急行列車が基本です

大宮の鉄道博物館に保存されているクハ455にトキめき鉄道の観光急行のヘッドマークを取り付けるイベントが行われていますが、今日から急行「立山」に変更されています。

デカ目の顔に「立山」のヘッドマーク。
これは価値がありますね。
写真撮る価値がありますよ。

このブログをお読みの読者の皆様方ならすでにご存じかと思いますが、私は国鉄の急行列車が大好きです。
ていうか、そういう時代に育ちました。

昭和40年代、私が鉄道に興味を持って本格的に時刻表を読み始めたころ、長距離の鈍行列車はまだありましたが、時代はすでに特急、急行の時代でした。
新幹線は東京-新大阪だけで、1972年3月に岡山まで伸びましたが、それ以外はすべて在来線で特急、急行列車が旅客輸送の主役でした。

でも、当時は今のように気楽に全国を飛び回れるような時代ではありませんでしたので、私は縁があった房総半島へ行くのがせいぜいでした。
で、その房総半島には当時はまだ特急列車はなくて、急行列車だったのです。
だから、小学校6年生の夏休みまでは特急列車に乗った記憶はありません。

初めて特急列車に乗ったのは新幹線を除けば6年生の夏休み。
外房電化で東京地下駅が開業した時に走り始めた183系「わかしお」です。

その後も、周遊券で旅行するときは決まって急行列車でしたから、特急列車にはほとんど縁がなかったのです。

だから、私にとっては旅の主役は常に急行列車。
それも4人掛けボックスシートの列車です。

でも、鉄博もそうですが、どうしても特急列車が主役ですよね。
この455も特急に挟まれて、ちょっと影が薄いと前から思っていましたので、今回、このお話をいただいたときに、「ヤッター!」と思ったのです。

今ではJR線から定期列車としての急行列車は姿を消して、すべて特急列車になっています。
その理由はただ一つ。
特急と名乗れば特急料金が取れるからです。

国鉄は赤字解消のために急行列車をどんどん特急に格上げしました。
そうすれば急行料金から特急料金に事実上値上げができますからね。

国鉄時代は運賃改定は国会の承認が必要でした。
毎年毎年運賃値上げをしていると、国会の承認が得られなくなります。
だから、国会の承認が不要な「料金」部分の値上げを始めたのが昭和50年代。
つまり、「取りやすいところから取る」ということで、寝台料金やグリーン料金などもいきなり高くなりましたが、急行列車をやめて特急列車に変えることで、増収を図ったのです。

でも、「特急」という言葉は皆さんご存じの「特別急行」の略です。
特別というからには基準となるものがあるわけで、それが「急行」なのです。
そして、急行に準ずるから準急行「準急」があって「特別急行」もあるのですから、急行というのは基本なのです。

その基本がなくなっちゃったので、今、鉄道輸送はぐらついているような気がします。
なぜならその基本を求めるお客様が高速バスに行っちゃっているからで、若者たちにとっては高速バスが「基本」で、JRの特急は「特別」のものになっているように見えますね。

で、若者たちから見てJRの特急列車の何が特別かというと、「お値段」が特別なんですよ。
特別快適なわけでもなく、特別なサービスがあるわけでもなく、特別に速いわけでもない。
お値段だけが特別ですから、皆さん鉄道離れが起きているわけで、私としてはそろそろ急行列車を見直してもよい時期に来ているのではないかと思っているのです。

ということで、鉄道博物館の455にヘッドマークを取り付けるイベントは今月の28日ごろまで。
今は「立山」ですが、そのうちまた変わるかも。
あと、2~3回行かないといけませんね。

何しろ、デカ目ですから、その点では「特別」な急行ヘッドマークです。

急行列車は基本なんですから、こちらもご支援をよろしくお願い申し上げます。

キハ28-2346の修繕。夢の「鉄道パーク」建設への第一歩を共に。