄道ジャーナルでした。
というのも、鉄道ファン誌は車両形式などが詳しく載っていて、どちらかというと資料的な雑誌でしたが、鉄道ジャーナル誌は列車ルポをはじめ、読み物的な内容が多く、遠くへ行きたい症候群だった少年にとっては、長距離列車の同乗取材記むさぼるように読んだものです。
私は、根本的な考え方として2つのことを常に考えています。
1:時代は変わっていく。
2:時代に合わせて商売も変わっていく。
これが私の考え方の基本で、この基本に合わせていろいろな企画を立てているわけですが、その観点から言うと、「雑誌」というのは「媒体」です。
「媒体」とは何かといえば、「手段」でありますから、ジャーナリズムとして伝えたい内容を雑誌という媒体を使って相手に伝えているわけです。
でも、時代が変わって、その伝え方が雑誌以外でもインターネットなどいろいろな手段ができてきましたから、伝えたいことがあるとすれば、より伝えられるような媒体・手段を選択するのが商売ではないかと考えます。
だから、もし、自分が伝えたいことがあって、それをより多くの相手に、より多くの情報を伝えるという目的のためには、雑誌という媒体は今の時代には合わなくなってきていて、だとすれば他の手段に変化していかなければ、商売として生き残ることはできませんから、つまり、鉄道ジャーナル誌が休刊ということはそういうことなのだと理解しています。
新聞や雑誌というのは伝えたいことを伝えるための手段の1つですから、目的は伝えたい内容をどうやって相手に伝えるかということで、媒体、つまり雑誌を作ることが目的ではないということとです。
鉄道も同じです。
目的地へ行くための手段です。
昭和の時代は鉄道全盛期でした。
でも、今の時代はマイカーもあるし、高速バスもあるし、飛行機もある。
だから、移動手段としての鉄道は、新幹線や一部幹線などを除いて役割は終了しているところが多くあります。
そういう地域で、あくまでも移動手段としての鉄道にこだわるとすれば、それは時代の流れに合いませんからいずれ淘汰される運命にあります。
だったら、移動手段にこだわらずに、乗ることそのものが目的となるような、わざわざ乗りに出かけたくなるような列車を走らせれば、その土地に用はなくても人はやってくるのではないか。
そう考えて、この15年やってきました。
時代に合わせて方法を変えていくこと。それがローカル鉄道の商売だと思うからです。
鉄道ジャーナル誌が伝えることが目的ではなくて、雑誌を作ることが目的となってきたかどうかは私にはわかりませんが、ひとつの時代が終わったということになるのでしょうね。
ずっと以前に、「お客様と一緒に年をとる仕事」というブログを書きました。
もしかしたら鉄道ジャーナル誌はお客様と一緒に年をとっていく商売だったのかもしれません。
そして、そのお客様が雑誌購読から引退されるときが来たということでしょうか。
私のやっている商売も、昭和のSLなどというある意味お客様と一緒に年をとっていく商売ですが、新しいお客様、若いお客様をどんどん取り込んでいかないと、いずれお客様がいなくなってしまいますから、トーマスなど子供向けの商品を展開していくことも大切なことなのです。
▼2011年8月23日のブログ
お客様と一緒に年をとる仕事 | 大井川鐵道社長 鳥塚亮の地域を元気にするブログ
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