阿部慎之助監督が娘に暴力をふるったということで逮捕されて、巨人軍の監督を辞任しました。
昨日まで巨人軍の監督だった人が、一夜明けたら犯罪者になっていたのですから、とてもショッキングなニュースでした。
でも、もっとショッキングだったのは、私も子育て中に子供に手をあげたことが確か何回かあったなと、この事件のニュースを聞いて突然思い出したことです。
そうでなくても、自分の子育ては完全なものでなく、今思い出してももっとああしておけばよかったとか、こんな風にしてあげたらよかったとか、今となっては取り返しがつかない時間をくよくよと思い出すことが多くなってきていて、当時としては私は精いっぱいやってきたつもりですが、でも、今になってみると、もっと子供と一緒に居てあげたらよかったと思うし、いろいろと教えてあげることがもっとできたのかもしれないとか、そういうことを思うのです。
でも、私は仕事に一生懸命で、休みの日に一緒に過ごしたこともあまりないし、家族旅行もほとんど行ったことがありません。
子供たちは父親の背中を見て育てばよいと思って、自分があまり子育てに積極的ではなかったことを正当化しようとして来ていたんだなあと、今、振り返って後悔ばかりなのです。
何しろ、もうその時間は戻ってきませんからね。
ここ数年、ときどきそんなことをふと思い出しては、取り返しがつかないことをしてきてしまったと、何とも言えない気持ちになっていたのですが、そんな私がふと、ハリール・ジブラーンという人の詩に出合ったのです。
▼その詩はこれです。
「子について」(抜粋)
あなたがたの子どもたちは
あなたがたのものではない。
彼らはいのちそのものの
あこがれの息子や娘である。
彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども
あなたがたから生じたものではない、
彼らはあなたがたと共にあるけれども
あなたがたの所有物ではない。
あなたがたは彼らに愛情を与えうるが、
あなたがたの考えを与えることはできない、
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが
彼らの魂を宿すことはできない、
なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり、
あなたがたはその家を夢にさえ訪れられないから。
あなたがたは彼らのようになろうと努めうるが、
彼らに自分のようにならせようとしてはならない。
なぜなら命はうしろへ退くことはなく
いつまでも昨日のところに
うろうろ ぐずぐず してはいないのだ。

この詩を読んで私は救われた気持ちになりました。
もっともっと深く子育てにかかわっていたら、私は子供たちに自分の考え方を押し付けようとしていたに違いありません。
でも、父親の背中を見て育てばよいと思っていたので、子供たちにああでもない、こうでもないと自分の考えを押し付けたりすることは、多分、あまりなかったのだと思います。
だから、私は結果として彼らの人生の道しるべになることもなく、彼らの水先案内人になることもなく、彼らが歩む道を決めつけることもなく、その道を邪魔することもなかったのだ。
ひょんなことからこの中東の詩人に出会って、私はなんだか救われた気がするのです。
おかげさまでみんな立派な社会人となって、天使がたくさん舞い降りてきてくれたのですから、今はそのことに感謝して、明日も一生懸命働こうと思うのであります。


これでいいのだ。
たぶん
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