私のふるさとの鉄道

皆さんにもふるさとの鉄道、ふるさとの駅がおありだと思います。
都会に出られているいすみ鉄道沿線ご出身の皆さんや、今でもいすみ鉄道沿線にお住いの皆さんも、いすみ鉄道がふるさとの鉄道で、大多喜駅や国吉駅など、それぞれふるさとの駅がおありになるのではないでしょうか。
今は自動車の時代になって、いすみ鉄道には乗らなくなったけれど、やっぱりふるさとの鉄道には走っていてもらいたいし、ふるさとの駅が無くなるなんてさみしすぎるから、何とか守りたいと思って自分ができる活動をしてくださっているのだと思います。
ローカル線沿線の住民は、自分たちが乗りもしないのに鉄道を残せと言うのはけしからん。
昭和の時代から日本という国は、ずっとそう言ってきました。
でも、私は、乗りもしないのにローカル線を残してほしいという沿線住民の皆様方の心の中を考えるべきだと思います。
国鉄の時代が終わり、いすみ鉄道が誕生してから20年以上もの間、誰から頼まれることもないのに、自分たちで駅の掃除をして、駅に花を植えて鉄道を守ってきてくれた沿線の人たちに向かって、「乗りもしないのに残せと言うのはけしからん。」と言うようなことは、私は言えません。
逆に、そこまでして鉄道を守ってきてくれた人たちが、もしこのままいすみ鉄道が廃止になったら、彼らは何も報われないじゃないか。損得勘定抜きで地域のために地道に頑張っている人たちが評価されず、報われないような、そういう世の中ではいけないんだ。そう思って、乗らなくても良いけど、何とか残しましょうよ。と地域の方々と一緒になってローカル線を残す方法を探ってきているわけです。
そんな日々を送っていて気づいたのが、ローカル線沿線の人たちは、そのローカル線が走る地元の風景そのものがふるさとの風景であり、そういう風景を守りたいというのは、実は郷土愛なんだということ。
駅があって、駅を中心に商店街があって、人々がたくさん行き交っていた時代を懐かしんで、今では廃れてしまったけど、昔は賑やかだったなあ、と思うことが、ふるさとを思う気持ちだと気づいたんです。
そうしたら、何だか急に、いすみ鉄道沿線の人たちがうらやましくなりました。
なぜなら、彼らには一生懸命守りたいふるさとがあって、そのふるさとの中をローカル線が走っている。
そういう彼らが、私としては実にうらやましいんですね。
では、私にとってふるさとの鉄道はというと、この写真です。


都営地下鉄三田線。
自分が育った地域、家から一番近いところを走っている鉄道です。
私が小学校に入る前までは中山道(国道17号線)には都電が走っていました。
その都電が廃止されて、道路の掘り起しが始まって、地下鉄工事が始まりましたが、小学校2年生の時に当時の家の近くに地下鉄の通風孔ができました。
いわゆる空気抜きという穴ですが、それまでも池袋へ行けば丸ノ内線が走っている上の、ちょうどキンカ堂の前あたりに空気抜きがあって、耳を澄ますとゴーッという音が聞こえてきて、下から地下鉄の臭いがする風が吹いてくる。
都会の象徴だと思っていたその空気抜きが、自分の家の近くにできたわけですが、やがてそこから風が出てくるようになって、電車の音が聞こえるようになりました。
電車の試運転が始まったのですが、小学校2年生の時ですから、まだ見ぬ地下鉄にワクワクしたことを強烈な印象で覚えています。
この写真は昭和48年春、小学校6年から中1になる時に撮影したもの。上が白山、下が板橋区役所前。
小型のオートカメラでフィルムはネオパンSS。ストロボなしですから、中1としては良く撮れているでしょう。
電車の行先表示を見ると、当時は日比谷-高島平間しか開業してなかったことがわかります。
私にとって、ふるさとの鉄道は、田圃の中をのんびり走るローカル線ではなくて、数分おきに次から次にやってくる地下鉄電車なのです。
だから、自然の中をのんびりと走るいすみ鉄道沿線の人たちがうらやましいわけですが、でも、やっぱり、たとえコンクリートのトンネルの中をいそがしく走る地下鉄だったとしても、私にとって都営地下鉄三田線はふるさとの鉄道で、「今でも走っているだろうか。」と思う対象なんです。
この三田線の6000形電車は1999年にホームドアができることになって全車引退してしまったのですが、実は今でも走っているところがあるんです。
その貴重な路線が熊本県の熊本電鉄。
そこで、久しぶりにこの電車に乗ってみようと、先日、博多で行われた九州運輸コロキアムの帰りに、ちょっと寄り道をして熊本電鉄に乗ってきました。
ワンマン化改造されてはいますが、色合いといい、車内の様子といい、三田線時代の電車そのままに近い姿で走っているのには感激です。
それともう一つ、ここにいて懐かしいのは元東急5000系。
渋谷の駅前に鎮座しているあの青ガエルの同僚が、今でも現役で走っているのも熊本電鉄の特長なんです。
昔、東横線の沿線にガールフレンドが住んでいて、東急5000系というといろいろなことを思いだすわけで、そういう甘酸っぱい気持ちも全部含めて、東京の電車が私のふるさとの思い出の電車なんです。
東京生まれの東京育ちは可愛そうと思われるかもしれませんが、それなりにふるさとの鉄道ってあるものなんですね。
残念なことに、私が育った家は高層マンションになるし、都会と言えども自分のふるさとの風景は大きく様変わりし、憧れのガールフレンドも、今ではお婆さんの域に達してしまったのですが、それでも、都営6000形や東急5000系が今でも現役で活躍している熊本電鉄さんには、ありがたいなあと感謝の気持ちでいっぱいなんです。
ふるさとというのは、高速道路でも高層マンションでも、その人にとってはふるさとなんですね。
でも、日本人なら、いすみ鉄道沿線のような、のんびりとした田園風景のローカル線の景色を「日本のふるさと」に思ってほしいなあ。
そういう気持ちから、できるだけ子どもたちに、いすみ鉄道に乗りに来てもらいたいと思うのであります。
本日は私にとってのふるさとの鉄道のお話でした。

[:up:] 6111を先頭にした2両編成。
[:down:] 反対側は6118。

三田線は8両編成を目指していたので、車両番号も1~8の編成で6111の反対側が6118で、ところが結局6両で完結したため、中の2両が欠番になっていましたが、そんなことを思いだしました。
熊本電鉄では2両編成ですから、中4両はありませんが、ちゃんと当時の先頭車同士(この列車では6111と6118)がペアを組んで使用されているのもうれしい限りです。

[:up:]こちらは元東急5000系。
熊本電鉄でもそのままの姿で使用されています。
可愛い青ガエルが見られるなんてすごいことですね。

[:up:]6000系電車はドアの開閉時の音に特徴がありましたが、その音は今でも健在です。
ドアの向こうには青ガエルが。
当時はこういう組み合わせは見られませんでしたが、今では都営三田線は武蔵小杉まで直通運転していますから、この光景は当時の未来予測のようであながちウソでもないような気がします。
とても素敵な時間を過ごすことができたことに感謝いたします。
また行こうっと。