千春24歳、ボク19歳、力の限り生きてやれ

「また昔の話? 昔の話したってしょうがないでしょう。」

札幌在住の女流作家に叱られそうですが、だって、昔の時刻表を見ていたら、当然昔のことを思い出してしまいますよ。

先日、SNSでどなたかが夜行の普通列車の話をしていました。
小樽から釧路へ行く各駅停車の「からまつ」という普通列車が走っていたんですが、昔は旅客需要がそれほどあったのでしょうか、という内容でした。

私も何度か乗ったことがある列車ですが、確かに周遊券(今のエリア別フリー乗車券と同じような切符)で旅をする身には、夜行列車は宿代が節約できますからありがたい列車だったのですが、実は夜行列車にはそれ以外の役割があったのです。

それは何かというと、新聞輸送であったり荷物や郵便輸送です。

例えば札幌を夜出る列車に積み込めば朝には帯広や釧路に到着しますね。
新聞の朝刊というのは夜印刷しますから、早めに印刷した新聞を夜行列車に積み込むことで地方都市に新聞が届けられました。
今では高速道路がありますから、トラックで深夜走ったり、あるいは電子的な方法で送った先で印刷したりすることができますが、高速道路もネットもない昭和の時代にはそうやって田舎の町に新聞が届けられていました。

郵便も同じですね。
前の日に集荷した郵便が夜行列車に乗って翌朝に地方都市に到着して、そのまま積み替えられてさらに田舎の町へ行くのです。

宅急便などというものはありませんでしたので、皆さん駅へ荷物を持って行く。
そうすると駅から目的地の駅まで運んでくれるんですが、それも荷物用の車両が連結されている夜行列車に積まれるのです。

この間YAHOOニュースを書くためにお借りした須田剛さんが1975年に撮影した急行「大雪」の編成ですが、機関車の後ろに郵便荷物用の車両が2両連結されていますね。
こういう車両が夜行列車には連結されていて、新聞や荷物、郵便などを運んでいたのです。

だから普通列車の夜行があったのです。
なぜなら、地域によっては急行列車が停車しないような駅にも停車して、各駅ごとに新聞や郵便を下ろしていたからです。

1980年の普通列車の夜行「からまつ」の時刻です。
なぜかこの列車は小樽始発。
札幌からだと座れない可能性があるので、わざわざ小樽へ行って始発から乗った記憶があります。

札幌には22:03の到着で17分間停車して22:20に発車します。
この間に新聞や荷物を積み込んでいたか、あるいはすでに積み込み済みの荷物車両を後部に連結していたか。
そのための停車時間ですね。

札幌を出ると岩見沢で15分停車、滝川で10分停車。
当時まだ石勝線は開通していませんでしたので、今度廃止になる根室本線をのんびりと走ります。

富良野で40分ほどの大休止がありますので、札幌を50分ほど先発した急行「狩勝7号」とはどんどん差がついて、3時間遅れの9:17に釧路に到着しています。

先日乗車した釧網本線も当時は機関車が引く列車が走っていました。

釧路を10:15に発車する634列車というのがありますが、1980年当時、この列車はDE10がけん引する混合列車。客車と貨物が一緒に連結された列車ですが、「からまつ」で釧路に到着した荷物や郵便などは、もしかしたらこの混合列車に積み替えられて標茶や弟子屈(てしかが:現在の摩周)方面に届けられたのかもしれません。

標津線に分岐して根室標津方面への郵便物などは先行の急行「狩勝7号」で到着して、9:00発の604D急行「大雪6号・しれとこ2号」に搭載されたかもしれません。
当時の釧網本線の急行には普通列車兼用のキハ22が使用されていてましたが、キハ22の列車では車端部をカーテンで仕切って郵便や荷物室代わりに使用している姿を見たことがあります。
そうやって運べば前日に札幌で投函した郵便物が、翌日には標茶や弟子屈、あるいは根室標津方面へ配達することができました。
昭和のアナログの時代ですが、国鉄と郵政がタッグを組んで地域輸送をしていたことを思い出します。

とまあ、古い時刻表を紐解くとこんな風にいろいろと膨らませることができるのですが、残念なことにその当時、動画など撮ることはほとんどできませんでしたので、年々薄れゆくおぼろげな記憶をこうして再確認しながら、消えていかないようにしているのです。

スマホで気軽に動画を撮れる今の時代の若者たちは、ぜひ、それを50年後に伝えていただきたいなあと思います。

と、考えていたら、動画があったことを思い出しました。

この時刻表は1980年ですが、動画は1979年。
札幌22:20発の「からまつ」の時刻は変わりません。

地下から階段を駆け上がってきた彼は、切符売り場の窓口で、
「足寄1枚」。
渡されたのは普通乗車券のみで急行券はありません。
そして「からまつ」の人になりました。

札幌駅を発車していく「からまつ」には寝台車とその後ろに荷物車両が4両。
人間はもちろんですが主役は荷物。ほとんど荷物を運ぶための列車だということがわかります。

そして翌朝、まだ明けやらぬ池田駅に降り立ちます。

荷物列車から降ろされた荷物や新聞をたくさん積んだリヤカーがホームを通って行きます。
「からまつ」を降りた彼が乗車したのは池北(ちほく)線の931D。
車内でタバコをくゆらせながら8:04に「ただいま」と言って足寄に到着したのでしょうね。

千春24歳、ボク19歳。
彼の歌の歌詞を信じて「力の限り生きてきた」ボクは今年64歳になります。

大空と大地の中で

※お時間が許す方は動画を最初からご覧ください。